−いのちの質を深めて−
『誕生・回心・聖化・栄化』
聖句
「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストは死んだ人にとっても、生きる人にとっても、その主となるために、死んでまた生きられたのです。」
ローマ書14章8・9節
最近心に止められる記事がある。惜別・著名人が残したお仕事の内容を短く紹介した文、そして享年何才であると書く。
人間の誕生の様はそんなに個人差はないが、死を迎えるまでのプロセスは千差万別である。皆さんと共に死生観を考えてみたい。特にキリスト者にとっては、証しの面から重要である。
【1】死、人生の悲劇・恐怖
世界中いたるところで、人々の心から、あの人はどこへ行ってしまったのだろうかという声の響きを感じる。死は遅かれ早かれ私たちにやってくる。死の問題ほど普遍的でありながら、無関心なものはない。死があまりにも厳しい現実であるために、誰も直視しないではないか。しかし、死に臨む時こそ、人生の最後の孤独な戦いがあり、ただ一人であることを経験させられる時なのである。死の床では、夫も妻も子供も他者として枕辺にその顔をさらすのである。この世の名誉も成功も勲章も死の床にて消えてしまう無念さがある。人間の死の備えをしないゆえであろう。
【2】信仰者の死生観
使徒パウロの『死生観』は、冒頭の聖句に凝集されている。新生児はどこに向かうのか。突然の死や長い病気、そして老衰などで死に直面する。しかし、人間は永遠を思う万物の霊長であるゆえ、死後の世界に確信を持たねばならない。「いのちの質を求めて」<ホスピス病棟日記>下稲葉康之著を読んで、クリスチャンの死生観の偉大さに感銘を深くした。序論の9ページに「死は決して人生の惨めな敗北ではなく、人生の完結であり、天国への晴れがましい旅立ちである」と。天国信仰を持つ者の心の平安と確信である。正にクリスチャンという生き物こそ、自分の周囲の方々に信仰と確信をもって伝える義務がある。あなた自身が死はこの世との別離であるが、同時に新世界への旅立ちdあるという信仰に基づいた死生観を持っておれば、愛する者に迫りくる死を落ち着いて見つめることができる。又、信仰と確信をもって、あなたは伝道すべきである。
【3】聖化・栄化・栄光
私たちの生も死もキリストのためであること、その死生観のゆえにクリスチャン人生に、きよめ・栄化への目標が示されるのでる。救われた者は「信仰に始まり信仰に進ませ」「栄光から栄光へ」と向かって行く。聖徒(クリスチャン)はいよいよ聖なるものとされる。N姉妹の神経験は、その道を歩んでいる途上の心霊的喜悦の一端である。キリスト者は、罪と苦難に満ちた失望と悩みの世界から離れ、栄光と祝福に輝いた自由の世界へ行けるのは遥かに素晴らしい世界だから。 黙示録14章13節・・・・死は喜び!