『人間の罪と神の愛の対決』
【聖句】
『私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私達の罪のために、なだめの供え物(十字架)として御子(キリスト)を遭わされました。
ここに愛があるのです。』
ヨハネ第一4章10節
−映画「パッション」の反響より−
私は受難週を迎えると「イエス・キリストの十字架」に関する信仰書、説教集を読み、その週に相応しい信仰生活を送ってきました。
そしてキリストの十字架の深さに驚嘆しました。
この度、私は映画「パッション」を慶子先生と共に見ました。
十字架の出来事がリアリティー映像化
された場面は、心と魂に衝撃的なものが走り、座席から直ぐに立ち上がることが出来なかった。
周囲の人々もでした。
人間の罪の深刻さです。罪の起源はアダムが神に反逆した事にあり、それによって罪の性質と死の原理がすべての人を支配するようになった。
人間に罪を行なわせるサタンの力は凄まじいものである。人の心を破壊し、人間関係を崩壊させるのが罪である。
それらは家庭に学校に社会に露呈している。具体的には虐待、殺人、自殺、離婚・・人間の罪、罪の絶大な力を持つサタン(悪魔)に対決したのは、父なる神である。
絶対的な聖と愛をもっておられる神は、人間の罪を赦し、サタンの力を破壊する方法をとられました。
冒頭の聖句より、
1.神の愛でした
神が私達を愛して下さった。その愛の手段は、イエス様をなだめの供えとして捧げる事でした。
旧約でされた動物の犠牲がイエス様に向けられた。
2.十字架の愛でした
人間の罪、私の罪のために身代わりの死、十字架の死による愛でした。キリストの死は神の愛の証しである。
「ここに愛があるのです!」また、イエスさま御自身の愛の崇高な表れでした。
その愛は、すべての人に注がれている。即ち、あなたの罪、私の罪のための対決でした。
「聖会の証詞」 H兄
「その人は言った。『あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
天候が心配されていた聖会ですが守られ、今年は幸いに一泊することが許され、ゆっくりとメッセージを聴く事ができましたのは大きな恵みでした。
第一夜の聖会では、藤本師からヤコブについてのメッセージがなされましたが、本当に新しい面から聖書を学ぶ、その意味を深く知るという事を数えられました。
「ヤコブです。」と神様に答えることがどれだけ尊い価値ある事かと、深く心に刻まれました。
「エサウを憎み、ヤコブを愛した」と聖書に確かにありますが、何故、神様はヤコブを愛したかを思いますと、人生の選択において生まれながらの資質、環境など問題ではなく、常にあくまでもこの地上の目先の問題を解決する道を選択するのでなく、永遠に生きておられる神様の道を選び続けることが最も人間に重要であると示しておられる。
二日目の午前にはヨブ記の講義がなされましたが、「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨプ記1・21)の深い意味を学び、どのような環境、運命であっても、人間は神様を信じて、長く、強く生きるべきと改めて強く思わされました。
第二夜の聖会においてもやはり自分の弱さを覚え、神様にお委ねするよう導かれ感謝でした。
藤本師は「聖潔とは…」といった定義から入るメッセージでなく、聖書の示す道を歩むことが自然に聖潔なのだと語っていたように思います。
今夏の聖会において、聖書の深い、広い意味を改めて新しく教えられ、幸いな機会でした。
今後は一層深い学び、そして喜びを願う日々です。