『神の家族を目指す年』
聖句
『教会はキリストの体であり、一切のものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。』 エペソ書1章23節
『あなた方は、・・・神の家族なのです。・・・このキリストにあって、御霊によって神の御住まいとなるのです。』 エペソ書2章19・22節
今年も親が子供を虐待したり殺害する事件をテレビで大きく放映し、新聞に大文字でも伝えていました。
子供は親の所有物という考え方が蔓延しているせいではないでしょうか。子供達には何を指針として育て教育するかということは、彼らの人生を決定づけするだけでなく、社会をも左右するのではないでしょうか。
聖書は子供は神から与えられた賜物であり、どんな子供でも目的をもってこの世に生を与えられていると教えている。この視点こそ現代の社会にどうしても必要である事を私は感じる。
特にクリスチャンには重要な事であり、再確認が必要である。
【1】家族機能の回復
少年少女の事件や問題が発生しますと、大抵はその子を説得したりカウンセリングしたりして、問題の解決を図ることが多い。変わる必要があるのは子供であるとして、ひたすら子供の矯正や治療をしようとする。
また母親は子供と毎日一緒にいて育てた責任として、母親の養育態度を問題にする。どんな問題でも、最終的には本人の自覚や意志によって克服するわけですが、そのためには家族の全体の心を健康に取り戻すことである。不思議と個人にも変化が現れる。
具体的に言うと、父親は子供の指針となる正しい価値観を示し、母親は慰めの存在になることである。この機能を発揮するのは難しい課題であるが、不完全な父性や母性であるゆえ絶対者なる神を知り、この方の愛に触れ神との人格的交わりを深くする以外にない。
ダビデは詩編32篇8節『わたしは、あなた方に悟りを与え行くべき道を教えよう。わたしはあなた方に目を留めて助言を与えよう。』と、神からの指針と価値観を与えられている。
イザヤ49章15節『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。』と神の慰安がある。
ここに人間の父母の愛を超越した神の愛(アガペーの愛)が家族の交わりの中で体験されて行く時、家族は本来の機能を回復することができるのではないだろうか。アーメン
【2】神の家族
教会は神の家族である。冒頭の御言葉のように、教会はキリストの体なのだから。
これは実に驚きである。私たちは教会を人の集まる集会程度に考えていないのではないか。
先ずあなたが教会の祝福を祈り、教会のために何が出来るのか主の体である教会を建てあげる事に心砕く時、主はあなたの幸せ、家族の祝福を保証している。もちろん、自分の家庭を放ってよいことではない。大切なことは教会こそキリストの頭とした神の家族である。