−教会が強くなるために−
『聖霊と祈祷会について』
聖句
「この人達は、婦人達やイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟達とともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」「五旬節の日になって、・・・・・・・すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、・・・・」
使徒の働き1章14節・2章4節
皆様方、主題を読まれて心にはどのような応答がなされたことでしょうか。短文ですが、目を通して頂きたいと存じます。
【1】祈祷会の原形
イエス様は昇天の時に、「わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。もう間もなく、あなた方は聖霊のバプテスマを受ける」と言われ、使徒達、イエスの家族など百二十名が集まり、熱心に祈り合った。初代の祈祷会の姿が見られる。使徒達が祈っているところに聖霊は下った。聖霊の働きは教会を造った。私たちも聖霊によって造られている。感じるでしょうか。
【2】祈祷会の不振
厳しい現状であるが、日本の教会には祈祷会をやめる教会が多いと言われる。徳島の諸教会の中にも祈祷会がない教会があり、本当に驚いたことでした。徳島教会の祈祷会はどうか。最初の頃、救われて間もない兄姉はお祈りの方法を短文書にて学んだが、お忘れかも知れない。祈祷会に出席されて祈りが身に着いてきた。祈祷会に出ると確かに人間が変わってくる。信仰が前進的になる。自分の心の中に不平や不満。周囲に愚痴などが起こるときは、大抵は祈祷会が守られていないときである。祈祷会に出て祈ると御言葉がよくわかり感謝が湧いてくる。感謝な心は希望になり、人を生かし、皮肉や陰口や悪口に興味を示さない。主に愛される者になって成長してゆく。アーメン
【3】祈祷会による一致
祈祷会での司会者の開く御言葉や証詞は、集う者に喜びを与えてくれる。整えられ恵まれた教会とは御言葉に学び共に祈るところであり、主にある健全な交わりが出来る。誠にコイノニアであり、エクレシアである。聖書の学びと祈りと賛美こそ教会の生命である。「祈りの仲間」は、鎧を脱ぎ、あるがままに受け入れる場所、それが祈祷会である。徳島教会もそのような教会になりつつあり、祈祷会の一致となる。
【4】祈祷グループ
祈祷にはいろいろな課題があり、祈らない、祈れないことについての理由もあろう。しかし、一生懸命に祈りたい。もっと祈りについて知りたい、そして生きた信仰生活をはじめたいと願う人もいる。そこに2〜6人の祈祷グループが生まれる。今までよりもっと徹底して、イエス様に従い、神様の御心を行うことを目指す信徒グループである。祈祷という人間の深い経験を通して神様の御旨を知り、神様からの助けを得ようとする。このような祈祷の群れを起こされるよう切願する。これは幻である。
【5】祈祷会による共同体
教会は祈祷を大事にする共同体であることが共に祈ることによって確認させられる。ペテロが牢獄に閉じこめられたとき「教会は彼のために熱心に祈り続けていた。」牧師の奉仕の主要な部分はなにか。「もっぱら祈りと御言葉の奉仕に励む」と祈ること。新しい人が教会に来る。真剣に祈る。役員会、婦人会、壮年会、男女青年会、信徒の子女たちのために祈る。病人のところで祈る。牧師は一人の時、皆で居る時、密室の時、一対一でいる時も主に祈る。祈祷の共同生命体になろう。