『戦争と平和の考察』
聖句
『何が原因で、あなた方の間に戦いや争いがあるのでしょう。あなた方のからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなた方は、…手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。』 ヤコブ4章1、2節
8月15日は日本側からすれば、終戦又は敗戦の日である.相手側は国によって表現が異なる。
いづれにしてもこの日は戦争中のこと、それに因んだ実際的な記録や意見がマスコミにて放映または報道がされている。
私は終戦の翌年4月に小学校に入学したが、校舎は新設中学ができて、午前か牛後、または野外学校であった。後年になり、
「戦争と平和」に関する書籍に心が捕らわれるようになった。さて冒頭の聖句より、
【1】戦争とは
一般社会的な戦争論を述べるつもりは私にはありません。聖旬を単純に読むと、戦争の源は何であるかが少し理解できる.
ヤコブは3章18節「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます」と、
人間の理想は平和であることを述べたが、4章に入ると、人間の現実の事は私たちの知るとおり「戦いや争い」である。「戦争と平和」の本には、人間の歴史は戦争がなかった時代の方は短いと言う。
それほ国家間、民族間の争いかも知れない。しかし、小さくは個々の家庭の中でも事実である。日々のニュースにて見たり読んだりするでしょう。
ヤコブは、個々の人間と社会全体、否全人類に存在する戦いや争いの原因を指摘した。正しく人間の原罪のゆえに産み出す欲望の罪である。欲望がついには戦いや争いとなる。
個々には"欲しがっても自分のものにならない"手に入れることができない"と、戦いや争いになるのである。
国家的には支配権や権力、野心や名誉という人間的欲望をもつ指導者のゆえに戦争が起こるのではないだろうか。
【2】平和とは
旧約では「平和は神がつくる」(イザヤ45・7)「神こそ平和をつくる根源である」(ヨプ25・2)。
故に、平和は神様との正しい契約関係において与えられるが、神との正しい間係が破れると平和も破れる。破れるのは、不信仰、不服従の罪の結果である。
新約でも、平和は旧約と変わらないが、キリストの誕生により平和は具体化する。
この平和は原語では平安と同じ意味である。主の言葉から、「平和をつくる者は幸いである。」(マタイ5・9)
「平安があなたがたにあるように。」(ヨハネ20・19)
この『平和』が実現するのは、「十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させて下さったのです」(コロサイ1・20)。
ここにイエス様の十字架による購い、罪の赦しがある!
ローマ5章1節「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和をもっています。」と、信仰義認によって初めて『神との平和】が与えられる。
主イエスへの信仰こそ、神から義と認められ神との深い平和の関係に入ったのである。
使徒パウロにとって生涯は、「牢に入れられたこと、…死に直面したこと、…39のむちを受けたことが5度、…石で打たれこと、…難船したこと3度、…盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、…にせ兄弟の難に会い、労苦し、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え乾き、…寒さに凍え、裸でいたこともありました」(Uコリント11・22〜27)と、外側からの迫害と苦難があり、「日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。(11・28)と教会内部からの苦しみも受けていました。
そのような追号や苦難の連続の中で、平和を経験し、平安な歩みを送り、クリスチャンには平安が与えられるよう祈った。
「平和を保ちなさい.そうすれば、愛と平和の神はあなた方とともにいて下さいます。」 (Uコリント13章11節)。 私たちの応答は何でしょうか。十字架による神との和解、平和の経験ほ、クリスチャン相互間にも平和をもたらし、争いや不和は消滅する.アナタ自身がキリストとの平和を所有すること、人に平和を求めないことである。