『クリスマス・最高のプレゼント』



【聖句】
           『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
            世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
            永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネ3章16節)


主のご降誕を心からお慶び申上げます。
イエス様が誕生されたのは、ローマ帝国が世界に軍事力をもって君臨し、
権力を手中に納め支配し、女性、子供、奴隷等の弱者が差別され、
虐げられている暗い時代であった。そのような中で、メシヤを待望しつつ
救い主の誕生を心から大いに喜んで最初のクリスマスをベツレヘムで
お祝いしたのは、御使いたちと羊飼いたちと東方からの博士たちだけでした。
今日、クリスマスが日本を含めて世界中の人々から祝われていることは喜ばしい事です。
しかし、どれだけの人々が真に救い主イエス様を待ち望み、人類の救い主として
イエス様を祝っているだろうか。外形的なイルミネーション(キリスト・世の光のシンボル)
はますます拡大しているが・・。

【1】最初のクリスマス

先月、キリスト誕生の地ベツレヘムに行きましたが、石灰岩の地に多くの
石作りの家々が立ち並び、二千年前の雰囲気は感じられませんでした。
ルカ2章の記録を読むと、当時のキリスト誕生の様子が伺う事ができます。
御子イエス様の誕生について、三つのことに留意したい。
○神の素朴さの中に誕生
岩の穴が馬小屋で岩壁を切り取った部分が飼い葉桶になっていた。
その中にイエス様を布にくるんで寝かせたのでした。
素朴というより粗末なものです。今日、目に映るものは豪華で高価なものが売れ、
贅沢な衣服です。なんとかの宮様の男の子の誕生には、大のニュースになりました。
幼子イエスの誕生は、何も身につけず、裸のようなものでした。ここに素朴さを見ます。
○神の単鈍さの中に誕生
神は私たちをご懐妊ご出産という鳴り物入りの仰々しいニュースでクリスマスへと
導いていない。御使いのお告げを受けた羊飼いたちは、「きょうダビデの町で、
あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。…」
を単純に信じて「飼葉おけ」に寝かせられた幼子にお会いしました。
東方の博士たちも星に導かれているという単純な仕方で、ベツレヘムにたどり着いて、
母マリヤとともにおられる幼子を見て、最高の物をささげ礼拝しました。
博士たちの単純な信仰こそが、神がクリスマスの出来事の単純さの中で私たちに
出会って下さる大いなるしるしなのです。私たちは複雑で多技、そして多忙です。
もちろん悪いことではありませんが、真に人間として生きて行くには、
本来極めて単純なことなのです。
○神の純潔さの中に誕生
主イエス様は聖霊にご懐妊ということは神の性質的聖さを保っておられて生まれたのです。
神の重さ、純潔さは、人の子として死にまで守られ、神のみもとに帰られました。
学問と地位のある博士たちは、純潔鈍真・純白な幼子に「黄金・乳香・投薬」を
純潔な心、要求しない心で戴けました。
これらは真にクリスマス驚異です。

【2】最高のプレゼント

クリスマスは世界中のすべての人々が冒頭の聖旬の「愛」と「永遠のいのち」を
頂く日です。神の御子イエス・キリストがもたらした十字架と復活を信じる事です。
○この世を愛された神の愛
今日、愛の言葉が氾濫していますが、クリスマスの日に届けられた神様からの
プレゼントの愛は、そんな愛とは質を異にしています。それはこの世のいかなる暗さや
汚れにも浸されない「聖い愛」です。今や、政治や金融業界、多くの人間の営みが
この聖さを失っているのではないでしょうか。
神から受けるアガペーの愛の力は、この世でいろいろな問題に耐え抜く力、
人を赦す力、人を愛する力なのです。
○ひとり子をお与えになった犠牲愛
民からは歓迎されず、目立たず、ひっそりと誕生した御子は、十字架という犠牲の
愛をもって罪深い人間の罪を赦されました。
○永遠のいのちを与えた愛
人間の死は分かっていても悲しい。特にやさしい心と愛をもって接して下さった
方の死は、自分の心を空虚にしてしまうが、その心の中に神のいのち、永遠のいのちを
宿すことが出来ます。心の中の住民が人から神様にイエス様に聖霊様に入れ替わるのですね。
実に神からの最高のプレゼントなのです。アナタの心の住民はどなたですか
クリスマスとは何かを貰う日ではなく、逆にイエス様のために何かを献げる日、
喜んで重荷を負い、忍耐し、黙々とイエス様に仕えていく日として決断する日なのです。
愛兄姉の日々がイエスの愛に満ち、神の御手にしっかりと抱かれ、来る新しい年が
希望と勝利の一日、一日でありますように。


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