−教会が強くなるために−
『天国への道』
聖句
「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることなく、また、誰でもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」(ルカの福音書23章43節)イエスは言われた『あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいます。』
ヨハネ福音書10章28節
去る8月25日には、一人の姉妹の告別式が神の栄光の裡に執り行われた。昇天日前日の21日、牧師達は病床を安問し天国への長い祈祷、アーメンの終了と同時に同姉の右の手で軽く握られた。祈祷には意識して応答され、私たちは感動した。告別式を通して、故姉妹は一人の女性として、母親として素敵な生涯を全うされたこと。又、周囲の人々や教会に対する配慮など、死後の事まで心を用いられた。実に、ほれぼれするような「綺麗な死に方」だったと思う。 さて天国への道を考察しよう。
【1】死は現実
死は実に残酷なもの。死は生ある者には必ずやってくる。誇りにした若さも、健康も、財力も、権力も、医学力も、親の愛情も死を止める事は出来ない。死はまた、人間の優れた能力も、苦労して築き上げた名声や地位・財産さど何一つ死のかなたには持って行けない。
にもかかわらず、死を語り合うことはタブー視され、死は忌み嫌う社会である。死を迎えつつある人は、病名は知らされていなくとも体で感じる。そして本人は死の不安を誰かに理解して欲しいと望んでいる。しかし、家族や病院のスタッフは死の話題をそらそうとする。周囲の者にはとっても難しいことだ。しかし、死を語り合いたい患者もいる。死と生への挑戦である。最も難しい死の受容は、事故死や急性死で、心の準備のない家族にとって、死別後の悲しみは非常に強く、死を受け入れるのに時間を要する。欧米諸国では「死」が学校の教育のプログラムの中に組み込まれているとのこと。死の教育という専門誌もあるという。私たち大人も、子供達も時折立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。
【2】天国
人は死そのもの、死後のことに不安を持つ。そこに死生観が重要である。『特に、キリストを信じ、死が人生の終着点ではないと確信して死を迎える人々は、人生を全うできるとの満足感があり、更にはやがて再会出来るとの希望を抱いて天国へ凱旋するのである。かくて、死は決して人生の惨めな敗北ではなく、人生の完結であり、天国への晴れがましい旅立ちであると言える。』(いのちの質を求めて−ホスピス病棟誌より引用)そこに自分の葬儀や納骨のことや周囲の人々への感謝の言葉にまで発展してしまう。
神は死への勝利の道を開いて下さいました。御子イエス様が私たちの罪の身代わりとなって十字架上で死に、信じる者に罪を赦しきよめ、また、三日目に復活して、私たちが天国に入る道を開いて下さいました。それゆえ、肉体の死は天国への入り口となった。しかも、主イエス様の再臨の時に、すでに永遠のいのちを持って死んだ者も、その時生きている者も『栄光の体に変えられる』のである。永遠のいのちは神の御国で、神御自身と神を愛する人々と「また会う」あなたの誕生はあなたが決めたのではないが、あなたの死に方はあなたの意志で決められる。『死』という大事業に勝利を!