『派遣・聖化・大勝利』



【聖句】
『いつも喜んでいなさい.絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。』
                            テサロニケ第一5章16、17、18節


−教会総会を迎えて−

今年の元旦礼拝、年頭礼拝、絵会礼拝に出席された兄姉には復習なるかと存じますが、3つの礼拝メッセージを要約させて頂き、内容を再確認します。

【1】元旦礼拝

(イザヤ書6章1〜8節)
イザヤは自分の大黒柱であったウジヤ王が死んだ年に、失望の中で何を見たのでしょうか。

(1)彼は、神を見ました。

「高く上げられた主を見た」とは、至高者なる神、永遠なる神で、御使いセラフィムが互いに
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」と叫ぶように絶対的な聖なる神を見たことを意味する。
使徒ヨハネは、これはイエス様をさしていると言いました。「イザヤがイエスの栄光を見たからで、
イエスをさして言ったのである(ヨハネ12・41)」。
セラフィムの奉仕は、敬虔に聖なる神を賛美した。私たちの奉仕も栄光のイエス様を通して、聖なる神を賛美し礼拝する。
それが聖日礼拝である。

(2)彼は自分の罪深さを見ました。

神の絶対的な聖さに触れた時、「私はくちびるの汚れた者」であることを見ました。
神のご臨在の前に、自分の出来ることは、"ああ。私は、もうだめだ″ と自分の汚れた口を告白するのみであった。
また、自分の住んでいる社会の人々の汚れと罪を見ました。
彼は、万軍の主である王(聖い主)を見たゆえに、心をきよめて下さいと叫んでいる。

(3)彼は贖いの神の恵みを見ました。

「祭壇の上からの火ばさみで取った燃えさかる炭」とは、購いの祭壇で焼き尽くされた炭
(動物の犠牲によって罪を贖う血が流され焼かれる レビ記4・26、他)で赦され、きよめられる。
イザヤの不義は取り去られ、罪も贖われた。イザヤは聖められ(聖化)、聖なる神様から民たちの中に 新しい神体験して派遣された。

【2】年頭礼拝

『喜び、祈り、感謝』(lテサロニケ5・12〜24)

(1)いつも喜んでいなさい

イエス様を受け入れたこと、イエス様が心の中に内住している事の故に、内側から生み出す喜びである。
自分の存在全体、生活全体で神様を喜ぶ。神様を喜ぶとは、イエス様の罪の赦しの事実、死の復活の事実に基づいて神様を喜ぶ。
日常生活全体がインマヌエル(神が私たちと共におられる)なのである。アーメン。

(2)絶えず祈りなさい

パウロの祈りは自然の言葉がにじみ出ている。絶えず祈る姿が見られる。私たちにも祈らなくても良い時などない。
真夜中でも神に祈ることに遅くはない。
夜明けの薄明りが射し始める頃でも神に祈る事は早くはない。ダビデの詩篇には、早朝、夜中、寝床、洞窟など
時間や場所に制限がない祈祷に満ちている。故に信仰者にとって神の御前にいつでも心を注ぎだして良い。

(3)すべてのことについて感謝しなさい

すべての事とは、パウロに迫害、患難がある。すなわち、全ての環境、出来事、すべて事態が、神の御手の中にあるという、
神様の摂理に対する具体的な生き方であり、信仰の告白である。
この「常に喜び」「絶えず祈る」「全てに感謝」は、イエス様にあって神様が望んでおられるということ。
これは聖化(きよめ)された生活の特色である(ウェスレー)。まさにその通りである。

(4)パウロの祈り

パウロは、人間の能力では不可能な事を知り、全能の神ご自身に祈った。
「平和の神ご自身が、あなた方を全く聖なるものとして下さいますように。」と祈り、全人格的な聖化こそが、
地上では喜び、常に祈り、大感謝の生活をし、再び来られるイエス様に責めのない心、魂、体として守られている。

【3】総会礼拝

『圧倒的な勝利者』
(ローマ8章28〜39節)


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