霊一滴
08'11.30 (日)
★私の目こは★(K・T)
第27回あわ聖会は、参加者に多くの恵みをもたらして終
了した。私が傷だらけの心で放浪していた若い日に出会った
三森先生ご夫妻。三森師と師が取り次がれるメッセージを実
践しておられた孝子師のコンビが大変新鮮で興味深く、
「なぜだろう」と追求が始まった。そして納得を得るまで温かく、
優しくご指導頂いた。
孝子師の生き様は「常に喜び絶えず祈りすべてのことを感謝」する御言葉そのものだった。環境的
には最悪?と思われる、愚痴の一つを言ってもおかしくない
状況でも、一度も不愉快な顔や感情的な言葉はなかった。そ
の理由がこの聖会で語られた。即ち、相手を斜めから見て
批判する誘惑にとらわれそうになる自分の傾向性を示され、
批判に傾く性質をイエス様の十字架につけた−という心の経験
を通して、「私の目こはあなたは高価で尊い、私はあなたを
愛している。」(イザヤ43:4)、「あなたは私に従いなさい。」
(ヨハネ21:22)との神の声を聞き、心に自由が与えられ、そ
れからは人の言葉や態度に左右されなくなった、とのこと。
そして「ウジヤ王の死んだ年に」(イザヤ6は)を経験され、
その経験の中に歩み続けて現由こ至っていると語られた。ク
リスチャンは“工事中”の看板をかけて歩んでいる。神様が
愛して下さるように自分を愛することができるなら、他を愛
することができる。神の愛を持って互いに仕え合おう。信頼
し合い、赦し合って。問題は確かのせいと思わず、十字架に!
08'11.23 (日)
★彼の傷による漬し★(K・T)
16日の礼拝前賛美は715番「わがため傷つき」だった。
“わがため傷つき 十字架にかかりし主よ 罪ととがは洗わ
れ 自由の身とされたり”十字架を思い巡らしつつ新しい週
をスタートし、今朝は442番に導かれた。
“十字架に罪悩み置いて死にたまえる 神の独り子ありき 救い主イエス 誠に罪悩み担い去りたまいぬ 打たれし彼の傷にわれ今癒されぬ”
と繰り返しているうちに、私の心の目が十字架のイエス
様の目と合った。その日は清らかで愛に満ちていた。
じっと見つめている私の心に血潮による愛が注がれてきて、
心は温められた。打たれし彼の傷にわれ今癒されぬ。
聖霊は私の心の内を照らし、心の小さい、しかもだいぶ古い傷を示し、血
潮で洗って下さった。その時傷は癒されたのである。私の罪
と汚れがイエス様を十字架につけたのに、主は父よ、赦し
て下さいと祈り、神の赦しを与えて下さった。
その代価としてささげられたキリストの御体、その手と足に打ち込まれ
たクギ.この痛ましい傷こそが、私の心の傷を癒す特効薬な
のだ。聖霊様、私の心にもう傷はないでしょうか≠ニ私は
祈っていた。罪を悔い改めて十字架を信じ、罪を赦され心に
平安を与えられてスタートしたクリスチャン生活ではあるが、
光のうちを歩み続け、信じ続け、従い続けることを通して、
心はいよいよ自由にされ、信仰から信仰に進み、平安はさら
に深くゆるぎないものとされている恵みを経験し感謝した。
08'11.16 (日)
★感謝と賛美★(K・T)
9日のリスナー大会へ向かう車中、感謝と讃美の違いにつ
いて話題になった。好機を得て調べてみた。
まず、「感謝」は聖書の、そしてキリスト者の最も特色ある強調点の一つ。
詩篇において繰り返し醇藤され、また実行されている。感謝
の根底には、万事を支配する神御自身とその摂理に対する感
謝がある。
新約聖書においては、キリストの購いの恵みが加わり
その感謝は更に大きく深いものになっている。主御自身
も多くの具体的な事柄について感謝をささげている(ヨハネ
6:11他)。
次に「賛美」について旧約時代聖書では、古代
へブル民族が神に向かって発した歌声を「賛美」という言葉
で表現している。新約時代は詩と賛美と霊の歌といわれるよ
うに、大体は聖書中にある詩篇以外のある型を整えて残され
た賛美の歌とされている。
例えばマリヤの賛歌、ザカリヤの賛歌等。パウロがコ口サイ3:16に
「感謝にあふれて心から主こ向かって歌いなさい」と言っているのは、
神の恵みに促されて積極的に歌いなさい、とその魂の霊的な状態が「歌う」
という行為を誘発した時の方向性を示したものと解釈できよ
う。中世には、アウグスチヌスが賛美は歌うことによる神へ
の賛美と定義付けている。
ルネッサンス期には、ヘプル13:16の考えから、賛美は神の恵みに対する信仰者の応答であり、
感謝のささげ物であるとされた(以上新聖書辞典より)。感謝
と賛美。みなさんはどうお考えになるだろうか?
08'11.9 (日)
★摂理の神★(K・T)
渡り鳥が水面に浮かび、これから増えていく楽しみを覚え
ながら、11月の散歩を開始した。
そして去る6日に圧勝を得て黒人初のアメリカ大統領に
決定したオハマ氏について考えた。
彼は肌の色のゆえに悩んだ日々があった。しかしそれを
乗り越えて弁護士となり、民主党議員4年にして大統領選に
立候補した。共和党地盤の州では困難と言われながらも圧勝
できた背景には、切に変革を期待する国民の声があった。
彼は奴隷解放宣言で知られるリンカーン大統領が唱えた「人民
の、人民による、人民のための政治」を勝利演説の中で用い
た。アメリカの歴史の背後に「摂理の神」の存在ありである。
ユダヤ人の歴史にも同様のことがあった。その時エステルは
「行ってシュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために
断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないよ
うに。私も、私の侍女達も同じように断食をしましょう。た
とい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、
死ななければならないのでしたら、死にます。」(エステル
4:16)と語っている。
この勇気により、ユダヤ人は大量虐殺
の危機を逃れたのである。「摂理の神」の手をここにも見る
ことができる。お互いがクリスチャンとせられ、徳島教会員
として生活している背後にも、この「摂理の神」が働いてお
られることを覚えたい。こめ教会に私を導かれた「摂理の神」
への信頼と愛を、模範者キリストにならい全うしよう。
08'11.2 (日)
★天の都★(K・T)
10月の早朝の散歩は、朝焼けに輝ぐ晋雲の変化に魅せら
れながら、会う人会う人に「おはよう」を交わす、さわやか
なひと時である。と共に、先達方が帰らた天の都に思いを巡らす。
ヨハネは天の都について次のように記している。「その
城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金
でできていた。都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られて
いた。第一の土台石は碧玉、第三はサファイヤ、第三は玉随、
第四は緑玉、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は
貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、
第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からでき
ていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であ
った。
私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物
の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だか
らである。都には、これを照らす太陽も月もいらない。
というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都の明かりだからで
ある。」(黙示録21:18〜23)と。諸国の人々が集められ讃美
を交わし合う姿をなんと表現すれば良いのだろうか。言葉を
失いながら、キリストの十字架の血によって罪を赦されただ
けでなく、この天の都に帰れる者とされた恵みを心から感謝
した。
「見よ、私はすぐに来る。私はそれぞれのしわざに応
じて報いるために、私の報いを携えて来る。」(黙示録22:12)
08'10.26 (日)
★共に働いて★(K・T)
S姉(加西市)訪問は午後11時と決めているため、その日
は午前に別の訪問の予定を入れた。
来年の四国聖化大会の講師・大島先生(神戸市)と午前11時半にお会いし、初めてお目
にかかったにもかかわらず話が弾み、愛に満たされ、潔めら
れる神を望めて先生と別れためが午後1時15分、大幅に到
着は遅れて午後2時近くになった。
さて集会が終わる頃、
Hさん親子が現れ、幸いな交わりの時となった。散歩で疲れ
たため昼寝をされていたのだが、目覚めて元気な顔を見せて
くれた。
しっかりした足取りで歩くHさんに、祈りに応えて
下さる神様の聖名を崇めた。
集会で開かれた御言葉はロ−マ
章18〜30節であったが、私の心に飛び込んできた御言葉
は、28節の「共に働いて、万事を益となるようにして下さる
(口語訳)」であった。
万事を益となるようにして下さる神様
が、この日私たちと共に働いておられたことへのうなずきは、
私の心を喜びで満たした。
マルコ16章20節には「主は彼ら
と共に働き」とあり、いつもイエス様が共に働いて下さるこ
とへの自覚は持っていた。
またローマ8章26節「御霊も同
じようにして、弱い私たちを助けて下さいます。」と、聖霊
が、どのように祈ったらよいのかわからない弱い、私たちのた
めに、代わりに祈って下さることも自覚してはいた。
しかし
ながらこの経験は、三位の神が総動員で御声に従う者と共に
働いて、万事を益として下さることへの納得となった。感謝!
08'10.19 (日)
★いのち★(K・T)
教会の玄関前にあるモミの木にキジ鳩の巣があることは、
皆様ご承知の通りです。
今では近所の方々にも幸いな存在と
なっています。今年も1月末から好調な滑り出しで、2組の雛
4羽が巣立ちました。
しかし3組4組の2回は卵が孵化せず、
親鳥は悲しげな声をあげ、卵を転がして確かめた後‘嘆きな
がら巣から去って行きました。現在5組目が雌を呼んで啼いて
いますが、結果ほ乞うご期待といった心境です。
なぜ孵らなかったのか、いろいろ考えられるとは思いますが、いずれ
にせよ無精卵で孵るいのちがなかったということだけは確か
です。
同じ日数、親が交代で温めたにもかかわらず、卵は孵り
ませんでした。私たちも残念でなりませんでした。しかしも
し人間にこんな事(甦らない)があったらどうでしょう。人
類最大の問題になるに違いありません。
肉の衣を脱いで霊にかえる甦りの時、甦らないとしたら、あの人はいのちがなか
ったではすまないのです。
同じクリスチャン生涯を歩きなが
らもいのちがない場合があるということを、この事実は示唆
しています。心しましょう。
主は「私は甦りです。いのちです。私を信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:
2)と言われました。「この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」(Iヨハネ5:20)と約束されています。
このイエス・キリストを確かに心に持づているでしょうか?
甦りの時に明るみにされる「いのち」に生きましょう。
08'10.12 (日)
★勤勉★(K・T)
今年のノーベル賞受賞者が発表された。日本人の受賞者は
物理学賞3名、化学賞1名の計4名、うち2名の方はアメリ
カ在住とのこと。この4人の方々の共通点は、「勤勉」と「集
中力」だと思われる。
もちろん、賜物としての頭脳も否定で
きないと思うが。マタイ25草には、5タテント、2タラン
ト、1タラントと、能力に応じて財産を預ける話がある。
その差は厳粛に受け止める必要がある。しかし各々の持つ能力
に対して、それぞれがどう向き合うのかが重要なのだ。
すなわち「勤勉」をもって倍加すること。が期待されているのであ
る。結果、5タラントの者はさらに5タラントを、2タラン
トの者はさらに2タラントを儲けた。この2人への評価は「よ
くやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠
実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人
の喜びをともに喜んでぐれ。」というものだった。
しかし1タラントの者への評価は厳しい。それだけではなく、彼の1
タラントは取り上げられ、他に渡さねばならなかった。すな
わち「忠実さ」と「勤勉」が、与えられた能力に対して期待
されているということである。30年以上にわたり、コツコ
ツと地味な研究をやり続けた結果がノーベル賞なのだ。
クリ
スチャンの「忠実さ」「勤勉」に対して与えられる評価は、
「主人の喜びをともに喜ぶ」ことである。天の表彰式には義
の冠が備えられていることを覚えよう。
08'10. 5 (日)
★成長★(K・T)
28日の礼拝後には愛ちゃんと遊ぶ時間が与えられた。先
月まで白板のマグネットピンを外すだけだったのに、はやピ
ンのマグネット部分を白板に向けて取り付け、手をたたいて
喜んでいる。その成長の早さには目を見張らされる。
1回1回驚きの発見を楽しみにもしている。この成長の背後に、育て
たもう神様の恵みがあること、また両親の愛と、愛を土台に
した献身的な保育があることを覚えたい。
出生当時、父親は学校を早退して彼女の産湯を使ったという。
入浴とともに食事の調節、排泄の調節と慣れない者同士が戸惑いながら一
つずつクリアし、一年を経過した。順調に育ち、ハイハイし、
つかまり立ちするようになり、体の成長とともに頭脳も成長
していく。なんとすばらしいことだろうと深く感動させられ
る。とともに、霊の成長にも同じことがいえるように思う。
エペソ4章15節に「愛をもって真理を語り、あらゆる点にお
いて成長し、かしらなるキリス封こ達することができるため
なのです。」とある。私たちの内に住んでおられるキリストの
成長が順調であるか否か、反省する必要がある。デイボーシ
ョンについて、聖書通読について、とりなしの祈りについて、
集会出席、献金、伝道、奉仕とあらゆる角度から点検して、
ベストのクリスチャンへと成長したい。「そういうわけです
から、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に
役立つこととを追い求めましょう。」(ローマ14:19)
08'09.21 (日)
★天国市民の礼拝へ★(K・T)
去る9月15日、S姉の葬送式が営まれた。
司式者は説教で「S姉は地上の礼拝から天の礼拝に移された」と
語られた。棺に納められた遺体は、大変笑顔美しく、まるで
賛美をしている様で、本当に天の礼拝に移されたのだと納得
させられた。
天の礼拝。そこでは、あらゆる国民、部族、民
族、国語のうちから数え切れないほどの大勢の群集が、白い
衣を着て、棕櫚の枝を手に持って、御座と子羊の前に立ち、
大声で叫んで言う。
「救いは御座にある私たちの神にあり、
子羊にある」と。またひれ伏してアーメン、賛美と栄光と
知恵と感謝と誉れと力と勢いが永遠に私たちの神にあれ」と
神を礼拝するのだ。
なんと素晴らしい、そしてスケールの大
きな礼拝であろうか。限られた地域での礼拝から、永遠に続
く、神様とイエス様を目の前にした礼拝!
到底地上では想像
すらできない光景ではないだろうか。70歳を過ぎてもコワイ
ヤーで歌っておられた姿を思い出す。老いると何でも消極的
になりがちだが、信仰の良い先輩に恵まれて感謝している。
天の礼拝に加わった姉は「神は彼らの目の涙をすっかりぬぐ
い取ってくださるのです。」(黙示録7:9〜17)の恵みにあず
かっている。
神様が涙をすべてぬぐい取ってくださるという
のである。ハンカチか、手ぬぐいか、あるいはティッシュペ
ーパーか、神様が御手をもって、天に帰ったひとりひとりの
涙を一滴残らずぬぐわれるのだ。永遠の慰めにハレルヤ!
08'09.14 (日)
★天国市民のオリンピック★(K・T)
熱気に産れたオリンピックが終わり、現在はパラリンピッ
クが北京において行なわれ、メダル獲得に歓声が上がってい
る。
日本の朝夕は、鈴虫やこうろぎの鳴く声が涼風の中に心地よ い。朝散歩をしながら、今日も神様の恵みを頂いた。
「闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ち
る冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠
を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がど
こかわからないような走り方はしていません。
空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて
従わせます。それは、私が他の人に宣べ伝えておきながら、
自分自身が失格者になるようなことのないためです。」
(Iコリント9:25〜27)
天国市民のオリンピックには、健常者も障害者もない。
心にイエス・キリストを頂いた者が、どれだ
け忠実にこのキリストを心に保ち、維持し、訓練し、成長で
きるかが問われる。決勝点は神の御前であり、競われること
は「忠実さ」である。
この競争には年齢の制限もない。神の
御前に立った時に「善かつ忠実な僕」と許されることこそ、
永遠の世勘こ通用する朽ちない冠なのだ。
そしてパウロは「あなたがたも、貨を受けられるように走りなさい。」と言う。
「忠実さ」が競われるなら、私たちにも賞が可能なのだ。失
格者とならないように注意しながら、決勝点を目指して、あ
らゆることに自制し、従わせて頂きたい。
08'08.31 (日)
★バランス★(K・T)
8月28日で今年の四国聖会は幕を閉じた。またお会いで
きることを願いながら、皆それぞれのコースへと遣わされて
いった。感謝!
聖会の恵みを数えている時に、示された事が
あった。朝食のバイキングは楽しいコーナーである。他の器
をのぞくと、ウインナー、卵、ハム、パンがあり、片手にオ
レンジジュースが。その方は美味しそうに食べていたが、私
はそのアンバランスさに不満を感じた。
バイキングに並ぶ時は、私はまず栄養素の6群を確認する。
そして1〜6群から一品ずつ、バランスよく器に盛っていく。せっかく食品の種
類の豊富なバイキング、たとえ種類が少ない時でも、バラン
スよく栄養素を換ることを心がけている。健康の秘訣はそこ
にあると思うからだ。
聖会も一つの霊的なバイキングといえよう。聖会第1夜は、内面的罪を扱われる救いの恵みが確認
される。聖会第2夜は、性質的問題が扱われ、きよめの恵み
が確認される。聖書講義は、直に手を触れながらじっくりと
聖書を学ぶ。宣教会は学んだ御言葉に生きて証しする。どれ
も霊的な健康を維持するために、大切な栄養素が入っている。
バランスのとれた霊的バイキング、来年はぜひとも聖会を楽
しみに出席したい。
「平和の神御自身が、あなたがたを全く
聖なるものとして下さいますように。主イエス・キリストの
来臨のとき、責められるところのない様に、あなたがたの霊、
魂、体が完全に守られますように。」(Iテサロこニケ5:23)
08'08.24 (日)
★目をさまして、祈っていなさい★(K・T)
教会のフェンスにあったお花はどうしたんですか?ある姉妹から質問を受けた。
あれは昨年冬のこと…モミの木が枯れ始め、薬が落ちるようになった。
このまま枝だけになったらキジハトの巣が危ない!
この危機感が、数年間フェンスに美しい花をつけて私達を楽しませてくれた、
ノウゼンカズラを処分する決断へと導いた。
このカズラはモミの木の周りに根を張り、栄養分を吸い取りたくましく太くなり、フェンスの
先の方まで伸びて花を咲かせていた。花の色もきれいで、教会の前を通る方々も楽しんでいた。
惜しい思いもあり、そのままにしていたのだが、モミの木の限界と、キジハトが何度
も卵を産み子育てする大切さを思い、やむなき決断となった。
枝はしっかりフェンスに絡みつき、除くのが大変で、枝を外
した後のフェンスにはペンキを塗る必要があった。樹の部分は太くて、ノコギリで切るのも大変だった。
本当は根を取り除かねばならないが、モミの木に蔓延っていたため、全部除くことが出来ず、
部分切除に終わっている。しかしこれが問題で、ちょこちょこ出てくる芽を除く作業が大変!
うっかりしているとあちこちから芽を出し、花を咲かせんばかりの勢い。今日も芽を除きながら、
ゲッセマネで語られた主の御言葉「誘惑に陥らないように、日をさまして、祈っていなさい」を思
い巡らしている。心が燃えていても肉の弱さを持つ人間に対
して、産みまで理解して下さっている主を思うひと時である。
08'08.17 (日)
★力の限り喜び踊る★(K・T)
今年は久し振りに街頭の「阿波踊り」を見た。
盲導犬と共に踊る人々に、5歳前後のチビッ子達の踊り、県知事を先頭に
150名の職員による徳島連の踊りなど、数年前とはだいぶ様変わりしているのに驚かされた。
有名連もスポンサーと共に踊っている様は、時代の厳しさを
物語っているのかもしれない
大太鼓、締太鼓、笛、三味線、鉦の音のどよめきを聞きながら、
私の心に「力の限り喜び踊る」もう一つの踊りが浮かんで来た。
それは、サムエルU6章に記されているダビデの踊りである。
彼は神の箱を新しい車に乗せて、丘の上の家からダビデの町に
運ぼうと、歌を歌い、竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、
シンバルを打ち鳴らして、主の前で力の限り喜び踊った
王自ら、主の前で跳ねたり、歌ったり、力の限り喜び踊ったのだ。
彼は亜麻布のエボデを身につけて歓声を上げ、角笛を吹き鳴らして、
主の箱を運んだのである。阿波踊りの上手な人を見ていると、
手足の指先、顔の表情まで踊っていて素晴らしい。
ダビデの踊りは決して上手だったとは思えないが、
主の臨在の故に心から喜んでいる、とびっきりの笑顔と、
全身に喜びが溢れた力強い踊りだったのではないだろうか。
力の限り踊る王とイスラエル全家の喜びの踊りは、
人々に大きな感動を与えたに違いない。主の臨在の前に、
私達は「力の限り喜び踊る」信仰者であろうか。
主の臨在の前に、心の喜びを全身に表わせる毎日の生活を営みたい。
08'08.10 (日)
★平和への祈り★(K・T)
今年も原爆の日がやって来た。1945年8月6日、プル
トニウム型爆弾が1個広島に投下された。この爆弾は、アメ
リカのバークレー研究所で、戦争を終わらせるために生成さ
れた。その熱は3千度〜5千度と言われる。この放射線を浴
びると、外傷に火傷、白血球の減少、脱力感、嘔吐、下痢、
その他内出血、皮下出血、脱毛、発熱等造血機能と生殖機能
がダメ】ジを受け、原爆症となる。この認定を受けている人、
まだ認定されていない人も含め、どんなにか苦しい人生だっ
たろう。勿論当日、被爆し黒こげに死んだ人、水を求め歩き
ながら息を引き取った人、川に飛び込み芋洗いのような状態
で死んでいった人々の苦しみも忘れてはならない。漫画『は
だしのゲン』の作者・中沢氏によれば「あの地獄はこの目に
焼きついている」とのこと。今別れたばかりの人が遥か遠く
に吹き飛ばされ、真っ黒い姿で立ったまま白い目だけが自分
を見ている様は、6才の少年には過酷な経験だったろうし、
その後の人生も想像を絶する。原爆の苦しみを負いながら生
きてこられた方々に感謝するとともに、イザヤ53・4の主の
救いに与って一人一人の心に平和が与えられるよう祈りた
い。私達は平和な生活に甘んずるのではなく、問題や困難に
積極的かつ勇敢に取り組みたい。イザヤ46・4の共に背負っ
て下さる主にすべてを委ね、栄光のために造られたイザヤ
43・7の目的を全うさせて頂こう。一人一人の心に平和を!
08'08.03 (日)
★交通ルール★(K・丁)
数日前、自転車に乗った人が高速を走り、間もなく自動車
にはねられて死亡した、とのニュースが報じられていた。何
回か、自転車が高速を走っている、と警察に通報があったら
しい。交通ルールを守らなかった自転車の人が当然悪いのだ
が、はねた自動車はどうだったのだろうか?事故の原因の多
くは見落としだが、ルールを忘れていることによる事故も少
なくない。あれっ?と判断に迷ったりしたことはないだろう
か?そんな時、教則本は頼りになる。実は私の父、86歳に
の
して今なお現役ドライバーである。彼の車には教則本が載っ
ていて、事ある毒に教則本を見ている。反応は鈍いが、判断
力は実に正確。手本を見ながら絶えず記憶を正確に保とうと
努力している姿にいつも感心する。そしていつも思う、霊の
世界も同じだと。私の罪のためにイエス様が十字架に死んで
下さった事、それを信じた者は罪を赦されるだけでなく、罪
をもたらす性質も潔められる。この意識を正確に保つために
は、霊の教則本なる聖書の基準に照らし、扱われ、基準にな
い白らを箸ねて、聖霊の導きに従って歩む生活が大切。Uテ
モテ3:16に「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教
えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」とある。年
とともに記憶が不確かになり、人間であるゆえの弱さを感じ
る者ではあるが、聖書を書く時働かれた聖霊が、その弱さを
も支えて助け、ルールを守らせて下さるとは!素晴らしい!
08'07.27 (日)
★ひとみのように★(K・T)
熱中症で倒れる方がニュースになっています。
お互いにくれぐれも健康には留意しましょう。疲れが過
度になってくると、目から涙が出ることがあります。経験さ
れたことありませんか?日は小さい器官ですが、脳の一部分
と言われるくらい、脳と関係が深い大切な存在です。遠くの
ものも近くのものも、遠近を自由に見極め、逆の映像を正し
く受け止める、素晴らしい道具です。また、絶えず涙で乾燥
を防ぎ、心地良く開閉できるようにしています。それに加え
て、眼底を見ることによって、血管にどのような変化が起き
ているのかもわかるのです。昔から目は口ほどに物を言う
≠ニ言われますが、それは瞳に焦点が合わされているからで
しょう。赤ちゃんの瞳を見て、私達は慰められたり、その清
らかさに自らの汚れを示されたり、また愛する者の目によっ
て心熱くしたり、愛を感じたりするわけです。「からだのあ
かりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなた
の全身が明るいが」とマタイ6:22にありますように、一番
小さい目が全身を、否その人の心の内を表わすというのです。
この目を私たちは大切にしなければなりません。機能性だけ
でなく、心を清く保つ必要があります。神様は私たちを「ご
自分のひとみのように」(申命記32:10)守ってくださってお
られます。賛美歌264番を歌いましょう。♪ああ主のひとみ
こたまなざしよ、…主ならずや♪神様の愛にお応えしましょう!
07'09.16 (日)
先月青空市に行った時のことです。 少し距離があったのですが、知人に気付いた私は 思わず手を振りました。 当然その方も手を挙げるなりして近寄って来るものと
思っていたので、言葉を交わした時 「見てる所が違うから」との答えに私はハッとしました。
「見てる所が違う!」ダビデという聖徒は一国の王にまで なった人ですが、生涯神様に集中した目を持っていた人でした。
『私の目はいつも主に向かう』詩篇25:15 『私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている』詩篇26:4と。
親として最も辛く苦しい息子の裏切りと反逆に見舞われた時でさえ、 目を神様に集中して乗り越えて行きました。
問題課題が起こるとついその中に入り込んで右往左往してしまう。 そしてキョロキョロとあちこちを見回しては意気消沈してしまう。 しっかり神様を見つめ、常に神様に目をつけた生活を させて頂かなければと願わされ大いに反省させられた朝でした。
(K.T)
07'09.02 (日)
「心の目を大切にしましょう」
私の母は30代の頃、山に薪を取りに行き落ちてきた枯れ木が左の目に落ちて失明しました。その後の針仕事には苦労していました。私が針の穴に糸を通すというお手伝いをしたことを覚えています。
今私は白内障で、しばしば本を読む時に苦労することがあります。目の苦労はつらいものですね。
聖書には目に係わる話が多く述べられています。
肉眼で見る目と目を閉じて見る目があるのですね。
イエス様は「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るい」(マタイ6章22節)とおっしゃいました。
別の翻訳では「あなたの目が澄んでおれば」と訳しています。
もちろんイエス様は文字通りに澄んだ目・きれいな目という肉眼のことではなく私たちの心の目のことを言われました。
「目が健全」ということは私たちの心が健全であって心がきよいということです。心の目がはっきり見えるようになり神の目も見えてきます。
心の目が健全な人は他人の欠点・過失・弱さ・失敗に目をつぶりますね。
他人のあら探しを得意とする目を持っている人もいますね。
イエス様は「人のあら探しはいけません。自分の目に材木を入れたままで、どうして人の目にあるおがくずほどの小さなゴミを気にするのか。まず自分の目から材木を取り除きなさい。」(リビングバイブル)と言われました。
神様から健全な目・澄んだ目きよい目を頂いて、自分の罪をしっかりと見据え罪を取り除いて頂きましょう。
そうすれば人を助けることができます。ここから本当に祝福された生活がスタートするのです。
自分に甘く他人に厳しいひとではなく、他人に優しく自分に厳しい人になりたいですね
(T.T)
07'07.04 (水)
お元気ですか?
教会のもみの木に山鳩の巣があって今日、今年三回目の巣立ちがありました。
親鳩が後退で一日も休まず卵を温めると二週間くらいで雛に孵ります。
親鳩は両方の翼の中に一つずつ雛を入れて2〜3週間抱いています。
雨が降ろうが、嵐で木が揺れようが、勿論雪が降ろうが寒さや雨の浸透等から守り、温度を一定に保ちながら餌を与えて育ててゆきます。
翼に抱けなくなる頃、親は多くの餌を与えるために巣に戻る時間を少なくし巣立ちへと促していきます。
巣立ちの時は餌を与え、飛び立つのを待って一斉に飛んで行くのです。
聖書に『主は、ご自分の羽であなたを被われる。あなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は大盾であり砦である。』とあります。
神様がご自分の羽で私たちを被って下さるというのです。
何を拠り所にしたらいいのか解らないこの時代、聖書の神は真実で裏切らず、大盾とも、砦ともなら頼りがいのあるお方です。
(K.T)