『主と共に歩み、共に生きる』



−宣教と聖化の年−

【聖句】
『ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れた
 エマオという村に行く途中であった、そして、…話し合ったり、
 論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、
 彼らとともに道を歩いておられた。』
                    (ルカ24章13〜15節)

今から二千八年前、イエス様が死者の中から復活された日の朝の光景は、
どんな状況だったのだろうか。「イエスは生きておられる」(同章23節)
とのメッセージが、エルサレムからエマオにもたらされようとしていた。
この「弟子」は十二弟子ではなく、もっと広い意味での弟子団の中にいた人たちである。
彼らは過ぎ越しの祭りを祝うために出かけて来て、イエス様が十字架に
かかられたことに大きな失望を味わい、今帰路についたものと思われる。
彼らは暗い顔つきで、あれこれ語り合いつつ歩いていた。

(1)共に歩いてくださる主イエス

「イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。」(前出)
私たちはしばしば途方にくれ、暗い顔つきで立ち止まることがある。
この2人のように、イエス様の十字架と復活という問題ではなくても、
日常生活上、人間関係、仕事のこと、また自分の将来や、育児、受験、就職、結婚、
病気、老後のことなど、さまざまな不安や心配事で困り果て、心を暗くして
立ち止まることが少なくない。そんなただ中にあってもイエス様は
いつも私たちのそば近くに寄り添い一緒に歩き、話しかけ、相手にして下さる。
それがイエス様が復活されたことによって、私たちに与えられた神の恵み、
神の祝福なのである。実に聖日礼拝は、復活されたイエス様にお目にかかる記念の日なのだ。
そして、イエス様の復活は、神がイエス・キリストにあって、永遠に私たちと
一緒にいてくださるという、永遠の世界を約束してくださったことを意味する。

(2)ご白身を示してくださる主イエス

『イエスは彼らといっしょに泊まるために中にはいられた(同29節)
復活されたイエス様は、復活の事実が私たちによくわかるように、
彼らと一緒に泊まられ、共に食卓に座し、パンを取り祝福し、裂いて
手渡されたのである。私が以前読んだ本の中に、椎名麟三という
クリスチャン作家のことが書かれていた。彼は波乱の日々を送っていたが、
復活のイエス様に出会い、一転してクリスチャンとなった人である。
彼は、最初から復活のことを信じられたわけではない。
彼は、ロシアの文豪ドストユブスキ1を信頼して洗礼を受けた。
受洗後一年して、復活されたイエス様が焼いた魚を食べられた箇所を読み、
突然ショックとともに、必然性の壁が音を立てて崩れ落ちていくのを見たのである。
つまり、本当の自由を見たという経験である。
その時、イエス様の愛が彼の胸をついた。イエス様の復活に出会うということは、
同時に、イエス様の大いなる愛に出会うということでもある。
主イエスの十字架と復活に現わされた、この比類のない愛によってのみ、
私たちは真の意味で生かされる。イースタの朝、私もあなたもイエス様の
大いなる愛に生かされる人になろうではないか。

(3)みことばによる復活信仰

道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も私たちの心は
うちに燃えていたではないか。(同32節)
ここには「聖書全体」(同27節)「聖書を説明…」(同32節)、
「モーセの律法と預言者と詩篇」(同44節)、「聖書を悟らせ…」(同46節)と、
「聖書」という言葉が換り返し語られている。この聖書に記されていることを、
本当にその通りですと全的に信じるとき、聖書の約束は私たちにとって事実となる。
つまり、「聖書」を神のみことばと心から信じて受け入れ、みことばに従って
生きることこそ、復活されたイエス様に出会う道なのである。
愛の使徒ヨハネは、「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、
聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」
(ヨハネ5章39節)と記している。しかし復活は、私たちの人間的な理性や
知性では決して理解できるものではない。おそらく信じられないことである。
今や、イエス様は、聖霊を送っておられるゆえ、聖霊を通して私たちに
みことばが語られ、具体的に臨み、働きかけてくださる。そのため、私たちは
信じることができる。2人の弟子は、「私たちの心はうちに燃えていたではないか」
という経験をした。復活のイエス様を信じるということは、「心が燃えていた」
という体験をすることでもあった。この燃える”とは、聖霊の火をつけられ、
点火されたことで、受け身の自分ということだひ私たちの心は燃えているだろうか。
イエス様は私たちのすべての罪を引き受けて十字架にかかり、私たちの罪、死、呪い、
滅亡も、そのすべてに決着をつけられ、私たちを死の向こう側、神の御国へと
導いてくださる。復活のイエス様こそ、慰めの主、愛の主であられる。この方と共に
日々歩み生きていこう。

hbcr28.gif