−徳島25年・就任の辞−
『愛ーよりすぐれた賜物』
聖句
「愛は寛容であり、愛は親切です。・・愛は
決して絶えることがありません。こういうわけで、いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
コリント第一13章4・8・13節
第57次年会において、私たち二人は再任命を拝受し、徳島教会25年目の奉仕に入りました。IGMは合議的監督制度をとり、牧師たちは神からの任命を受け、全国、海外に派遣されるのです。牧師たちは神から召命を受け、全生涯(いのち・教育・財)を神にささげて奉仕をします。故に、この世の財・土地。建物の所有物はありません。主イエスの福音の偉大な栄光の道を歩む者達の使命であり、恩寵なのです。また、聖徒と呼ばれるクリスチャンたちの栄光の道であり
人生の勝利の道なのです。その内容、本質を知り、理解し、体得することが大切です。『就任の辞』として、『愛』の再考、『愛』の再発見をするように導かれました。『愛』という言葉は3種類に分けられるのです。@(エロス)欲望的な愛、A(フィリヤ)人間相互間の愛、B(アガペー)一方的な愛。昨年、皇太子ご夫妻の女の子の名前は「愛子」とつけられました。中国の古典・孟子の書に「仁者は人を愛し、礼有る者は人を敬す。人を愛する者は人恒に之を愛し・・・」とあり、ここから引用されたことはご承知のことでしょう。この『愛』は、A人間相互間の愛の意味です。新約聖書のアガペーを訳すとき、日本語にないために学者達は苦労されたという。聖書の示した『愛』は、@Aよりも深く高く広いBのアガペーの愛で、新約聖書に見る愛は、アガペーの愛のみです。
【1】神様の愛
(1)大きな大きな愛
”神は、実に、・・・この世を愛された。”(ヨハネ3:16)この世とは全世界の人々です。神様の目は、人種や肌の色の区別も差別もなく、すべて等しくご覧になり、愛されました。しかも、一人一人の人間を貴いものとして愛されました。さらに、悪い人も正しい人も常に変わりなく愛されました。実に広大無辺の愛です。
(2)豊かな限りのない愛
人間の愛には限界があるのです。夫と妻、親と子、兄弟、姉妹、友人の間には限りがあり、かえって何かが起こるといがみ合い、憎しみ合う。人間の愛の限界ですね。限りない豊かな愛は、神から注がれるのです。ローマ5章5節「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」実に、信仰者の恵みです。
(3)具体的な愛
神様の愛は、神のひとり子なるイエス・キリストにより、私たちに現されました。この罪の世に遣わし、罪の身代わりの死という十字架にかけ、殺しました。これ程、具体的実際的な愛はないでしょう。
【2】イエスの愛
(1)父なる神を愛する主
”私が父を愛しており、父の命じられた通りに行っている。”(ヨハネ14章31節)と、イエス様は神様を愛されました。
(2)すべての人を愛する主
すべての人間を愛されました。失われた羊に対するイエス様の愛は徹底したものでした。
(3)一人の為に命を捨てる主
”キリストは、私たちののためにご自分のいのちをお捨てになりました。”(Tヨハネ3章16節)。主はマグダラのマリヤをはじめ、多くの罪深い人々を救いに至らしめました。
【3】クリスチャンの愛
クリスチャンにならせて頂いたということは、神様から多くの賜物を頂戴したのです。その中で、もっとも素晴らしい賜物!それこそ!愛なのです。ところが、愛の誤解が起こるのです。”あの人は、何で愛が薄いのだろう””先生も愛が足りない”と、人数の増加と共に起こるのです。相手に要求している心に気付かない。愛の再考、愛の再発見を具体的な事に直面した時に、体得しようではないか。Tコリント13章『愛の賛歌』を身につけようではないか。その時、あなたは大変貌をします。”神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は、重荷となりません。”(Tヨハネ5章)