| 2008年 6月22日 神の選びの計画の確かさ |
| ローマ書9章6〜18節 …はじめに・‥ イスラエル民族は、9章4〜5節に挙げられたような霊的・歴史的な特権を持っていなが ら、なぜキリストの福音を受け入れず、神に見捨てられた状態にあるのか。パウロはその疑 問に答えることによって、神の選びの問題と神のご計画を明らかにしていく。 【1】 神の選び(6〜13) @ イサクについて(6〜9) パウロは、まず、神のことば(神の契約と約束を通して現わされてきた神のご計画のこと) は真実で不変であり、決して無効になったり消滅したりしない、と宣言する。アプラハムに は2人の息子がいた。イサクとイシュマユルである。この2人の対比は、ガラテヤ4章21 〜31節にも詳しく語られている。ここでは、ハガルの子(イシュマエル)は律法の奴隷の 子、サラの子(イサク)は律法から自由になった子として、肉によって生まれた者と御霊に よって生まれた者とを比較するための象徴となっている。 自由の子は神の約束によって生まれたのであり、私たち信仰者1人1人が、「兄弟たちよ。 あなた方はイサクのように約束の子どもです。」と呼ばれる。それは、霊的な意味での約束 の子は、異邦人キリスト者をも含むからである。すなわち、ユダヤ人、異邦人キリスト者を 合わせて、霊的イスラエルとするのである.そのため、ここでパウロが語っているところの 真のイスラエル(霊的)は、旧約聖書におけるイスラエル(人種的)とは内容が違っている。 留意していただきたい。 A ヤコブについて(10〜13) イサクとリベカの間に双子(エサウとヤコブ)が誕生する。ところが、まったく人間の予 想もしないことが起こったのだ。それは神の選びのわざであった。「兄は弟に仕える」、「わ たしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と、神は母リベカに告げる。双子の誕生前に、神の 介入、神の選びがあり、それは神の恩寵によるものだった。ここで注意していただきたいこ とは、神が「愛し」「憎む」という表現である完 これは誤解されやすい。「愛する」とはへブ ル語では「選びに結びっいた愛」であり、「憎む」とは「選ばない」という意味なのである。 パウロが強調しているのは、「神の選びの計画の確かさ」とは、すなわち「神の計画が存 続する」ことである。つまり、神のご計画が人間的な現実や状況によって変更されたり、廃 棄されたりしないということだ。それゆえ、神がヤコブを選んだのは、神の計画、神の目的、 神のみこころであった。そしてそれが神の民を形成した。そのような大切な時期に、長子エ サウの生き方は、神のご計画、神の約束に対して非常に自覚の乏しいものだった。 これまでみてきたように、パウロの時代のイスラエルにも、神による選択のわざがなされ、 真のイスラエルとなる者と、そうでない者とがいる。ただ、神の約束は不変なのである。 【2】 神の選ぶ自由(14〜18) 特に15節を読んでみよう。神の自由は、神の特権であり、最終的な事実である。人間の 特権は、特に人間が罪深いから、重みを持たない。人間は、救いを権利として要求すること はできない。それは「あわれみたもう神」によるものだからである。 聖書では、例えば、敵であったパロを用いて、神の選びの自由を説明している。神の許容 的意志によって、パロの心は「かたくな」にされた。 <結び> @神の選びの約束は、不変であり、成就する。 A神の許容的意志をつらぬく者には、滅びが待っている。 |