『リバイバルへの再考』
聖句
「ゼルバベルへの主の言葉だ。『権力によらず、能力によらず、私の霊に
よって。』と万軍の主は仰せられる。」 ゼカリヤ書3章6節
「聖霊があなた方の上に臨まれる時、あなた方は力を受けます。」
使徒の働き1章8節
高島師、慶子師は徳島教会赴任23年目の再任となりました。今の心境は
「私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。主の憐れみは
尽きないからだ。」 エレミヤ哀歌3章22節
の御言葉に集約される感じです。
「神の憐れみ」ということが個人的、教会的に深く思う次第です。
神的には憐れみであり、人間的には時効となったのではないか。
そのような背景から、「リバイバル」を再考したいと導かれました。
最初の赴任は歓迎礼拝でしたが、牧師家族4人を含む6人の礼拝から
スタートしました。前任地から頂戴した餞別金10万円は、徳島教会の
家賃3〜4月分、ガリ板用印刷器具類で消えてしまった。
電話は教会所有のものではなかった。
しかし、牧師二人に与えられた共通の御言葉は、
「我は全能の神なり」(創世記17・1)のみを全的に信ずるだけでし
た。幼稚園に入園した長男が「自転車が欲しい」という。
祈りのために眉山に行く途中、牟岐線の土手に捨ててあった小さい
自転車を見つけ、拾い、錆を落とし、唯一新しい補助輪二つを付けて
子供に与えた。子供は大喜びであった。給食は無料でした。
三年目には、長女が幼稚園から楽しい一年生になった5月、
肺浸潤となり9月頃まで学校に行けず、自宅療養が続いた。
その頃から、受洗者が増加しはじめた。
牧師達は、海に山に祈祷に行くことが多くなり、教会では
徹夜祈祷会(月1回)がもたれ、断食を希望する会員には断食祈祷の
時間が設けられた。
その頃の反響について
【1】徳島のリバイバルか!
ある年会に上京しましたら、ある先生は「礼拝20人を越え、
もう30名が近いリバイバルだね。」ある先生は「徳島がリバイバル
になっているのは何か理由は・・」
ある先生は「受洗者が一年に7名も与えられて・・」などなどでした。
”いかに自立したキリスト者になれるだろうか”が
私たちの深い祈りでした。
【2】リバイバルの背景
私たちの群れはメソジストの信仰の流れにありますので、
J・ウェスレーのリバイバルの発端に注目したい。それが徳島の
諸教会、四国の諸教会更に、日本の教会のリバイバルにつながって
いるように思う。
1739年1月1日を迎えた日記によれば、約60名の兄弟達が、
フェタア横町において楽しい愛餐式を共にしていた。
「午前3時頃、祈り続けていた時、神の力が私たちの上に激しく
降り注いだため、多数の者は喜びあふれて叫びだし、ついに床に
倒れる者も出るに至った。神の臨在によるみいつと驚きとでやや
正気づいた私たちは『われら汝を賛美し奉る。おお、主よ、
われら汝を主とみとめ奉る』と、異口同音に叫びだした。」
(ウェスレー日記より引用)
これは記念すべき年のスタートであり、日記の3月2日には、
野外説教の事が記録されています。「午後4時、私は自らを
卑しくして、救いの福音を宣べ伝えた。
聴衆は約3千。」そしてルカの福音書4章18節
「主の霊が、・・・」を引用して3千人に向かって話をしたと。
当時、宗教感情は低調で、国教会は世俗化し、人々の道徳は地に
落ちて堕落した状態だったのです。暗黒でした。
【3】リバイバルへの道
いつリバイバルが起こるのだろうか。日記には午前3時頃・・・
そこには祈り続けた姿があります。事実、いつも霊的な必要が
最大の時に神は乾いた心、ひからびた霊魂に水を注がれるのです。
そして、私たちが代価を払う気持ちを持てば、必ず起きるのです。
先ず罪の告白と償いです。御言葉と祈りから遠ざかっていないか、
もう一度半夜か徹夜の祈りがなされなければならない。
次に主イエス様の証しです。そして聖霊の油注ぎを受ける事です。
賛美歌347番「御霊のリバイバル主よまず我が内に」です。
アガペーの愛が聖霊によって教会に、私に注いで下さい!