『岡山聖化交友会・四国支部発会式 徳島宣教大会・第一回決起集会』
−聖化と宣教の集いを終えて−
【聖句】
『平和の神御自身があなた方を全く聖なる者をして下さいますように。
主イエス・キリストの来臨の時、責められるところのないように
あなた方の霊、たましい、からだが完全に守られますように。
あなた方を召された方は真実ですから、きっとそのことをして下さいます。』
(テサロニケ第一)
『神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと
定められたのです。‥私達は十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。』
(コリント第一1:21、23)
今年度は二つの集会において、他教団の先生方、信徒方をお迎えしました。
ある面では受け入れ体制が整った事と思います。
六月は既報のように「聖化交友会・支部」発会式があり、『聖化と宣教』という
主題のもとに「出エジプト3章」よりメッセージが取り次がれました(講師・工藤師)
『平和の神御自身があなた方を全く聖なる者をして下さいますように。
主イエス・キリストの来臨の時、責められるところのないように
あなた方の霊、たましい、からだが完全に守られますように。
あなた方を召された方は真実ですから、きっとそのことをして下さいます。』
この聖句より『聖化』について
この世に生を受けた一人の霊魂は、地球より重いというのが聖書のメッセージです。
イエス様は「人の子は、滅んでいる者を救うために来たのです」(マタイ18・11)と
ご自分の目的を語られ、神から離れ罪の中に生き続け、霊の生命を失い、滅びに向かっている
人間が救われることを最上の喜びとしました。
イエス様は小さな子供を呼び寄せ、弟子たちの真中に立たせて救いの大切さ、
天国に入ることの大切さを教えました。「このように、この小さい者たちの一人が
滅びることは、天にいますあなた方の父(神様)のみこころではありきせん」
とひとりの霊魂の救いの緊急さを教えました。
ああ、なんと素晴らしいことでしょうか。一人の霊魂が罪から救われたのですから。
さらに神の祝福が備えられています。罪が赦され罪が清められ、「全く聖なる者」として下さるのです。
それを「聖化」と言う。「きよめ」「ホーリネス」とも呼ぶ。
冒頭の聖句から「聖化」を考察しよう。
@「平和の神ご自身」という平和の神と私たちが和解し、平和の神として知り、
平和の神そのものになって罪から離れて、義とされました。救いの確証です。
A「全的聖化」は、人のわざや努力ではなく、平和の神ご自身からの特典であり、
聖霊の実、聖霊の賜物、主キリストの恵みなのです。
B「聖なるもの」は、分離を意味します。
自発的に恵から分離し、あらゆる罪の誘惑、神から出たものではない衝動などを拒絶し、
はねつけるのです。そして、神に献げる行為をします。全的献身です。
すると、霊魂は満たされます。則ち、愛と信仰に満たされます。
C「霊のきよめ」、「たましいのきよめ」「からだのきよめ」がなされます。
この三つの事は改めて分析をいたします。
D「再臨のとき、責められることがないように」と、キリストの臨在と聖霊の内住は、
神がキリスト者を守り、主の来臨にも責められる事がないよう守られます。
聖句
「神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと
定められたのです。‥私達は十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」
(コリント第一1:21、23)
この聖句より「宣教」について
宣教と伝道に違いがあるのでしょうか。
イエス様はバプテスマを受けられ悪魔の誘惑に出会い勝利されました。そして預言者イザヤの
聖句を覚えつつ郷里の伝道、すなわちガリラヤ伝道を開始しました。
「イエスは会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え民の中のあらゆる病気、あらゆる
わずらいを直された」(マタイ4の23)
イエスは教え、宣べ伝え、直されました。
「教育」「伝道」「奉仕」の三点を教会は大切にし、主の働きの中心にしています。
「伝道」は、御国の福音を直接的に人々をイエス様を信じる信仰に導くための働き、
洗礼を授け、神のしもべ、主イエスの弟子にするためのわざです。
「宣教」は、福音伝道に限定しないで、クリスチャンや教会が神に命じられた
愛の業として教えたり、癒したりという教育、医療、福祉の働きも入るでしょう。
直接的な働きとしての伝道、間接的なわざとしての宣教と言えるかもしれないが、
大切なことは両者の関係です。二つは結びあっています。宣教は広く、伝道は深くです。
福音伝道をめざす宣教の拡大、深く個人伝遺に立脚した宣教を展開し進展を目指そうでは
ありませんか。
パウロの証しのように「十字架の福音」は愚かに見える「宣教」です
『イエス様の十字架の恵みを体験し、その恵みを証しします。その「証し」は伝道なのです。
個々の証しは宣教の輪を広げます。私たち一人一人は宣教のメンバーです。
栄光に満ちた信仰生活の醍醐味です。アナタも一人のたましいのためにお祈り下さい。
アーメン。