礼拝メモ

2002年12月29日   感謝・確信・祈祷
詩篇138篇より
今年度の53回(元旦礼拝・聖日礼拝)の礼拝最終回となりました。神の憐れみの中に守られましたことに感謝します。
礼拝の形は、聖霊の導きを受けました。聖日1日の中で、第二礼拝、病室礼拝が守られたことは、お祈りとご協力のゆえに許されました。主を賛美致します。
ダビデの138詩篇より
【1】感謝の表明
【2】確実の表明
【3】祈祷の表明
信仰の恵みは、過去に感謝、現在に確信、明日には信仰による祈祷で注がれる。
神よ、私を探り私の心を知って下さい。私を調べ、私の思い煩いを知って下さい。私の内に傷ついた道があるか、ないかを見て私をとこしえの道に導いて下さい。
私たちは、自分が主に知られているという認識をある程度は持っていても、苦難を通過することで、その認識がいつの間にか、さらに深められることを渇望する祈りに変わっていくことを、この篇から学びます。主に改めて知って頂くものは「思い煩い」であり「傷のついた道」です。私たちにとって、内に留めておくに好ましくないものは、ただちに主に持ち行きましょう。また、主に求めるものは「とこしえの道」迷いのない確信に満ちた歩みです。苦難の中で主に探られ、試されることを避けることなく、主のお取り扱いにゆだねましょう。


2002年12月22日   救い主、恵みとまことに満ちた方
ヨハネ福音書1章1節〜18節より
キリストの誕生は、人間の歴史を2分された。
※ 紀元前(BC)キリスト誕生前(Befor Christ)
※ キリスト紀元(西暦)(AD)Anno Domini(ラテン語)(主の年・・・主キリスト誕生以降)
全世界は主キリストの年の統治下にある。何故なら、主は私たちの罪を赦すために、身代わりの十字架を負うために来て下さったからである。それは、私を罪と滅びから救い、私に喜びを注ぎ、永遠のいのちを授けて下さったのである。この方こそ、私たちの『救い主』であられる故に、クリスマスおめでとう!である。

私たちは恵みとまことに飢えている。恵みのない言葉−冷たく、とげのある言葉、軽はずみで意味のない言葉にかこまれている私たち。そして恵みを与える事の出来ない自分。まことに乏しい世界−裏表を使い分ける人、二枚舌、自分勝手、無責任な言葉、だますことを商売に入れる風潮。イエス様の恵みとまことにふれなかったなら、私たちもこの余に飲み込まれていただろう。真実に生きさせて下さい。


2002年12月15日   救い主、ザカリヤの大賛美
ルカ福音書1章57節〜80節より
洗礼ヨハネの誕生は、近所の人々や親族たちの喜びと感謝であった。同時に、その子の将来はどうなるのかと注目の的となる。お祈りが答えられ、神の特別な恵みが下るときには、どちらかになるのである。
【1】ザカリヤの不信仰
   ※神のことば
   ※高年齢
【2】ザカリヤの信仰
   ※洗礼ヨハネの誕生
   ※信仰の本質
【3】ザカリヤの大賛美
   ※メシヤの救いの神のみわざ
   ※神のみわざにおけるヨハネの位置
私たちは、福音を聞いて身をゆだねた。そして神の子とされ、永遠のいのちさえいただいたのである。「主があなたに、どんなに大きなことをして下さったか、どんなにあわれんで下さったか」救いの驚きは、歌と証しを生み出す。『大いなる救い』


2002年12月 8日   救い主、ヨセフへの告知
マタイ福音書1章18節〜25節より
◎イエスはギリシャ語、ヨシュアはヘブル語で、双方の意味は「主は救い主である」
◎キリストはギリシャ語、メシヤはヘブル語で、双方の意味は「油そそがれた者」
【1】聖霊による懐妊
   ※聖霊とは・・・
   ※ヨセフの応答は・・・
【2】救い主の誕生の目的
   ※イスラエルの民の罪の救い
   ※全世界の民の罪の救い
【3】神の御旨の成就
   ※神の計画と目的
   ※人間側の服従と協力
『ヨセフは眠りから覚め、主の使いに命じられたとおりにしてその妻を迎え入れ』(24節)この箇所から、信仰の歩みの秘訣を教えられる。『心を尽くして主により頼め。自分の悟りに頼るな』(箴言3:5)とあるように、事ごとに主により頼む信仰者でありたい。主の命じられたとおりにヨセフは行動した。私たちも自分の考えを主の御旨に委ね、導きが自分の理解を遙かに超えたものであっても、ただ神に全く信頼して従う者を主は豊かに顧みて助け、最善を為して下さることを信じよう。


2002年12月 1日   救い主、マリヤへの告知
ルカ書1章24節〜38節より
ルカはイエス様のメシヤ性を立証るために、天使の相次ぐ顕現、聖霊様の活発な活動開始、奇跡や預言の続出により、超自然的な新時代の幕開けを描写している。
【1】エリサベツの言葉(24・25)
   ※夫の不信仰
   ※妻への神的みわざ
【2】マリヤの言葉(26〜38)
   ※考え込むマリヤ(29)
   ※プロセスを問うマリヤ(34)
   ※信仰を告白するマリヤ(38)
【3】わたし達の言葉(二者択一)
   ※不信仰の言葉(夫ザカリヤ20節)
   ※信仰の言葉(父ザカリヤ67〜80節)
『神にとって不可能なことはひとつもありません』不可能と思える壁を打ち破る力はどこから来るのだろう。主のみことばをありのまま受け入れる信仰にある。ハドソン・テイラーのように、「不可能」が「困難な事」になり、ついに「成し遂げられた」と感謝する時が来る。絶望と見える困難の壁に周囲を取り囲まれている時、祈り抜く者には天の一角が常に開かれており、四方八方から苦しめられても、決して窮することはない。マリヤのごとく、主の約束のみことばに、単純に信仰を持って安らぐ者となりたい。


2002年11月24日   神の家族をめざして
エペソ書2章11節〜22節より
聖書における家族制度の基礎は、一夫一妻の結婚という神的制度に求められ創造の祝福でした。旧約聖書では、神との契約における祝福、特にモーセの律法は家族に関する分量が多い。親と子、夫と妻、既婚と結婚など、祝福される家族の確立に欠かせないものばかりである。
聖霊は神とわたし達との和解の使者です。十字架により敵意の壁を除かれたキリストこそ、わたし達の平和になりたもう御方です。主の御霊のあるところには自由がある。この御霊により、朝毎に天の御父に近づかせて頂こうではないでしょうか。『全き信仰を持って、真心から神に近づこうではありませんか。』


2002年11月 10日   イエス・キリストの御招待
マタイ福音書11章25節〜30節より
「その時」という言葉は、イエス様が初期の人気のある時期が過ぎて、反対や拒絶に直面していることを表す。即ち熱心な志道者がいたこと、わがままに拒絶反応を起こす者がいたこと。状況は現代も同じです。
 〔1〕イエス・キリストの啓示(25〜26)
 〔2〕キリストの仲立(27)
 〔3〕キリストの招待(28〜30)
   * わたしのところに来なさい
   * わたしから学びなさい
わたし達クリスチャンも、罪からのものではありませんが、重荷を負って疲れてしまうことがあります。そんな時わたし達は様々な方法を試みて、疲れを取り去ろうとします。しかし、根本的な解決方法は、主イエス様のところに行くことです。そして、ありのまま祈り、信じ、委ねることです。主のみもとに走って行き、主の与えて下さる休息をいただき、新しくされることを学びたいと思います。


2002年11月 3日   最も大切なことは・・・
コリント第一の手紙15章1節〜11節より
人間にとって最も大切なことは何か。イエス様は「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」と語られました。パウロは、イエス様の死と復活こそ、イエス様の福音の内容である。
 〔1〕イエス様は罪のために死なれたこと
    *人間の罪
    *身代わりの十字架の死
 〔2〕イエス様はよみがえられたこと
    *死に勝利した
    *生きる力となった
 〔3〕神の恵みによること
クリスチャンの希望はキリストの復活の事実に基づいています。コリント教会の中では、死者からよみがえるか否かに疑問を持つ者がいました。パウロは私たちの復活をも否定することだと主張しています。そして主の復活を否定したならば、私たちの宣教と信仰は空しく罪の赦しの経験もありません。また永遠のいのちの確信もなく、私たちはすべての人の中で一番哀れな者ですと言っています。しかし、キリストの復活は福音の根本であり、イエス様をを信じる全ての者が復活する保証であります。私たちのこの朽ちゆく肉体が栄光の体に変えられる日が来るということは、何と素晴らしい希望でしょうか。この希望に基づいて、私たちは罪から遠ざかり、主のわざに励みましょう。最も大切なことは、福音によるのです。


2002年10月20日   新生、きよめ、御言の宣教
ペテロ第一の手紙1章13節〜25節より
 〔1〕新しく生まれる(新生)
    *肉体の誕生  *霊の誕生
 〔2〕きよめられる(聖化)
    *聖なる者  *全き愛
 〔3〕全ての人に伝える(宣教)
『あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい』(15節)
きよめは内側の変化であると共に、外側も変わることである。聖書は私たちの全ての行為がきよくあることを求めています。家庭でどんなテレビを見、本を読んでいるか。職場でどのように仕事をこなしているか。地域とのつき合いはどうだろうか。趣味から帳簿のつけかたまでホーリネスが行き渡るお互いだろうか。一つ一つ細かいところまで、主に変えて頂きましょう。


2002年10月13日   主をほめたたえよ
詩篇107篇より
107編から終わりまでが詩篇第五巻になる。五巻の中に四つの小収集が認められてきた。
  1.「エジプトのハレルヤ」113〜118
  2.「都上がりの歌」120〜134篇
  3.「ダビデの歌」138〜145篇
  4.「大なるハレルヤ」146〜150篇
 〔1〕荒野での苦悩と賛美(1〜9)
 〔2〕捕囚での苦悩と賛美(10〜16)
 〔3〕病気での苦悩と賛美(17〜22)
 〔4〕航海での苦悩と賛美(23〜32)
 【結】どんな時でも豊かな恵みと感謝!
私たちの人生が、どのような場面展開をみせようとも恐れることはありません。私たちと共に歩んで下さる主は、慈愛に富み、憐れみに満ちておられる方だからです。私たちが水の中を歩いたことも、火の中を歩いたことも恵みでした。水の中でも押し流されず、火の中でも焼かれないことを知ることが出来たからです。【苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。私は、それであなたのおきてを学びました。】(詩篇119:71)と聖書が言ったとおりです。私たちは、恵みに馴れてしまってはいけませんが、試練の中で恵みが見えなくなることも警戒しなくてはいけません。様々な経験をしました。その全ては主の恵みでした。と悟れるようになりたいと思います。【私の恵みは、あなたに十分である。】(第二コリント12:9)


2002年10月 6日   主をほめたたえよ
詩篇103篇より
「本詩は聖書的信仰の木に咲いた最も美しい花の一つである」「旧約における最も高貴な賛美歌の一つである」と言われる。私たちも愛詩の一つに選んで参りましょう。主をほめたたえよ!とは、何のために賛美するのでしょうか。二つの角度から。
 〔1〕聖なる宮のために賛美せよ
    *聖とは
    *聖い神の性質
 〔2〕すべての恵みのために賛美せよ
    *神は何の働きをなされたか
    *すべてのことに対しての賛美
主は、私の一生を良いもので満たされます。主は、私に憐れみ深く、情け深く、怒るのに遅く、恵み豊かな御方です。主は父がその子を憐れむように、ご自分を恐れる者を憐れまれる御方です。主の恵みはとこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にあります。
この主は本当に私に良くして下さいました。これからも、永遠の愛をもって接して下さり誠実を尽くし続けて下さいます。主が私に良くして下さった事を忘れることなど出来ません。数を数え始めた幼子のように、一つ、二つと大切に数えたいと思います。また主が良くして下さらなかったことも、何一つありませんでした。辛かったことも、悲しかったことも、苦しかったことも、善にして善をなしなさる主の御手から出たことでした。それを忘れず、歩んでまいりましょう。


2002年9月29日   永遠と有限の中に生きる
詩篇90篇より
本篇はモーセの祈祷と題しているように、最も古い詩篇である。特に、人生の身近さを強調しているゆえに、この詩が告別式に用いられる。いずれにせよ、神の至高性、永遠性の壮大さ、深遠さに驚嘆する。
 〔1〕神の永遠性(1〜6)
    *永遠の神
    *はかない人生
 〔2〕人生の有限性(7〜12)
    *罪の下に生きる人間
 〔3〕神への感嘆(13〜17)
    *赦しと恵みの祈り
 〔結〕神への畏敬の念こそ、人生の長短を計ることが可能である。
『どうか朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い楽しむようにして下さい。』14節
神の人モーセの祈りです。彼は神の永遠性と人間が持つ罪ゆえのもろさ、弱さを記しています。命のはかなさが痛いほど伝わってきます。私たちの人生は80年ばかりです。過ぎてしまえば70年、80年は夢のようです。肉体的にな衰えも重い課題です。しかし、モーセは失ったものを数えませんでした。また、残されたわずかな日々を数えて気落ちしていません。彼は、『自分の日を正しく数えることを教えて下さい』と祈りました。神の恵みは今の私にも十分であり、その恵みによって、今朝満たして下さいと祈ったのです。今日、あなたの恵みによって、喜び楽しむようにして下さいと祈ったのです。全てを主の手に委ねて、立ち上がりましょう。


2002年9月22日   なんと幸いなことでしょう
詩篇84篇1節〜12節より
本篇は、多くの信仰者に親しまれ、生涯的聖句として持つ方も多い。それは礼拝を切望している心の詩を美しい表現、感情の深みを表現している。人間の魂と霊なる神様との交わりの自覚からくるものである。
 〔1〕神の家に住む幸い(1〜4)
    生ける神との交わり
 〔2〕神に在って力を持つ幸い(5〜9)
    信仰の旅路の勝利
 〔3〕神を信頼する者の幸い(10〜12)
    生きる神に関係する喜び
 主の大庭に慕い、神の家で奉し、神への礼拝する者の幸福感である。
『なんと幸いなことでしょう』それは神の家に住まうこと。そして神に力の源があって心の中にシオンへの大路すなわち神へと直接つながる道がある。神に信頼すること。これらを『なんと幸い』と表現されている。
私にとって幸せとは何か。この詩が教ええることに、本当にそのとおりと共感できるか。それとも世の人が言う幸せの代名詞、家内安全、商売繁盛的なものが幸せの筆頭に上がっていないか。信仰者であっても私たちは世にも生きて暮らしている。その中で天的な喜びや幸せをどれくらい実感としてとらえ、求め続けているかは多くの信仰者の実際的な問題である。神が与えられる真の幸せを今日も味わい知るものでありたい。又、生涯を通じて追求する者でありたい。


2002年9月15日   信仰を生き抜いた人の祈り
詩篇71篇より
全生涯を信仰によって生き抜いて来られた一人の高齢者の祈祷である。神への嘆願、祈祷、そして確信から感謝の賛美をささげている。
 〔1〕祈祷と信頼(1〜8)
    どの様なときでも神を信頼して祈る
 〔2〕救助と嘆願(9〜14)
    年老いても、神への思慕は強くなる  〔3〕嘆願と確信(15〜20)
    高齢者の信仰を受け継ぐこと
 〔4〕希望と賛美(21〜24)
一日中主を賛美し、神の救いを語り伝える、正に『私の心は素晴らしい言葉で湧きたっている』と言っているかのようです。肉体の衰えと困難にも『今日の一日』を過ごすこの姿勢こそ次の世代・・・後にくる全ての者へのメッセージとなるのでしょう。若いときも老齢にも『常にいまし、昔いまし、後にこられる方』の中に生きる者の恩寵ではないでしょうか。


2002年9月8日   神の大庭に住む幸い
詩篇65篇より
本篇は、創造主である神様が、その御業のゆえにほめたたえられている。そのような偉大な神様と『肉なる者』である人間とは、お祈りによって交わりを持つのである。
 〔1〕大庭に住む特権(1〜4)
    *赦しの祝福
    *神の家に住む祝福
 〔2〕創造者なる神(5〜8)
 〔3〕神の川の祝福(9〜13)
    *地上に見える祝福
    *祝福の源なる神
罪と咎が「私を圧倒して」いたのに、主は「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました」驚くことに無代価の赦しを「すべての肉なる者」が経験出来るのです。私たちの罪咎を背負って下さった主に祈ることの出来る幸い。祈りを聞かれる方によって、「すでに受けた」と信じて立ち上がることができます。


2002年9月1日   待望、信頼、報酬
詩篇62篇より
本篇は、ダビデがサウル王に追われた時からアブシャロム(ダビデ王の息子)に反逆されたときの詩であるとみられている。
 〔1〕神を待ち望む
    *神の御前での沈黙
    *神こそ、強い確信の根拠
 〔2〕神に信頼せよ
    *神への信頼のこころ
    *こころ血を注ぐ祈り
 〔3〕報いる神
    *力と恵みは神にあること
    *信頼の神の報酬
   思想的な神様ではなく、実生活に関わる神様
苦労して苦労して、忍耐に忍耐を重ねて黙ることもできます。しかし、私を愛して下さる御方は、必ず良くして下さるという平安のうちに待つことができます。今あなたの沈黙はどちらでしょう。何が違うのでしょうか、何か根本的な違いを感じます。それは、主に愛されているという実感の違いです。これが着薄になると人はあわてふためき、あれやこれやと策を巡らし、忍耐しても非常に苦しい忍耐です。お父さんは必ず来てくれると信頼して待つ子供の姿は美しいものです。


2002年8月18日   霊魂の渇望
詩篇42・43篇より
元来、42篇と43篇は一つの詩であったと言う。43篇は第二巻の中で題のない唯一の詩篇である。全体を通じて、この二篇は一つの作品として考察しよう。
 〔1〕過去の想起
    *過去の礼拝
    *過去の救いの賛美
 〔2〕絶望
    *たましいの絶望
    *御前での絶望
 〔2〕回復
    *夜の賛美と祈り
    *光とまことの導き
地上の生き物のうち人間だけが活ける神と交わって生きるように造られています。詩篇には、人間は誠に弱い者で困難に会うとすぐに絶望してしまう者であることを示しています。私たちは困難な立場に立つことがあったり、また悲しみに閉ざされるような経験をすることがあります。また人から中傷や攻撃を受け非常な苦痛を味わうこともあります。失敗して心が暗くなったり、事が思い通りに行かなくて気力が無くなり、疲れ切ってしまうこともあります。そのような時過去の恵みを思い起こし、自分自身を励まし、意識して活ける神の御顔を仰ぎみましょう。神様は私たちをいつも恵もうと、憐れもうと待っておられますから・・・


2002年8月11日   主こそ勝利のある生活
詩篇37篇1〜11、23〜31より
正しい者と悪い者の対比をしている。悪い者は繁栄しているが、一時的に過ぎない。悪い者とは不信仰者の者たちのことである。ダビデは彼らに対して「腹を立てるな」と勧告している。なぜなのだろうか。
 〔1〕主にゆだねよ(1〜11)
    *腹を立てるな  ・・心の侵食・心の痛み
    *主に信頼せよ
    *主にゆだねよ
 〔2〕主によって確かにされる(23〜34)
    *主に確かにされる
    *主に見捨てられない
    *地を受け継ぐ
  何故、悪を行う者が栄えるのか、正直者が馬鹿を見るのかと、誰しもが疑問を持つ事が多いでしょう。この世を見ると確かに悪を行う者が栄え、安楽な生活を送っているように見えます。しかしそのような事は昔からあったことであり驚くことではありません。ダビデはそのような悪人に対して腹を立てないように、ねたまないようにと勧めています。悪を行う者の繁栄は一時的であり、やがては滅び去ります。私たちクリスチャンは彼らに惑わされることなく、主に信頼して善を行いましょう。クリスチャンはやがて地を受け継ぎ、主は正しい者の歩みを確かにされます。目先の事に捕らわれないで、長い目で人生の設計をしたいものです。


2002年8月4日   消滅しない幸いとは
詩篇32篇より
この詩篇ほど、霊魂のいのちが極めて深き事に触れる詩篇はない。これほど完全に、罪、悲しみ、導きにおける神の方法を啓示している詩篇もない。神は速やかに赦し、 救い出すことができ、喜んで導きなさるのである。(キャンベル・モーガン)
 〔1〕罪の赦しと認罪(1〜5)
    *最大の祝福とは・・・赦しの恵み・・・
    *認罪にいたるには・・・叱責・聖霊・・・
 〔2〕聖徒を守護する神(6・7)
    *苦難の中の守りと救い
 〔3〕神の勧告と喜びの応答(8〜11)
    *神の勧め
    *賛美と喜びの結実
最大の罪を犯し、赦されることのないダビデが最大の赦しを与えられる。私たちも心からこの御言葉に『アーメン』と言えることは何という恵みでしょうか。人生において決して消滅する事のない幸いは、神に罪を赦して頂くことから始まります。
心に何も責められることも、悔いることもないそんな状態であることほど幸せなことはありません。救われても私たちは弱さの故に、神に対して、また人に対して思いや言動において罪を犯していることがあります。あなたの心は今軽いでしょうか、それともうめき、疲れ、渇き、重くなっていないでしょうか。そのような罪の重圧の中にあるのなら、聖霊様に心の中を探って頂きましょう。
そして勇気を出して神様の前に告白しましょう。どんなに小さな罪でも隠している限り心に真の平安はないでしょう。イエス様の血潮は全てを赦しきよめて下さいます。イエス様の血潮に憩いつつ日々歩まさせて頂きましょう。


2002年7月28日   主は私の羊飼い
詩篇23篇より
教会学校の多くの子供達が暗唱する23篇です。深刻な問題に直面したとき、信仰生活が低下したときに、大いなる慰安と激励を頂く23篇です。生涯の霊の糧です。
 〔1〕主は私の羊飼い
    *主とは誰か(旧約・新約)
    *私とは誰か(ダビデ・自分)
    *羊飼いとは
 〔2〕私は、乏しいことがありません
    *何が欠乏しないのか
    *欠乏しない理由
 〔3〕私はいつまでも主の家に住む
    *油注がれ
    *恵みに溢れ
    *永遠に
主は私を緑の牧場に伏させ・・・・主は私たちを満足させる。愛の牧草地へ、恵みの牧草地へと導かれる。
いこいの水のほとりに伴われます。・・・・主は私たちの人生に守りと支えを与えられる。
主は私のたましいを生き返らせる。・・・・主は私たちの信仰を回復させて下さる。
御名の為に私たちを義の道に導かれます。・・・・主は私たちを悪しき道より、正しき道へと導かれる。
たとい死の陰の谷を歩くことがあっても・・・・死に対する恐れが取り取り去られる。『主が共にいて下さる』


2002年7月21日   信仰者の祝福
詩篇1篇より
詩篇の構成について(表題からの区分)
第一巻(1〜41) ダビデの詩篇
第二巻(42〜72)神殿の詩篇
第三巻(73〜89)アサフ・他の人々
第四巻(90〜106)様々な詩篇
第五巻(107〜150)礼拝の詩篇
【1】信仰者の祝福・・・敬虔(1〜3)
   @否定的面(何もしないか)
   A積極的面(何をするか)
【2】罪人の苦悩・・・不敬虔(4〜5)
   @もみ殻の生活が続く
   A試練やさばきの中に立てない
(結び)正しい者と悪者の道の結果は・・・
幸いなことよ。で始まる詩篇1篇そして、終わりは、・・・滅びうせる。私たちの道には二つの道が用意されている。正しき者の道、悪しき者の道。信仰者にとって永遠のいのちへと続く道。幸いな者となるべく道を歩まさせて頂きたい。決して永遠の滅びに至る道に入らぬ様に・・・



2002年7月14日   復活と宣教
マタイ28章1節〜20節より
主イエスの復活と主の宣教命令は、21世紀も重要なメッセージです。
私たちの信仰
 〔1〕復活の日
    *番兵たちの恐怖
    *2婦人の喜び
 〔2〕指導者たちの陰謀
    *彼らの不安
    *虚偽と買収
 〔3〕主イエスの宣教命令
    *ある弟子の不信仰
    *主の宣教命令
    *主の臨時の保証



2002年7月7日   作戦会議
ヨハネ第一5章1節〜12節より
2002年も下半期に入りました。
私たちの教会
 1.もっと輝き、遠くまで光を放つ教会
 2.正しい説教が語り続けられる教会
私たちの信仰
 1.いつも喜んでいなさい
 2.絶えず祈りなさい
 3.すべての事について感謝しなさい
私たちは、日々この世にあって信仰の様々な戦いを強いられます。神様の恵みは一貫してイエス様による罪の贖いと救い。私たちは、その神様の大きな事業の中にあります。人々がこの救いに与る為に時には作戦のようなものが必要とされる時があるかも知れません。私たちは、その神様のご計画の中の一員として作戦会議に参加させて頂き福音の宣教の為に用いて頂ければ幸いです。その為には、私たちは常に初めの愛に帰り魂の救いの為にイエス様が心に住んでいらっしゃるという自覚を持って日々歩まさせて頂きたいものです。罪の自覚と、その罪を赦して下さる神様を知り一人でも多くの魂が、神様にあって回復させられますように・・・