『キリストの御苦難の欠けた部分を補う者』

聖句
「私は、あなた方のために受ける苦しみを喜びとしています。
そして、キリストの体のために、私の身をもって、キリストの
苦しみの欠けた所を満たしているのです。キリストの体とは
教会の事です。・・・・教会に仕える者となりました。」
              コロサイ書1章24・25節


21世紀初年度も早、下半期に踏み込みました。教会は『飛翔の年』
として出立致しました。イザヤは”主を待ち望む者は新しい力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。”と神の御声を聞き、
人々に宣言しました。鷲のように翼を張って高く高く舞い上がる
信仰生活であっただろうか。地上の事柄にしがみついてはいない
だろうか。新約のキリスト者はもっとイエス様に目を向けたものです。
先ず、次の賛美歌を心から歌いましょう。あなたの心と霊魂に
深くとどまる賛美をしよう!

1.十字架はよし重くとも 笑顔もて負い行け
  周りの人の憂いをも 担い得べければ
  笑みを湛えて 十字架負い行け
  悲しむ者を喜びに 導き得べければ

2.汝が立場よし辛くとも 忍びもて止まれ
  さ迷う人の疲れをも 癒し得べければ
  笑みを湛えて 十字架負い行け
  悲しむ者を喜びに 導き得べければ

3.働きはよし見えずとも 望みもて努めよ
  栄えの内に喜びて 刈るを得べければ
  笑みを湛えて 十字架負い行け
  悲しむ者を喜びに 導き得べければ

【1】キリストの苦しみ

創世記1章には創造の結果、「神は見て、それをよしとされた。」
だが罪がこの世に侵入し、苦しみは、争いや苦痛、苦悩、堕落、
労苦、死という形で入ってきました。
キリスト様は苦悩のしもべとしてイザヤ書に預言されています。
神的な面から見ると、イエスの御業は、人間のこの種の苦しみから
救い出すことであり、同時に罪と死から解放することでした。
正に神様の御計画、御心を成就するための御苦難でした。
人間的な面から見ますと、母子家庭の長男として、母マリヤ、
4〜5人の弟と妹を養う立場にありました。
しかし、30才にして、神の国の福音宣教のために公的生涯に
入られました。家庭的苦悩があったことと想像することも出来ます。
それを乗り越えられて、イエス様は今もなおご自分の民達、有機的
共同体の教会を通して苦しみ続けておられます。

【2】パウロの苦しみ

パウロは、今の獄中生活がコロサイ教会を含む異邦人に伝道する
上での苦しみとして受け取り、それによって多く人々が福音の
恩恵に与るのなら、むしろ大いなる喜びですと言うのです。
コリント第二の手紙1章8・9節
彼は、教会のために仕え、教会のための苦しみの中で、イエス
御自身が苦しまれる姿を見取っていたのです。
そして、イエスが願っておられる教会の完成はまだでした。
キリストの欠けた苦しみを満たし続けるコースにいることを
自覚していました。それ故、「私の身をもって」とは、真の
クリスチャンの生き方を証しいています。
そこには甘いムードや考え、理屈ばかりをこねていて自分の
身体をもって主イエス様に仕えようとする観念的信仰はない。
彼の苦難の宣教は、神の御計画を遂行するイエス様の苦難の
歩みを辿る道でありました。

【3】私たちの苦しみ

私たちは旧約聖書の人物から人間のすべての苦しみを知る事が
できます。ヨブの苦しみ、ダビデの苦しみ、そこには失望があり
絶望があり、深い心の痛みがあり、さらに神の沈黙がありました。
それは信仰を深める契機、信仰の目が開かれ神のみを見る経験
神と共に歩む確証につながり、高揚された信仰者に育まれました。
私たちは冒頭の賛美歌を歌えるクリスチャンにならせて頂きたい。
あなたが背負う苦しみは、すでにイエス様が負って下さっておられる
のです。今こそ、イエス様の苦しみを負う者になりましょう。
その時、夫のこと、子供のこと、姑のこと、経済のこと、病のこと
心を占めている大問題も小さく小さくなり、イエス様の欠けた所を
満たそう。


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