『戦争と平和・命と死』
聖句
『何が原因で、あなた方の間に争いがあるのでしょう。あなた方の体の中で、戦う欲望が原因ではありませんか。』
ヤコブ4章1節
『キリストこそ私たちの平和であり、隔ての壁を打ち壊し、ご自分の肉(十字架)において、敵意を廃棄された方です。』
エペソ2章14節
私は学生時代に「戦争と平和」(ロシア文豪・トルストイ著)を読んだとき、皇帝支配、国家権力、指導者、貴族たちに翻弄される庶民の姿が哀れに思った。大土地所有の家柄に誕生したが、キリスト者として生かた示したトルストイは、この書で「人間社会の進路というのは、指導者によってではない。最終的には一般大衆、庶民たちによって決定されて行くこと」を主題にしたのです。彼はすべての土地を農民に渡したのです。
【1】戦争と平和
使徒ヤコブは、”義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。”(ヤコブ3:18)と、人間の理想的状態の平和を述べたが、人間の現実に姿は、”戦いと争い”です。人間の歴史は争いの歴史であり、国家間では戦争となり、個々の家庭でも戦いや争いが絶えない事実を見るのです。人間の原罪は、欲望、快楽、権力、支配権という形を成して表面化します。また、個々の人間や社会全体が敵意を持ち続けますと、やがて見える形をとって、”戦いや争い”となるのです。
今、世界は米英によるイラク攻撃、戦争への戸惑いを表しています。イラクは独裁国家ですが、中東のイスラム圏の中では最も信仰の自由が高い。キリスト教徒は人工の1%(2百万人)です。私は対イラク戦争にノーの祈をし、2百万人のクリスチャンを守り、やがてイエスの福音がイラク国内に広がることを望んでいます。「キリストこそ平和であり、敵意を廃棄された方です。」と平和の王として天から来られた方は、一人一人の罪を赦し、神との和解の仲立ちをなさり、十字架の死を遂げられました。そこにこそ、個人の平和、夫婦の平和から家庭の平和へ、そして国家の平和、世界の平和が達成されたのです。私もあなたもその一人として、平和の福音を携えて伝道に奉仕しようではないでしょうか。「平和をつくる者は幸いです。神の子供と呼ばれるからです。」(マタイ5・9)と、平和はクリスチャンにならせて頂きました私たちが創りだし、生産するのです。
【2】命と死
去る11日、埼玉県入間市で20代3人の男女が「インターネットによる自殺志願者募集」に応答して自殺したという。残された家族は驚きと共に、悲しみの中にあることです。親にとっては、自殺の心情が理解できないことでしょう。日本は世界一の自殺国です。国は教育制度に宗教を入れるか入れないかで論議中だとか・・3年間連続して、3万人を超えているためです。私たちは改めて、”いのちと死”を考察しなければならない。特にクリスチャンとなった方々は、聖書を通して命と死の課題に留意したい。イエス様は、”人は、たとえ全世界を手に入れても、真の命を損じたら、何の得がありましょう。その命を買い戻すのには、人はいったい何を差し出さなければ良いでしょう。”(マタイ16:26)と宣言的に語られました。
使徒パウロは、”自害してはいけない。”(使徒16:28)と宣言しました。人間の命の尊厳さ、霊のいのちの永遠性を含んでいるからです。人間のいのちが軽く扱われるのは、それは「死」の理解が浅いからです。死は一つの事故としか思えないような錯覚があるのです。人間にとって、どこでどのように死ぬかは、”罪から来る報酬の死”(ロマ6:23)また、「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。」(第一ヨハネ3:16)その二つの御言葉は、主の十字架の死を通して、神の私たちに対する無条件の愛、絶対的愛があります。この愛こそ命の尊厳性を教えているのです。