『四国聖会の意義と内容について』



聖句 
『これはゼルバベルへの主のことばだ。権力によらず能力によらず、わたしの霊によって。と万軍の主は仰せられる。大いなる山よ、おまえは何者だ。平地となれ。彼は恵みあれここに恵みあれ。と叫びながら・・』                                 ゼカリヤ書4章6・7節


今年もはや、上半期を締めくくる幸いな6月になり、教会、個人は年頭聖句を思い巡らし、回顧し主に感謝をささげる時です。「敬虔と感謝の年」を覚えたい。さて例年の如く『四国聖会への招き』の案内が届きました。聖会について、その発端、意義、内容を展望してみましょう。

【1】発端(開始)

聖会は「キャンプ集会」からスタートしました。19世紀に入りアメリカにおける信仰大覚醒は、朝から晩までぶっ通しで集会をするキャンプ集会でした。その一つの集会の状況をば次のように報じました。”・・ある人は歌い、ある人々は祈り、ある人達は哀れな声で神の憐れみを求めているかと思うと、大声をはりあげている者もいた。・・私の心臓は激しく鼓動し私の膝は震え、私の舌は振動し私の体は今にも地面に倒れそうであった。不思議な超自然的な力がそこに集まっていた全体の心に浸透しはじめていた。・・”(メソジスト教会の報告)
キャンプ集会運動の拡大は特にこの集会を擁護したメソジストの人々によって推進された。彼らは教理的要素の『条件的選び』と『自由意志』に合致し、リーダー達も全面的に賛成し唱道した。フランシス・アズベリ(1745〜1816)(ウェスレーによって指名された器)は、アメリカのメソジストの主要な指導者であると共に森林での特集やキャンプ集会の最も強力な指導者であった。
因みに私は40年前に信仰をもち、その年の『林間聖会』に参加した時、上記のような体験をさせて頂きました。”聖霊の豊かな注ぎ、机を叩いて祈る。講壇の前に平伏して祈る者たち・・の情景が今も目に焼きついている。

【2】意義

キャンプ集会はメソジストに大きな貢献を与えた。メソジストが後援したこの集会のキーはキャンプ計画立案にあった。「集会の予定表作成と広告、キャンプ指導者たちの責任の分担、集会の管理」等すべてに遺漏がなかった。
現在の聖会はキャンプ集会の意義と内容を受け継いでいる。キャンプ集会の関心の中心は集会後に『恵みの座』を開く、現在の聖会でも必ず『恵みの座』を開くのである。『恵みの座』は霊的な助けを必要とする人たちが前に進み出てきて祈り求める機会が与えられる時である。イエス様のために捧げ、イエス様を愛し従うために立ち上がる意思表示であり決断の時。
又、『恵みの座』は、執り成しの祈りの場所である。祈りの応答が与えられたとの確信が出来るまで主と組打ちをする方々の時間である。勝ち遂げる祈りは、約束の聖句を握るための『恵みの座』である。私たちは「この世の霊」の影響を受けている。複雑な人間関係、大山に見える問題、経済や健康の問題に取り囲まれているとき、人間的判断や浅はかな知恵で決定するという愚かさを演じる。冒頭の聖句のように「わが霊によって。恵みあれ。平地となれ。」の恵みの体験場所が聖会ではないだろうか。それを自覚する者は祝福と勝利への第一歩!

【3】内容

聖会は祈りと賛美とみことばによる集会であり、ひとつひとつのメッセージにより救いの恵み、新生の確信、きよめの体験そして維持、霊力の刷新なのである。
霊的必要が満たされた輝かしい、そして数々の勝利の証しを聞き語らい散会する。主のことばが与えられ聖霊様の導きに従うクリスチャンの敬虔な生活に深みをもたらすものである。結果は、

(1)家庭生活への貢献

自分の信仰を守る生活から信仰が堅立して主の期待を家庭の中に影響を与え恵みの器へ

(2)社会生活への貢献

クリスチャンとの真の交わりは、社会的接触・対人的交流の源泉となる(愛・柔和・・)

(3)道徳価値観への貢献

罪悪の満ちた世に対して真の道徳感を示す者となる。


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