『神からのメッセージ』



【聖句】
『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。』
                       伝道者の書12章1節
『あなた方の息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。』
                      使徒の働き2章17節


昨年は、クリスチャン医師・日野原重明先生のお話を二回ほど聞く機会が許されました。九月は「死を想え」、十二月は「クリスマスの意味でした。御存じのように先生は94歳になられ、講演のときも立ち続げ2、3時間はあっと驚くほどの恵みのメッセメッセージをされ、感動したことでした。
それは先生ご自身の生き方が前進的であり積極的であること、また、新しいことにチャレンジされ、新しいことを創ることでした。先生は5年前、新老人の会を発足し時につくったスローガンの一つに「新しいことを創める」という言葉があります。
やはり信仰者は前進的創造的積極的でなければならないと考えています。その意味に於いて、今年は「たゆまない前進」の年として、神から示されたことに向かって一歩一歩を踏み噛みしめて行きたい。
まず、冒頭の聖旬より、

【1】神に仕える青年であれ。

若いときには、血気が旺盛で自分の知恵や聡明、自分の才能に依り頼み、神様に依り頼もうとしないのです。モーセがまさにそうでした。彼はパロ王の宮殿であらゆる学問を教え込まれ、言葉にも業にも力がありました。実に言葉と行動に知的な青年として育ちました。しかし、四十歳になった時、自分の同胞を救おうとして神様を呼ばわり祈らずに、自分の腕力でイスラエルを救えると思ってエジプト人を殴り殺しました。この事が暴露されるやモーセは逃亡しました。逃亡地ミデアンにて四十年の羊飼いの仕事の最中に、神様がモーセに現われて彼を用いるようになりました。彼は心が砕かれて謙遜になり、神様に仕える人となり、同胞を奴隷から解放し、乳と蜜の流れるカナンの地に導くに至ったのです。
若い青年の時に、正義感に満ち、敬虔になって神様に仕えたら、どんなに素晴らしいことでしょうか。若い時に創造主を覚えて、神様に仕える生活を営むことが人生を勝利的に生きる秘訣となるのです。
今年は「木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない」(ヨブ14・7)と信仰と希望をもってあきらめず青少年を伝道しよう。

【2】幻を見る青年であれ。

ビジョンは、人の生き方と方向を提示します。それがないなら、深い森林の中で道を失って彷徨するようになるのです。すなわち放縦な生活です。「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである」(箴言29章18節)と記されています。世俗の幸いに惑わされるのではなく、神様からの声を聞きましょう。

【3】夢を見る老人であれ。

日野原先生の生き方は、まさに夢を見ながらの前進的な姿です。自分に望む夢があったら、自分は努力し、目標に向かって一歩一歩でも進んで行くでしょう。アブラハムは75歳のときに神様に召されました。その時は田舎の老人で、学問も、教育も受けていません。頭の髪の毛は白くなり、耳も遠くなり、腰も曲がりかけており、胸には肋骨が露に見えます。
その時に栄光の神様が彼に現われて、夢と幻を与えて下さいました。夢が彼を変化させ、新しい勇気と力を得ました。
彼は自分の家族を引き連れて、行く所がどこかも知らずに、神様の導きに従って行きました。夢や幻は私たちを新しくします。私たちが夢を抱くと言うよりも、夢が私たちを造って行くのです。それ故夢や幻を抱けば、神様は聖霊様を通して私たちを強い信仰者に造って下さるのです。「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です」(ローマ書8章6節)とありますように、霊的なこと は、霊的によってのみ知り、分別ができます。聖霊様が臨むとき私たちの信仰は一段と輝くのです。アーメン。
ですから、もし私たちは心が落胆し、挫折し、絶望し、悲観したら、神様は私たちを助けることはできません。私たちの心は強く、雄々しく、希望と夢をもち前進的に肯定的に考えながら生きて行ったなら、神様は私たちと共におられて、私たちを助けて下さいます。「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ、雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記1章8節)
主である神様。信仰をもって、肯定的に、前進的た、創造的に、生産的に、一歩一歩を幻と夢を見ながら、生きて行く者にさせて下さい。アーメン。


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