礼拝メモ

2008年 4月 6日   初めの愛
ヨハネの黙示録2章1〜7節
…はじめに・‥
今回の礼拝講壇では、ヨハネの黙示録2〜3章における7つの教会への手紙から、霊 の恵みを分かち合いたいと願っている。これらの手紙は実際に個々の教会に送られた手 紙だが、取り上げられているさまざまな事がらは時代や場所を問わず共通のもので、あ らゆる時代のあらゆる教会が真剣に学び、悔い改めをなすべきことを教えている。
【1】 権威をもって語られるキリスト(1節)
なぜイエス様は権威を持っておられるのか、考えてみよう。そしてその権威の1つは、 「罪を赦す」である。マルコ2章5節にあるように、「子よ。あなたの罪は赦されました。」 とイエス様は言われた。イエス様はご白身のことを「地上で罪を赦す権威を持っている」 と言われた。アーメン。
【2】 エペソ教会の霊的識別力(2〜3節)
神様は、エペソ教会を正しく、鋭く評価してくださっている。教会の人々の行ない、 労苦、忍耐は、特にどういうことにおいて表されたかと言えば、霊的洞察力、判断力に おいてであった。すなわち、霊の力によって、物を見破る能力である。これは決して容 易なことではない。エペソ教会が誕生して、50年となった。50年前の燃える教会(エ ペソ1:15参照)と違って、さまざまなタイプの人間が教会に入りこんで来た。しか しエペソ教会の人々は、「悪い者たち」(偽クリスチャン)、「使徒でない者たち」(偽使徒)、 「コライ派の人々」(世俗主義・無律法主義的な生き方をする一派)を見抜き、そのよ うな人々を無条件では受け入れなかった。エペソ教会員の素晴らしさは、おかしいと見 抜く豊的判断力や霊的識別力を持っていたところにある。
【3】 エペソ教会の欠点(4節)
エペソ教会は豊的識別力が鋭い教会であり、異端を見抜く正当な教会だった。しかし それでも問題は起きた。それは、霊的な教会が進み、クリスチャンの信仰が深まってい くときに注意を要するもので、「初めの愛から離れてしまう」という危険である。確かに 彼らは知的、霊的、信仰的に伸びたが、それゆえクールになり、心までそうなってしま った。頭が燃えて、ハートはクール≠ノなってはいけない。ハートは燃えていなけれ ばならない。「初めの愛」とは、イエス様を初めて知ったときの愛、心に燃えた愛である。 それがいつしかクールダウンしてしまう。せっかくイエス様から手渡された温かい愛の 信仰を得たにもかかわらず、少し信仰がわかると、自分でそれを「手放して」しまう。 それは、「初めの愛」から離れてしまった姿である。 「初めの愛」に立ち帰りなさいとイエス様は語られる。大切なことは、霊的識別力と 愛の関係は、常に緊張関係になければならないということだ。復活されたイエス様は、 愛と緊張の2つが必要だとエペソ教会に語られたのである。
【4】 欠点を自覚して悔い改める(5節)
「初めの愛」に立ち帰るには、悔い改めが必要である。ここでの悔い改めとは、反省 や俄悔ではなく、生涯の方向転換を意味する。私たちには、いつでもイエス様の十字架 の血潮を受けて、悔い改めることが期待されている。私たちはつまずくことも、倒れる ことも、誘惑に陥ることもある。けれども、立ち上がり、立ち直ることができる。仕事、 病気、経済、自分のクセなどの問題において、「私にはできません。しかしあなたを信頼 しますから、助けてください。」と素直にイエス様に告白することが大切である。
<結び>
私たちは神の御前にひれ伏し、自らを明け渡して、神の助けを求めよう。「初めの神の 愛」を持ち続けよう。