『平和を願う祈り・心の平和』
【聖句】
『どうか、平和の神が、あなた方すべてとともにいて下さいますように。アーメン
平和の神は、すみやかに、あなた方の足でサタンを踏み砕いてくださいます。』
ローマ15:33、16:20
8月15日は終戦(敗戦)記念日です。今年は6 0周年ということで、今までになく戦争に関わる悲惨な
出来事として新聞に報道されテレビで放映されています。
特に一般庶民の受けた悲劇は、加害者・被害者の区別がなく、謝罪とかお詫びとかが問題となっています。
そのような中で「平和への祈り」が全国各地でなされたようです。今日も、世界中で人々は、
平和を獲得しようと、戦争を無くせ!と必死に叫んでいます。しかし現実に戦争と紛争は一向に絶えません。
それは、そのように叫ぶ個人個人の心が平和でないからです。
人々は、多くの物質や、権力、名誉や地位を持つならば、幸福になるだろうと考えます。
確かに、心が平和であればそれらは幸せをもっと大きくするプラス的要素にはなる。
しかし心に平和のベースがなければ、どれだけそれらを満たしても幸福になるとは言えません。
ですから、心の平和つまり平安(神との和解による平和)は人間の喜びと幸せの根源的な条件となるものです。
では、一体どこでこの平和を手にすることができるでしょうか。
先ず第一に、罪の問題が解決されなければ、平和をもつことはできません。
何故ならば、罪と、罪の呵責は、心の中に限りなく不安をもたらすからです。そればかりではありません。
そればかりではありません。罪を犯すと、人に知られるのではないかと、周囲に気を配り、
そのために環境に何かが起こると心が動揺したり、焦ったりして不安です。
更に神の審判に対する不安があります。潜在意識の中では神の審判を悟っています。
第二は、神の審判を受けないために神との和解が必要であります。
コリントU5章2 0節に「私たちは、キリストに代わって、あなた方に願います。神の和解を受け入れなさい」と。
神との和解の福音はイエス様を信じ信仰によって得られます。何故なら、
「キリストこそ私たちの平和であって、…キリストの十字架によって神と和解させるためなのです。」と
神に罪を悔い改め、主イエスを信じることで罪が赦されます。
ここに平和なるキリスト様が心に住むことによって、アナタの心はキリストの平和が宿るのです。
私は学生時代に平和運動に参加しましたが、行き結まりました。
理由は、人々に勧めながら自分の心は一人になると淋しく不安になりました。
真の心の平和がありませんでした。一人の人間の心の平和が他の人の心に平和を与えるのが主の福音でした。
パウロはその事実を冒頭の御言葉で語り祈ったのです。パウロにとっての福音は、
「悪の支配、楕戚に対する勝利」でした。当時、ローマ帝国が世界を支記し、ローマの平和
「パックス・ロマーナ」と呼ばれ、政治的・軍事的平和を謳歌していました。
しかし、パウロにとって、真実の平和こそ最も望んでいたのです。
即ち、ローマ帝国の「平和」が敵対者を軍事カで押圧して達成される平和であるに対して
キリストによって与えられる平和は霊的一致と愛の交わりによる平和です。
パウロは悪について語る時、先ずサタン(悪魔)に関して語りました。
「平和の神は、すみやかに、あなた方の足でサタンを踏み砕いてくださいます」と、
悪を打ち砕く平和の神の働きです。キリストの平和は、更に肉性・罪・死に対する勝利であり、
この世の暗やみの支配者たちに対する勝利なのです。アーメン。
そして、「二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、・・・(エペソ2:14)と、
背景の異なる人々をキリストのもとに一致させる平和でした。パウロの平和の福音は、
神の武具を身につけて、「ローマの圧政を打ち砕く平和の神」であり、
ローマ帝国を覆すような力をもったキリストの福音でした。
今や、この平和の福音はアナタに委任されました。アナタの心に平和の内住を、
夫妻の中に平和の関係を、家庭の中に平和を、そして地域、祖国、世界へです。
最後に、聖霊が平和を保ちます。「御霊の実は、愛、喜び、平安、…」と、聖霊は助け主です。
「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです」。ハレルヤ!(小牧者)