礼拝メモ

2008年 7月13日   信仰は聞くことから始まり…
ローマ書10章14〜21節
…はじめに・‥
先週は、1〜4節において、イスラエルは自分の行ないによって神への義を得ようとする 道を進み、イエス様を信じる信仰によって義とされる道を拒否したために、誤ってしまった ことを述べた。さらに5〜13節において、キリストは頗いに関する全ての業を成し遂げて くださったのだから、私たちは購いの恵みを受け入れさえすれば良いことを述べた。 これらのことを受けて、パウロは14節以下において、イスラエル民族は、キリストの福 音を伝えられているにもかかわらず、聞き従わずに拒否し続けていると語る。しかし、今も なお、神が招きの手を差し伸べ続けておられることも、パウロは語っている。
【1】 グッド・ニュース(良い知らせ)の声(14〜15節)
この箇所には、信じるためのステップが述べられている。
@「信じたことのない方」とは、キリストのことである。呼び求めよと言われても、その お方を知らず理解もしていないのだから、求めようがない。
A「聞いたことのない方を」の一文は、信じるためには信仰の対象(キリスト)が必要であ り、それを得るには、聞かねばならないということを言っている。
B「宣べ伝える人」とは、福音のメッセージを伝える人のことである。
当時はまだ新約聖書がまとめられておらず、福音を言葉で伝える人は数多くいたようである。
C「遣わされなくては」とは、福音を宣教するためには、神から派澤されなければならな いことを言っている。
パウロは預言者イザヤの言葉を引用して、「良いことの知らせを伝える人々の足は、なん とりっぱでしょう。」と語った。イザヤは、バビロン捕囚からの解放という良い知らせを伝 える者の足を、喜びと感謝のまなざしをもって、美しく表現した。一方パウロは、イエス様 の福音を伝える者たちに、この言葉を使った.「りっぱでしょう」には、「美しい」「愛らし い」「心地よい」などの意味があり、良い知らせを伝える者に対する、パウロの感謝と好意 と喜びとが表わされている。アーメン。
【2】 良い知らせに対して不従順なイスラエル(16〜21節)
ユダヤ人は良い知らせを聞いた。しかし、すべてのユダヤ人がそれに従ったわけではない。 多くの町で、使徒たちはユダヤ人に祝福に満ちた福音を伝えたが、彼らは不信仰、不従順と いう悲しい反応をした。もちろん、ある者は信じたが、民族全体としては信じなかった。彼 らは国家的、物質的、地上的な回復に関心を持っていたが、霊的な回復にはあまり心を向け なかったのである。まして、十字架につけられたイエス様による祝福の福音とは‥dそこで、 パウロは信仰の原則(信仰→聞くこと→キリストの言葉)を語ったのである(17節)。
【3】 すでに証しされている神の恵み(18〜21節)
@ 神の恵みの声は、自然の中に響いている(18節)。詩篇19:4において、天地自 然が神を賛美しているように、キリストの福音が全世界に響き渡っている。
A キリスト者の救いの喜びの中に証しされている(19〜20節)。「民でない者」とは 異邦人のことである。今の時代では・‥。
B 神の恵みは、不従順な者にも、神のあわれみの御手は差し伸べられている(21節)。 不従順な者には、当然イスラエル民族も含まれる。
<結び>
@ 良い知らせ(福音)は聞くことから始まる。
A 良い知らせはすべての国民に響いている。