『ジョン・ウェスレーとメソジスト運動とIGM創立』
【聖句】
『キリストは私たちのためにご自身をささげられたのは、
私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、
ご自分のためにきよめるためでした。』
テトス2章14節
−IGM創立記念日を迎えて−
戦後、IGMが創立され60周年を迎えます。2005年度の四国聖会では創立60周年記念の時を持つ計画です。
私達一人ひとりはIGM教会員として信仰の流れを知り理解し、恵みに満ちたクリスチャン生活が期待されています。
ここには生命的信仰、確信に満ちた十字架信仰、そしてキリスト教弾圧にも屈しない初代クリスチャン信仰を
保持しているからです。
さて、愛兄姉がすでにご存じの「キリスト者」「プロテスタント」「メソジスト」という名称は、
周囲の人々からつれけた『アダ名』なのです。そのようなアダ名をつけられた事に喜びをもちました。
最初はイエス・キリストを信じた者を「この道の者」(使徒9・2)と言い、やがてクリスチャンの増加は、
「弟子達は、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」(使徒11・26)
すなわち、キリストのような真似事をしているというのです。1511年10月31日のこと、カトリック司祭・ルターは、
"信仰において罪人を義とする"という信仰経験をして、「95か条の質問」を教会門扉に掲げました。
これが「抗議する(プロテスト)者」と呼ばれるようになりました。
このプロテスタント(新教徒)信仰はイギリスにも波及し、英国国教会となりました。
1738年5月24日のこと、ウェスレーはアルタスゲイトの小集会に出席した。
そこには少数の敬虚な人々が祈祷と聖書研究のために集っていた。
誰かが、救いの信仰についてルターのローマ人への手紙の序文を朗読していた。
「義人は信仰によって生きる」の御言葉はウェスレーの心に暖かく燃えるものを感じさせた。
この体験が今まで「ホーリークラブ」をつくり、形式信仰に陥っていた英国国教会の中で、
日々、聖書を読み祈り、規則正しい信仰生活(メソジカルな生活)をていました。この生活と体験があいまって、
「メソジスト運動」として新しい生きた信仰運動、それは信仰による人格運動に発展するのです。
その信仰の内容は、聖書の救える「全的愛」「聖め」によるリバイバル運動となり、米国にも進展します。
日本には明治維新後、米国メソジスト宣教師が来日し、ミッションスクールを建てて、宣教活動を展開していきます。
しかし、ウェスレーが力証した「聖め」の真理が弱くなり、本来の軌道から離れるに及んでメソジスト諸派から
「聖め」「ホーリネス」運動が起こり、米国と英国より入ってきました.英国からはウイルクス、
バックストン両宣教師を通して、米国からは留学して聖化(ホーリネス)の経験をした中田重治師を通して、
きよめ運動いわゆるホーリネス運動が展開しました。急速に拡大をしましたが、昭和17年6月25日、
東条内閣によホーリ系諸教派に対する牧師検挙が行われました。
数人の牧師は拷問を受け獄死しました。教会は解散を命じられました。
IGM創設者・蔦田二雄師は2年間にわたる牢獄生活をされ、出獄後(昭和20年)、
敗戦と共に荒廃し焦土化した日本に福音宣教を再現しなければならなかった。
2年間の幽囚監禁生活に於いて、ウェスレーの臨終の言葉「神、我とともにいる。
これは最も善い事である」を神との霊の交わりの中に、インマヌエル「神、ともにいます」の
真理と名称が授けられたのです。昭和21年に第一回『教団総会』が開催され、冒頭の聖旬が開かれました。
IGMの信仰理念が何であるか御理解できた事と存じます。
*厳正な聖書信仰の立場です。
*ウェスレアンの信仰です。(全的愛、きよき信仰)
*聖めと世界宣教の宣証です。
この事がクリスチャン生活を生き生きとさせます。それこそ!救われ、きよめられた恩恵です。
信仰を深めるためには、信仰書を読むことが大切なことです。信仰成長のステップにより、信仰の書物も違います。
牧師に相談することを勧めます。牧師は会員の魂の守りと信仰の維持のために涙して祈っているのです。