| 2008年 7月20日 今も、恵みの選びによって残された者 |
| ローマ書11章1〜24節 …はじめに・‥ 9章、10章の大意を簡略に記して、11章に入りたい。重ね重ねの神の愛の招待に、な おも民族として応答しようとしない同胞の態度を見てパウロは、「神はご自分の民を退けら れたのか」という彼の心痛を再度持ち出す.このパウロの思いに対して、神は、「残された 者」によってユダヤ人を守り、ユダヤ人を恵みによって救われた者としてくださることによ って応えられる。私たちの同胞の中にも救われるべき人がいることを思い、救霊に励みたい。 【1】 恵みによって残された者(1〜10節) ユダヤ人が救い主キリストを拒否したので、父なる神はユダヤ人を退けたのだろうか。そ の答えが否である理由として、以下のことが挙げられる。 @神がユダヤ人を退けない、捨てない証拠として、パウロ自身がいる。「この私も」ユダヤ 人だと自己紹介しながら、彼自身が「残された者」の1人である。つまり、彼は以前、「神 を汚す者、迫害する者、暴力を振るう者で罪人のかしら」であった。神はどんな罪人をも 救いに入れてくださる。そういう者が救われたのだから、神はユダヤ人を見捨てておられ ない、ということである。 Aユリヤの時代の七千人(列王19章)。悪王アハブの妻イゼベルは、エリヤ殺害命令を出 し追跡させた。エリヤは、自分1人だけが主に熱心な者であると思っており、もし彼自身 が殺されたなら、神に従う者はいなくなってしまうのではと恐れた。これに対して神は、 七千人を残しておくと言われた。つまり、民族全体がバアルに向かっている時でも、真の 神のために残された者はいる。 B恵みの選びがある(5〜6節)。神の救いは、今である。神が選ばれる救いの対象は、「こ の世の愚かな者、弱い者、取るに足らない者」である。すなわち、罪に弱く、誘惑に弱く、 神の御前に愚かな者、無に等しい者が選ばれる。 C同胞はかたくなである(9〜10節)。パウロの同胞は熱心に義を求めたが、その義を得 ることはできなかった。彼らが神の恵みをかたくなに拒否したからである。 【2】 異邦人の救い(11〜24節) パウロは、同胞ユダヤ人が捨てられたことと異邦人が救いに入れられたことを、接ぎ木の たとえによって学び、神のさばきと慈愛を語っている。 同胞ユダヤ人の罪過(預言者の殺害など)は、神への違反であって、罪である。罪は罰せ られるべきものである。しかし神は、この神の選ばれた民の悲しみを、異邦人の救いの機会 とされ、福音が異邦人に向かう契機とされた。 罪過、つまずき、失敗とは、イエス・キリストの福音を拒否することであり、どれほど大 きな罪であるか、私たちには理解しがたいことだが….ユダヤ人にとっては、神が約束され たメシヤを受け入れなかったことが、神に対する最大の罪なのである。 【3】 クリスチャンたちへの勧め(16〜24節) @信仰の必要(20節)。信仰によって救われる(ェペソ2:8)。信仰によってきよめら れる(使徒15:の。信仰によって歩く(Uコリント5:7)。 A誇らない、高ぶらない、「謙遜の必要」(1計〜20節)。キリストの恵みによって神に 接がれた。 B主への忠実さの必要(22〜23節)。いっくしみの中にとどまり続ける(22節)。不 信仰を捨てる(23節)。 <結び> @神の慈愛と厳しさに思いをはせよう。 A不信仰を捨てると神につながる。 |