礼拝メモ

2007年6月24日   神のさばきと神の慈愛
ローマ書1章28〜2章5節
パウロは1章後半において真実な神との正しい関係を失った者たちの罪について列挙しました。罪の現実に対して神様の怒りがあること神様のさばきがあることを宣言しました。
2章に入りユダヤ人の霊魂の中には隠れて潜む罪があることを指摘しました。そして神様のさばきは公正であり単にモーセの律法を知っているだけでは義とされない。神の慈愛にて悔い改める事。
真に生きておられる神様を否定した結果は何でしょうか。人間の意志、感情、知識が汚染され人間関係において混乱が生じました。人間の堕落した姿なのです。また、これは現代の世界における神様のさばきであるとも言うことが出来ます。
●29節〜31節にリストアップされている罪は21個を数えます。二つに分けると
 行為に表れたいろいろな罪悪
 心の内側に持っている内的な罪
●2章に入りパウロはユダヤ人の中に潜む偽善の罪を鋭く指摘する。
 彼らは選民であることを誇り表面的に律法を守り形式的に儀式を行っているから神のさばきはない。神のさばきから免れることが出来ると思っていました。パウロは性急にユダヤ人の偽善の事実を追求することをしないで神のさばきの原則を明らかにしました。『すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません』
●神の真の慈愛とはどのようなことでしょうか
 『慈愛』は親切さとか善良な心、深い愛を意味しています。つまり神様の私たちに対する恵み深い親切な態度のことです。
 本当の意味での神の慈愛とは何でしょうか。
『神の慈愛があなたを悔い改めに導くことなのです』イエス様はこの地上に、人々を変えるためにいらっしゃいました。
どんな人でも、どんな仕事をしている人でも、あなたは悔い改めなさい。思いを変えなさいとイエス様はおっしゃったのです。あなたの人生を変えることが出来るでしょう。それがイエス様のメッセージです。神の前に謙遜で素直な人は、恵みに与り祝福に与るのです。心が砕かれる者は幸いです。そのような行為に対して神様は信仰の報いをなさる方です。


2007年6月10日   ぜひ福音を伝えたい
ローマ書1章8〜15節
当時の世界の首都はローマでした。そこにも教会が誕生しキリスト者の増加につながった。
パウロは教会のことを聞いていたので、ぜひ伝道したいと考えていました。福音を伝えたいが機会に恵まれなかった。 そのような状況の中でパウロがコリントにやって来たとき16章1節『ケンクレヤにある教会の執事で私たちの姉妹であるフィベをあなた方に推薦します。』と執事フィベがローマへ行くと聞き彼女に託した。パウロがこの教会を建設したとは考えられない。『なんとかして今度はついに道が開かれて』と、今にでも飛んでいきたいというパウロの切なる気持ちが表されています。何故それほどまでにパウロはローマに行くことを切望したのでしょうか。
 ●その理由の一つは『霊的な賜物』
  福音の理解と知識聖霊に満ち溢れる愛と力、信仰などをいくらかでも
  お分かちしたい。あなた方やあなたの教会を主にあって強く成長するように
  お役に立ちたいからです。すなわちローマのクリスチャン達の信仰を激励し
  確立しようと切望していたのです。
 ●その理由の二つめは、さらに積極的にイエス様の福音を
  宣べ伝えることでした。
  パウロは聖霊による強い愛に促され強い自覚を持ち『ですから私としては
  ローマにいるあなた方にも是非福音を伝えたい』と言うのです。
  私たちはイエス様を信じるだけで罪が赦される道を知りました。
  イエス様こそ救い主です。このようなグッドニュースを皆が知らなければ
  なりません。この福音を教会は持っています。あなたも持っているのです。
  私にもあなたのもグッドニュースを伝える責任・使命・負債があるのでは
  ないでしょうか。この責任を全力で果たしたいと思います。


2007年6月3日   神の福音により召された人々の恵み
ローマ書1章1〜7節
ローマ教会の誕生はローマ大帝国の首都ローマからエルサレムに行った者の中に五旬節(ペンテコステ)の日にクリスチャンになった人々がいました。彼らはローマに帰りイエスの福音を証ししたのであった。主を信じる者が起こされ増加した。その伝聞はパウロに届いた。彼は信者のために感謝し祈り、そして本書を書いた。(人間の罪、救い、聖霊)
【1】イエス・キリストによって召された人々です。
  ローマ人であってもキリストによって召された者であることを意識させました。
【2】召された使徒であるようにローマのキリスト者達も
   神様に愛されて召された使徒であった。
【3】パウロは、あらゆる国の人々に福音を宣べ伝えることを使命としましたが
   ローマのキリスト者は、あらゆる国の人々の中にあって
   救われた者たちであった。
手紙の受取人についてパウロのうるわしい言葉
 ●神に愛されている人々
 ●神に召された人々
 ●聖徒たち
特に聖徒というのは神様によって聖別された人々のことです。神様の愛と聖とによる別離です。人間的な論点ではなく神様の恩寵愛による聖別なのです。傲慢、恨み心、強情な心、意地悪い心からの聖別です。人間は生まれながら罪をもって生まれてきたのですから救われ、きよめられる恩寵愛
それほどの恩寵愛はどこから注がれるのでしょうか
重要な鍵は「神の福音」です。
福音は教理ではない思想でもない教訓でもない良い知らせなのです。イエス様の十字架と復活を基本とする救いの道です。単なる思想や霊的な教えではなく今も生きて力をもって働かれる救い主イエス・キリスト御自身こそ「福音」なのです。


2007年5月27日   御霊の実
ガラテヤ書5章16〜26節
この部分は霊と肉との対照です。私たちは御霊によって生き御霊によって歩むべきなのです。『御霊で始まったあなた方が、今肉によって完成されるというのですか』(3章3節)と、御霊によって仕上げることをパウロは強調しました。
新生経験も御霊の力、きよめられるのも御霊の力、信仰を維持していくのも御霊の力によります。『御霊によって歩みなさい』と御霊に従って歩みたい。条件は御霊のバプテスマを受けること
【1】聖霊による初代教会の特徴(使徒2章42〜47節)
 ●「使徒たちの教えを堅く守る」ことであった
 ●「交わり」であった
 ●「パンを裂く」ことであった
 ●「祈り」をしていた
【2】聖霊に満たされたクリスチャンに結ぶ御霊の実
御霊の実は御霊の賜物というより御霊の恵みです。御霊の恵みは、御霊が結ばせて下さった「結実」です。
九つの実
 ●神様との関係では「愛、喜び、平安」です。
 ●友人・隣人たちとは「寛容、親切、善意」です。
 ●自分自身との関係では「誠実、自制、柔和」です。
(結び)聖霊様のバプテスマを受けよう。聖霊様に罪や否定語を吹き飛ばして頂こう。主は聖霊様の炎を燃やして心の汚れを焼き尽くす御霊のリバイバルを求めよう。


2007年5月20日   聖霊の賜物について
エペソ書4章1〜16節
パウロは牢獄の中から彼らに切願したのは彼らに救われた恵み、召しにふさわしく歩む特に真の一致を保つことであった。
一致すべき理由を示し、一致を守り続けるように努めなければならない。しかも教会に神がお与えになった賜物はいろいろあります。これらはすべて教会の成長と建徳のため、クリスチャンたちの奉仕を整えるために与えられました。その目的に沿うように励みたい。
【1】召された者(救われた者)にふさわしい歩みをしなさい(1〜6節)
(1)成熟したクリスチャン生活の徳について
 ●【謙遜】人を自分よりすぐれた者とする心(ピリピ2:3)
 ●【柔和】争わない心。いらいらするような環境での冷静沈着又は自制心
 ●【寛容】人を咎めずかえってその人の過失や罪を赦す心。
  かたくなな人に対して示された忍耐としての寛容。
  絶え間ない攻撃や苦難の行為に寛容心
 ●【忍び合い】自分を制して人の仕打ちを怒らない心。決して冷淡ではなく
  愛をもってなされなければならない忍耐心。
(2)成熟したクリスチャン生活のあり方について
  平和は一致のきずなです。しかもそれは御霊の一致であること
  聖霊様が生み出し聖霊様が賜る一致です。
【2】キリストの賜物とその目的について(7〜16節)
クリスチャン一人一人に神の救いが与えられています。同様に賜物は十人十色で一人一人に与えられています。キリストの賜物はキリストの賜物の量に従って神様は与えて下さるのです。神の賜物である主キリストの十字架の恵みです。
(結び)具体的にはどのような目標が示されているでしょうか
信仰と知識の一致とに達し完全な大人になりキリストの充満に達する為。
キリストの満ち満ちた成熟に至るほどの年齢に達することが可能なのです。
あらゆる点に成長しキリストに似るとともにイエス様と結合し一体化する為。


2007年5月13日   約束された聖霊
使徒2章29〜42節
イエス様は最後の晩餐において聖霊が来られることを語れました。ヨハネは真理の御霊・助け主と表現しました。
7章には御霊のことを「生ける水の川が流れ出る」ようだと語られました。ルカは「父の約束は果たされる」と聖霊の注ぎによる力を受けるとイエス様から言われたことを記憶していました。使徒の働きになりますと、まさに聖霊の働きの証しで満ちています。
【1】約束された聖霊は「激しい風」として来られた。
(1)風は自由に動き働く(ヨハネ3:8)
(2)風の影響は目に見える。
(3)風は力強い
【2】約束された聖霊を受けたペテロのメッセージの変貌(2:29〜36節)
(1)兄弟たち
  1.イエス・キリストの十字架の死と復活の証人であることを宣言しました。
  2.イエス・キリストは神の右の座におられ栄光の座に戻られました。
    この座から御父の約束の成就として、このイエス様から聖霊が
    降臨されました。
(2)イスラエルのすべての人々よ
   このようなイエス様を十字架につけたのは、あなた方です。
(結び)人々の反応について(37〜42)
  人々は心を刺された
  罪の悔い改めと罪の赦しを求められた
  キリストの名によるバプテスマを勧告された
  救われた人々は使徒たちの教えを堅く守り祈りする者となった
教会は熱心にうむことなく神のみわざを待望しつつ伝道に励まなければならない


2007年4月29日   いつもあなた方とともに
マタイ28章11〜20節
マタイの福音書はダビデ王の子孫としてのイエス様の描写からスタートしています(1章)東方の博士達は幼子イエス様を「ユダヤの王」と呼びました。そして、この「ユダヤの王」いう罪状書きをもってイエス様は十字架につけられました。しかし今や死から復活した「栄光の王」として、イエス様は天と地にすべての権威を持つ方として臨まれました。この「権威」は政治的軍事的な権威を否定したものでした。
【1】イエス様の復活に対する虚偽の策謀(11〜15節)
(1)祭司長たちと長老たちの策謀・陰謀
(2)兵士たちの任務について
【2】主の復活と主からの宣教命令(16〜20節)
主の復活は弟子達にどのような影響と感化を与えたでしょうか。イエス様は復活と共に天と地のすべての権威を掌握されました。すべての権威を掌握されたイエス様は、ご自分の大権・全能の力をもってこの世に臨まれました。
(1)この権威と全能の力は、この世の政治力・軍事の力・経済の力を越える力です。
(2)この約束は「いつも、あなた方と共にいます」ということの保証です。
(結び)復活のイエス様を知り信じる者には、いかなる困難にも耐える力が湧いてきます。
復活のイエス様を見上げながら行くと自分の弱さに躊躇しない、また力や欠乏にも憂えて不信になったりしない。かえって使命に向かって前進するのです。
復活の主イエス様が常に共にいますゆえに、どのような場合でも恐れない。恐れる必要がないのです。
『全き愛は恐れを締め出します』(第一ヨハネ4章18節)


2007年4月22日   キリスト・イエスを知っていることのすばらしさ
ピリピ3章1〜12節
この手紙の特徴としてあげられる言葉に注目して頂きたい。恵みの深さです。
○「喜び」「喜ぶ」獄中での喜びの生活
○「キリストにあって」「主にあって」
  信仰生活の中心的位置
○「コイノニア」(交わり、あずかる)
  聖霊・十字架
○「福音」贖罪の福音の勝利
【1】にせ教師についての警戒(1〜3節)
(1)『主にあって喜びなさい』
(2)にせ教師たちに対する呼び名
  1.「犬に気を付けて下さい」と犬の名称を使ったこと
  2.「悪い働き人」に気を付けて下さい
  3.「肉体だけの割礼の者」で自慢するのではなく
   「心の割礼こそ割礼です」
  4.「神の御霊の礼拝」にこそ真の割礼による真の礼拝なのです
【2】すべての境遇上の特権の放棄(4〜7節)(人間的・肉的特権)
【3】パウロの価値観・目標・追求心(8〜12節)
(1)私の主であるキリスト・イエスを知っていることの素晴らしさ
(2)キリストを得・・
(3)キリストの中にある者と認められるとは・・
(結び)私たちは後戻りしたり足踏みしたりしないで「信仰の前進」なのです


2007年4月15日   わたしを愛しますか。わたしに従いなさい。
ヨハネ21章15〜22節
イエス様を離れた弟子たちは故郷に帰り漁師の仕事に戻っていた。ガリラヤ湖で網を打っていたが何も取れなかった。意気消沈の彼らにイエス様は現れた。特にペテロには使命的なメッセージが託された(信任と委託。使命と十字架)
【1】私を愛しますか(15・16・17節)
『あなたは、この人たち以上に私を愛しますか』
イエス様が言われた愛は「アガパオー」神の愛でした。神の愛は罪人を救うために、ひとり子を十字架につけるべくお与えになったほどに深くそして決定的な犠牲愛でした。
ペテロの応答した愛は「フイレオー」人間の愛でした。勿論なくてはならない愛です。しかし、その中に罪が入ると壊れていく愛のようです。何故なら交流の愛だからです。
『あなたは私を愛しますか』(16・17節)
ペテロはイエス様が逮捕された時に三度も知らないと言い、その事に対するペテロ個人に向けたイエス様の問いでした。しかも三度も繰り返されて、三度も主を知らないと言ったことを思い起こさせた。イエス様の愛は失敗した者、敗北した者を赦して尊い使命を授けられ用いて下さる愛です。実に神の御愛、主の愛です。 【2】私に従いなさい(19・22節)服従
聖書には両親と子供の間、主人と奴隷の間、王様と家来の間などの人間関係について用いられています。しかしもっとも重要なのは人間が全能の神に服従することです。そこで服従とは人の神様への信仰と愛の最高のテストなのです。
(結び)愛の黄金聖句はマタイ22章37・39節です
    服従の黄金聖句はペテロ第一2章21〜25節です。


2007年4月8日   聖霊を受け入れなさい
ヨハネ20章19〜29節
キリストの復活は、十字架による完全な死がなければ起こらないのです。イエス様は十字架上で7つの言葉を残されました。第6の言葉は「イエスは酸いぶどう酒を受けられると『完了した』と言われた。しして頭をたれて霊をお渡しになった」(ヨハネ19章30節)と『完了した』とはイエス・キリストは全能の神から、地上において人類のために果たすべき遣わされた「救い主」としての「救い主の業」を成し遂げた勝利の叫びだったのです。
【1】イエスの死体の埋葬(19章37〜42節)
【2】キリストの復活(20章)
【3】復活のイエスからの弟子達への訓戒について
1.弟子達の前に顕現されたイエス様は刺された手とわき腹を示されました(20節)
2.イエスが来られ彼らの中に立って言われた。「平安があなた方にあるように」
イエス様はどんな外的な苦悩・苦痛にも奪い去ることのできない内的な平安を持っておられました。その同じ内容の平安を今・・イエス様の十字架による罪の赦し、復活による死から解放を与えて下さったのです。アーメン。
この喜びと平安の到来によって弟子達への使命感がはっきりと呼び覚まされたのです。この使命の実現、実行は『聖霊を受けなさい』と聖霊の満たしでした。


2007年3月25日   前進の時
出エジプト記14章10〜28節
前進する理由について
【1】前進以外に道はなかった
イスラエルの民の脱出は突然であり規律のない鳥合の衆のような群れである。背後には戦車に乗ったエジプト軍が迫ってくる。前方は紅海ですから止まったら全滅の危機です。前進はどうしてもしなけらばならなかった。私たちも示す道に従って前進しなければならない。
【2】神の約束が与えられている
主の御前に静まろうと決意をし三節には人間の行き詰まりは神のチャンスです。奇跡を先取りして前進せよ。八方塞がりの中で神の働く時となった。海は乾くと信じ神の約束を信じて前進する。
【3】神の栄光を目的にした
神は危機を作り出して何をなされるのか。その理由は『わたしの栄光を現そう。・・わたしが栄光を現すとき・・』私たちを危機に追い込み奇跡にて解決し神ご自身現される。
(結び)私たちはどこに向かって前進か
1.第一の目標は、救いの完成
2.第二の目標は、救霊
3.第三の目標は、キリストの共同体


2007年3月18日   全き愛
ヨハネ第一4章7〜21節
4章には真理の霊と偽りの霊があること。反キリストの霊がいろいろな姿を変えて教会内に入ってくるから目をさまして守り聖書的正当信仰に堅く立つように勧告されています。(1〜6)
もっとも大切なことは神の愛に生きることです。クリスチャン相互の愛は神の愛のあかしであります。そのためには全的愛が経験されますように。愛の生活を送る者は神様と同じ心になる霊的一致の関係、全き平和の関係を築きます。
【1】愛の源泉は神ご自身であること(7〜12節)
(1)愛は神から出ている(7・8節)
(2)ひとり子が世に遣わされた(9・10・14)
(3)互いに愛し合うこと(7・11・12)
【2】全き愛の恩寵
(1)イエス様を神の御子と告白すること(13)
(2)愛が私たちにおいて完全なものとなりました。愛の完成(17・18)
心の中の全き愛は、さばきの日にクリスチャンに大胆さを与えます。
全き愛は恐れを締め出します。
(結び)
全き愛はきよめです。きよめの表現は経験されたクリスチャンによって異なりますが、内容は全く同じです。きよめの信仰はテサロニケ第一5:16〜18です。


2007年3月11日   三人の会話
ルツ記2章14〜23節
ルツがエリメレクの一族にて非常に裕福なボアズの畑に「はからずも」入ったのは、神の導きであった。しかもボアズは宗教的に敬虔な人であった。ですから刈る者たちからも慕われていたようだ。
しかも旅人や貧しい者に親切な行為を表すような愛の人であった。そのような彼にルツは出会ったのでした。謙遜に「私は外国人なのに親切にして下さるとは・・」と、土下座して感謝していた。
【1】ボアズとルツとの会話(14〜16節)
ここには更に大きな恵みの保証を与えています。食事の時の配慮です。飲料水ばかりでではなく、パンそして炒り麦まで与えられました。
◎私たちの信仰生活には「束からわざと穂を抜き落とされた穂」のように意識しない恵み、知らない恵みが信仰の道筋に多く落とされているということです。そのような恵みを感じ取るクリスチャンに。
【2】姑ナオミとルツとの会話(19〜22節)
ナオミは沢山の麦の落ち穂を持って帰ったルツに「今日でおこで落ち穂を拾い集めたか。どこで働いたか」と聞き、目をとめた方に祝福を祈っています。”ご苦労ですた。疲れたでしょう。休みなさい。”とねぎらいの言葉も・・
私たちも神様からこの一年はどうでしたかと聞かれるでしょう。
ルツは答えました。「その人の名はボアズです。そこで働きました。」すかさずナオミは「その方は近親者で買い取りの権利のある親類の一人です」
(結び)
私たちはイエス・キリストの畑に導かれ、神様から溢れるばかりの恵みに与っています。キリストによる罪からの救い、十字架の贖いの恵みを受けました。誰に対してもこのイエス様の救いの恵みを証しが出来るでしょうか。あなたです。誰に会いましたか。ボアズなるイエス様です。イエス様の十字架です。どうして言えるのですか。聖霊による背きです。ルツのようにボアズを紹介したい。


2007年3月4日   はからずも・・ボアズの畑のうちに
ルツ記2章1〜13節
2章に入ると姑ナオミと長男嫁ルツはモアブの地からベツレヘムに帰りました。環境は変わって大麦の刈り入れの時、豊作のベツレヘムの地へと移ります。
ルツは落ち穂拾いという仕事に入っていくのです。その畑はボアズという有力者の土地でした。彼はエリメレクの一族に属していた。そのことがどのように展開していくのか。神の導きを深くします。
【1】ルツの美しい言葉に注目しよう(1・2節)
”どうか、お母さん畑に行って穂を拾わせて下さい。私に親切にして下さる方がいると思うから・・。
【2】ルツは「はからずも」・・ボアズの畑の中に入ってしまった。(3節)
「はからずも」「たまたま」「意(おも)わずも」・・導かれたこのボアズの畑に入ったことがルツにとっての生涯に大きな転機となる場所となったのです。
【3】ルツは・・ずっと立ち働いています。(7節)
ルツがボアズの畑に入り落ち穂を拾う勤労の姿から、私たちははからずも聖書の畑に入り、みことばという麦畑から信仰の真理の落ち穂を拾い心を燃やして神の国を求め、心を尽くし思いを尽くして神を信じイエス様を愛していくのです。神の御顔を拝していますか。敬虔な生活の恵みを感じていますか。
(結び)
私たちは教会に導かれた事、聖霊のタッチを受けつつ神様と交わる事が出来るようになった事、イエス様の御姿に変貌して行くようになったことを忘れないように


2007年2月25日   二人は・・ベツレヘムに着いた
ルツ記1章19〜22節
ルツ記の信仰的決断の頂点を越えました。しかし国境を越えてベツレヘムに向かうナオミとルツは、どのような会話をしながら歩いていたのだろうか。距離的にはモアブからベツレヘムまでは約80kmです。岩場のような山々が続きます。
姑と嫁という世にもまれな女性の旅路です。一方うるわしい旅路だったろうか。
【1】二人の旅路はのような状態だったでしょうか。
現代的には姑と嫁が車の中で語り合いつつ、共に歩きながら語り合いつつ礼拝に参加し神の御声を聞き帰りには神の恵みを語り合い支え合いつつ前に向かって行く状況はなんとうるわしい姿でしょうか。
【2】二人の新しい踏み出しはどうであったでしょうか。
(1)町中の人々の反応
(2)ナオミの新しい人生のスタート
○先ず、ナオミさんの自己反省について(20節)
○直美の真実の告白について(21節)
(結び)
○エリメレクの判断は居るべきパンの家を離れて偶像の神のモアブの地に移住したことがスタートでした。この世の罪に下った魂の姿だったのです。全能の神様を捨て世の道を選択した魂は実に悲惨です。
○ナオミのように自己反省して悔い改めによって全能の神様の愛に戻ることです。全能者はナオミを試験し試みて真の生ける神様のみもとに導きました。
「神は愛する人々すなわち神のご計画に従って召された人々のためには神がすべてのことを益として下さることを私たちは知っています。」(ロマ書8:28)


2007年2月18日   ルツが・・・堅く決心して
ルツ記1章15〜22節
レバリイト結婚はモーセの律法によって是認された。この結婚は厳しく求められたものではなかったが、愛の義務として考えられた。だからそのことをしないと、その人とその家に非難と嘲りをもたらしたのでした。
ナオミは前述のようなことは出来ませんから極力帰るよう説得した。帰りなさい、帰りなさいと愛を持って説得したのでした。オルパは帰国しました。ルツはナオミにすがりついて離れなかった。
【1】ナオミの最後の勧告について(15節)
【2】兄嫁ルツの驚嘆する返事について(16・17節)
(1)16節・・姑ナオミの説得の理由は、主としてこの世の幸福感です。
ルツの最高の選択、最高の決断、最高の告白です。
○姑ナオミに対する心からの信頼と敬愛の情の告白。
○「あなたの民は私の民」であるという告白。
○「あなたの神は私の神です」という告白。
(2)17節・・「死なれる場所で死に、そこで葬られたいのです」
(結び)
私たちも本気になって信仰の道を求め、深め、追求するならば、外から様々な妨害や迫害も、ものの数ではないことを教えています。
そしてある意味では家庭や仕事にまさって教会に来られて学ぶならば、神はあなたという個人と家庭に祝福を与えるものであることを堅く信じている者です。それはルツのようにどんな困難にも乗り越えて最後の最後まで、ついにはナオミがルツの堅い決心を知って、もう言うことをやめたというところまで私たちは証しを立てることが出来たら、なんと素晴らしいことでしょうか アーメン


2007年2月11日   ルツは彼女にすがりついて
ルツ記1章6〜14節
ルツ記とエステル記は女性が聖書名になっています。信仰の原点を見ますと男女の差はありません。しかも三千年前の出来事ですが現代に通じる内容なのです。人間関係は時代を越え民族の違いがあっても変わらないのです。
そのような状況下に信仰の偉大さが見えてくるのではないか。特に、ここに嫁がありここに姑ありという双方に見られる美しい関係に深入りしましょう。
【1】姑ナオミの愛の心遣い
(1)ナオミの同情の心
(2)再婚を勧めるナオミの愛の心
【2】すがりつくルツの心
別れて行ったオルパさんも妻としての務めを果たし夫を最後まで看取って天国に送り、今日まで姑に従い姑の心の痛む思いの勧めを受けて実家へ帰る決心をしたのでした。オルパの行動も人間として立派なことではないでしょうか。去って行く彼女に神の祝福が豊かにあるように祈り、残ったルツさんに目を留めましょう。
(1)モアブの地を離れるルツ
モアブの地を離れることは今までの生活環境を全部捨てて離れる事です。
(2)ナオミにすがりついたルツ
(結び)ナオミが説得した理由は主としてこの世の幸福に関係していました。ルツが最後まで固執したものは姑との人格関係と、この世の幸福を超越した次元の高い信仰決断でした。約10年間のナオミとの生活の間に宗教的信仰的感化が及んでいた。夫の死によっても離れがたい関係に進んでいた。
ルツの選択、決断、傾注、献身から私たちクリスチャンは生ける神を選択し罪からの訣別を決断し、イエス様に傾注し全的にキリストに献げて生かされたい。


2007年2月4日   主がご自分の民を顧みて
ルツ記1章1〜9節
ルツ記は二十年前に講解説教をしましたが、今回一、二章に触れて行動的な信仰、最後まで忍耐する愛は必ず勝利する愛であるということの主題を汲み取って頂きたい。女性が題名となっているのは、ルツとエステルの二名です。特にルツが異邦人(モアブ人)であることに留意したい。
【1】モアブの野に行きそこに滞在することにした。(1〜5節)
時代は士師記6章の時代ですから、秩序の乱れた激動社会であった。動乱のような中に非常な飢饉に襲われたのでした。もともとユダヤの地は飢饉の多い土地柄です。飢饉や戦乱のために多くの困窮者や被災者が出たと思う。
(1)困窮者の中にエリメレクの家族(4名)がいました。
もし私たちが自分の居るべき所を放棄し捨て神様に背を向けて離れると自己中心の生活を送ると、それは霊魂の苦難の連続の道であることを教えています。
【2】主はご自分の家族を顧みて(6〜9節)
10年間に何があったのでしょうか。苦難、窮乏、不可解、矛盾と見えますね。クリスチャンになって次から次と苦難が来るとエリメレクのように離れることがしばしばあります。
お互いの生涯においても信仰を持って、この苦難に満ちた人生に処する心の体験は何か。課題の多い人生にあって神様は生きておられる。神様は見ておられる。神様は愛しておられる。神様は与えて下さる。すなわち神様は愛の干渉をして下さる。顧みて下さるということです。その中に新しい人生が展開し始めるのです。


2007年1月28日   救い主の来臨と人の栄光
イザヤ4章1〜11節
本書は罪の告発から始まり新しい時代の待望、そしてメシヤの来臨の待望で終わる(前半)
40章から後半は捕囚の解放宣言に始まり新天地で締めくくる。全能の神様によるシオンの救いすなわち苦難のしもべ(十字架の預言)そして再臨や終末の栄光が後半となる。
【1】バビロン捕囚からの解放(1〜2節)
【2】救い主の来臨の備え(3〜5節)
1.『主の道を整えよ』とは神の道を、救いの道を、救い主キリストの道を整えなさい
2.『主の栄光が現される』とは見えない神が眼に見える顕現であり、それこそすべての人々が見ることが出来ます。
【3】人の栄光の衰退(6〜8節)
神も御言葉は人間の歴史の中で、また私たちの人生の中で歴史を、物事を変える力を持ち働いているのです。そして神の御目的、御計画が達成されます。
【4】救い主の来臨と救い(9〜11節)
神の民は救い主の使者としての任務が与えれたように私たちクリスチャンも「良い知らせ」を伝えなければならない
(結び)
『私たちはもっと救い主イエス様を知り、近づき、語り合い、心と魂をイエス様の霊に満たされたい。キリスト内住の経験者にならせて頂きたい。ハレルヤ』


2007年1月21日   一人の霊魂の尊さ
コリント第一9章19〜27節
パウロは使徒職に与えられた自由を用いないで兄弟に対する愛を配慮する。そして使徒としての自由、権利を福音のために放棄した。もちろん使徒として生活費を受ける権利があるが、その権利をあえて用いないことで自由の乱用をしない。大切なことは『自由と愛』の原則を、彼自身の宣教師お呼び牧会者としての生き方を大胆に表現したのが、この9章です。
【1】福音の奉仕のためにする方法(19〜23)
1.ユダヤ人にはユダヤ人のように
2.律法の下にある人々には今やキリストを信じる信仰の元にいますが、律法の下にある者のようになりました。
3.律法を持たない人々には、持たない者のようになりました。福音による自由、御霊の自由は決して放縦、わがまま、自分の好む歩みではない。
4.弱い人々には、弱い者になりました。
5.すべての人にすべてのものになりました。
【2】勝利の冠を得るための自己訓練、克己の生涯(24〜27節)
1.信仰を持つことで自己満足することなく神の恵みに力いっぱい応答し、与えられた状況の中で信仰の善い闘いを続けよう。
2.朽ちる冠とは当時すぐに枯れてしまう松葉で編んだ冠を得るために一年近く食生活をコントロールしてました。
厳しい自己節制・自己克己・自制の道を歩むのは、自らが失格者になることがないためなのです。実に感嘆する告白です。それほどに福音宣教は伝える者にとっては、最も重要な事実として深く理解していたから。
一人のたましいの救いは最高の喜びであり、最高の価値に値するものです。
(結び)
『ひとはたとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには人はいったい何を差し出せばよいのでしょう。』マタイ16章26節
★ひとりの霊魂のいのちは全世界より地球より重く尊い存在です。


2007年1月14日   愛の回復
ヨハネの福音書21章15〜23節
この章はガリラヤのテベリヤ湖畔で起こった復活のイエス様の顕現は、全的信頼に大黒柱を失い意気消沈していた弟子たちに希望と光を与えたのでした。
特に個人的にはペテロに対する使命を再確認し、使徒ヨハネとの関係に預言しました。ペテロの殉教死とヨハネの長寿によって黙示録の書が記録されました。一人一人の生き方を暗示したのでした。私たちの使命はどのようなものだろうか。
【1】復活のイエス様とペテロとの会話(13〜17)
三度も否定した罪がペテロの深い心の傷となっていました。
ペテロはイエス様に対する信仰において「たとい全部の者がつまづいても私はつまづきません」と強く言いました。しかし彼は三度も試験され三度も落第しました。ペテロのイエス様に対する愛は神の愛ではなく人間としての最高の愛で従っていたのでした。人間愛の弱さです。
ペテロのイエス様への愛の回復は、復活されたイエス様との会話からでした。そしてイエス様が望んでおられた神の愛は、ペンテコステの霊が注がれた時でした。
【2】ペテロとヨハネの将来に関する示唆(18〜23節)
イエス様はペテロに対して年が進につれて行きたくないところに連れて行かれることを示唆しました。それはペテロの死に方でした。ペテロの将来は十字架につけられ殉教の死を遂げて神の栄光を現すべきでした。「ペテロよあなたはわたしに従いなさい」従い続けることが愛の回復につながっていたのでした。
ところがペテロはイエス様が愛されたヨハネのことが気になりました。「この人はどうですか」とイエス様に聞きました。イエス様は「わたしが来るまで・・ それがあなたになんのかかわりがありますか」と答えられました。
私たちは「主よ。この人はどうですか」と、人のことに干渉しない。ただ自分に与えられた使命、自分に委任された十字架に安じて生きよう
(結び)
初めの愛から離れていると感じたら悔い改めて初めの行いに。
愛の回復はイエス様とのp会話からスタートし人間愛から神の愛に転機を。
あの人はどう、この人はどうではなくあなたは私に従いなさい。
主の言葉『あなたに何の関わりがありますか。あなたは私に従いなさい。』


2007年1月7日   福音伝道の喜び
ローマ書10章1〜15節
ユダヤ人は信仰による義を拒絶しました。信仰による救いは神のご計画であり信仰によるのに行いに頼りました。彼らはつまづきの石につまづきました。
パウロはイスラエルの不信仰の実体を鋭く指摘し、信仰による義を鮮明に語ったのです。救いを得る道を力強く、すなわち福音伝道による救いを示した。
【1】切なる祈祷をするパウロ(1〜3)
  1.回心後、アラビアに行き福音伝道の準備をするパウロ
  2.ユダヤ人伝道から異邦人伝道に向かったパウロ
  3.自分の義でなく神の義を伝えるパウロ
【2】信仰による義を主張するパウロ(4〜13節)
  1.モーセの律法による義について
  2.信仰による義について
【3】良い知らせを伝え喜ぶパウロ(14〜15)
(結び)イザヤはバビロン捕囚からの解放について「良い知らせを伝える」喜びと感謝の目をもって美しく描いています。(52:7)同様にパウロは主キリストの福音を「立派でしょう」(美しい・愛らしい・心地良いの意味です)と喜びと感謝