礼拝メモ

2008年 6月 1日   わたしは、あなたに忠告する
ヨハネの黙示録3章14〜22節
…はじめに‥・
ラオデキヤ地方は毛織物で有名で、財に富んでいた。また医学専門学校があり、それに付 属して薬科学校もあった。特にここの目薬は、当時世界中に輸出されていた。コロサイ4章 15〜17節を読むと、ラオデキヤの教会は大きかったが、生ぬるい教会だったようだ。こ の教会のリーダー、アルキポに向かって、パウロは、常に勇気を奮い起こして一生懸命にや ってほしいとエールを送っている。しかし、この時からヨハネの黙示録が記されるまで、2 0年近く経っているためか、教会全体が生ぬるい信仰となっていた。それゆえ、他の6つの 教会よりも、手紙の内容が最も厳しい。
【1】 信仰者を愛する真実な主
イエス様の特色の1つは、「アーメンである方、真実が証人」である。そのもう1つは、 被造物全存在を決定する、存在の根源者であられることである。私たちの人生の一切を任せ てしまっても大丈夫なお方、私たちの根源者であってくださるお方、世界の歴史一切を治め ておられるお方である。つまりイエス様は、忠実、真実なお方なのである。「私たちは真実 でなくても、彼は常に真実である。」(Uテモテ2:13)とあるように、私たちはしばしば 神の前に不信仰になって信頼を失ってしまう存在であるが、神はどんな人間にも真実なお方 である。つまり、信仰とは、神に対して忠実、真実であるということに他ならない。私たち 人間には限界があるが、神は真実であられるゆえ、私たちは神にゆだねるのである。 真実である神は、同時に愛なる神でもある。主イエス様は、愛をもって、1人1人に接し てくださるお方である。だから、ラオデキヤの教会をご覧になったときに、愛するがゆえに しかり、懲らしめるのだという(参考聖句・ヘブル12:5〜12)。ベンゲルは、「苦難は 形を変えた神の恩寵である」と語った。みなさんは、「イエス様にしかられたな、懲らしめ られたな」という経験をお持ちだろうか。お持ちの方は幸いである!
【2】 信仰者の反省
イエス様はこの教会をご覧になられたとき、「あなたはなまぬる」い教会員だと言われた。 ウェスレーは、「Almost Christian」、「Semi Christian」 という言葉を使用して、そうであってはならないと語っている。さらに主は、生ぬるい 以上に、生ぬるいから良いとするのは、なお悪いと言われた。「冷たくもなく、熱くもない」 生ぬるさとは、イエス様に対する積極的な反対の態度でもなく、熱い信仰による信頼と服従 の態度でもないことをあらわしている。これは、信仰生活における感情的な両極論を言った のではない。主は、信仰に対して100%真剣な態度でのぞむことを強調されたのである。 なぜだろうか。17節が答えである。「私の信仰はこれで良いのだ」「物質的には豊かになっ た」と、彼らは自負心、自己満足の告白をした。しかし、慣れはこわい。悲しむべきことに、 教会員たちは、実は自らが「みじめな者、哀れな者、貧しい者、盲目な者、裸の者」である ことに気づいていなかった。それゆえ主は忠告された。
@ 火で精錬された金を買いなさい。火の通っていない信仰は、
  都合が悪いと去ってしまう。
  火が通った信仰こそ、金、純金なのである。(Iペテロ1:6〜7)
A 白い衣を買いなさい。きよい心を造りなさい。
B 目薬を買いなさい。(ェペソ1:17〜19)これは、実は、心の目、
  霊の目が開かれることを言っているのである。
<結び>
@信仰に対して絶えず熱心であり、自己満足の信仰ならば悔い改めなさい。
A心を開いて、主イエス様を迎え入れなさい(イエス様の内住)。