『四国福音放送に参加して』



−聖化と宣教の年−

【聖句】
『そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、
      キリストについてのみことばによるのです』
                (ロマ書10章17節)

今年、『聖化と宣教の年』として出立し、5月は第4回徳島宣教大会、
6月には第1回四国聖化大会が開かれ、私たちは「聖化」と「宣教」の意味と内容を理解した。
イエス様は、種をまく者と刈る者がともに喜ぶことを語られ「ひとりが種を蒔き、他の者が刈り取る」
ということわざを引用されて、労苦の実を得る喜びを教えられた。
種まき伝道には、放送伝道、テレビ伝道という一方的に人々に伝える手段がある。
これらの伝道は、多くのクリスチャンの尊い献金で運営されている。
「たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。」(詩篇49:8)
とあるように、豊かな財財や富によっても、人の霊魂を贖うことはできない。
それほどに一人の霊魂は地球よりも重いのだ。一人の霊魂を罪より購うにはキリストの貴い
十字架の血が流されなければならなかった(聖句参照・・Iペテロ1:18・9)
四国福音放送は、年額百五万円で放送されているももの一人の魂も救われない年が多いのだが、
誰かが魂と刈り取ることを祈って続けている。6月は、慶子先生が2つのメッセージを担当され、
さまざまな方面から好評の知らせが入ってきた。伝道のための伝道から、教会の集会に参加する前に、
少しでもキリスト教に関心を持つようにとの内容である。以下、慶子先生の両メッセージを紹介したい。

題『生命の水』(6月14日放送)

皆様お元気でしょうか。気候の変わり目です。くれぐれもお身体を大切になさって下さい。
さて今朝は、私達の生活に欠かせない水について、お話をさせていただきたいと思います。
昨年7月、NHK四国羅針盤で「島に生命の水を運ぶ船・水道丸」が取り上げられました。
井戸水しかなかった島の方々の要望で、今治市は水道水を船で運ぶことになり、昭和29年12月から開始、
雨の日も嵐の日も毎日毎日40トンの水が供給されてきました。しかし、市は島に水道を通すことを
決定し、水道丸の活躍は今年2008年春で終了するという内容のものでした。
現在5代目の船長さんが毎日タンクの水をホースで上げ、島の方々に水を供給しておられます。
昨年7月はかつてない大型台風4号が近づき、船長さんは船で一夜を過ごし、ほとんど
眠らない状態でした。次の日嵐も治まりつつある中、いつもより1時間遅れて出航、
何事もなかったかのように島の方々に水が届けられたのです。島唯一の水源であるこの水を
待っていた方々が大変喜ばれた姿と、船長さんのホッと胸をなでおろしたお顔が印象的でした。
渇きを潤す水、生命を支える水について、イエス・キリストは「この水を飲む者は誰でも、
また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者は誰でも、決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」と、
ヨハネ4章13、14節で語っておられます。
ホースをキリストにつなぐと、水が心に満ちるだけではなく、あふれ出し、いつまでも水の湧き出る
泉となるというのです。その水を私にくださいと求めましょう。神様はあなたのその求めを
喜んで受け入れて下さいます。

題『国籍は天にあり』(6月21日放送)

今朝も神様の恵みが豊かにありますようにお祈りいたします。
実は私、JAFの車に乗せていただくという珍しい経験を致しました。
ちょうど1年前になりますが、昨年の6月4日のことです。2軒のお宅をお訪ねする予定で
出かけたのですが、1軒目を終え2軒目をお訪ねするため、徳島バイパスを走っておりました。
車の様子がおかしい!と思い、路肩に寄せている矢先、息を引き取るように車がストップ、
何を試みても動きません。JAFに電話をしたところ、すぐに駆けつけてくれました。
車は牽引され、私達は運転台の横に乗って会社まで運ばれました。
16万km走り続けた車は、電気系統の老朽化のため寿命が尽きたということでした。
事故もなく処理ができたことは感謝でした。おかげでJAFの車に乗せていただくという
初めての経験も許されました。しかし、もしJAFに加入登録していなかったら
どうなっていたのでしょう。同じようにJAFのお世話になったと思いますが、
心のゆとりは失っていたのではないでしょうか。そして思ったのです。車だけではなく、
老朽化を感じる私自身も、いざという時のために加入登録が必要だと。
肉体は救急のお世話になるとしても、魂はどうにもなりません。
「私達の国籍は天にあります」とピリピ3章20節にありますから、魂の出所である
神のみもとに帰らなければなりません。従って私の魂については、天の御国に
登録しなければならないわけです。そうでないと急ぎの時に間に合わなくなります。
助け主イエス・キリストによって、助け出されるかあるいは天に召されるか、
いづれにしても神様は、私達を平安に導きたく願っておられるのです。

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