| 2003年12月28日 パウロの信仰基準 |
| ガラテヤ6章6節〜18節 ことの多かったこの一年を締め括る礼拝に当たり 詩篇126〜128篇の「主は私たちのために大いなることを なされ私たちは喜んだ」「主は愛する者には備えて下さる」 「主はシオンから祝福される」とうなずきを与えて下さる。 新約のクリスチャンには素晴らしい道、ただ一筋の道、勝利の道 それは十字架という凱旋の道でした。 パウロは、16節のように「この基準に従って進む」生活にありました。 すなわち、 【1】私たちの一年間の奉仕は・・ 【2】パウロの奉仕は・・ 聖霊の光と共に点検吟味して新年に進みましょう |
| 2003年12月21日 クリスマス礼拝 |
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『ひとりのみどりごが、私たちの為に生まれる。ひとりの男の子が 私たちに与えられる。その名は「不思議な助言者、力ある神、 永遠の父、平和の君」と呼ばれる。』 イザヤ書9章6節 ◇「不思議な助言者」とこの子供は呼ばれる。 奇跡の中の最大の奇跡が起こった。即ち神が人間となり、 言葉が肉体となった。この神の子が奇跡を行うただ一人の助言者であり あらゆる人の助言の源泉である。 ◇「力ある神」とこの子供は呼ばれる飼い葉桶の中に生まれた 子供のどこに力があるのだろうか。それは、この神の子供が 私たちに等しい者になったという愛の中に私たちは見るのである。 この神の子の力によって、全能の神と、無力であり、みじめである 人間が結び合うのである。 ◇「永遠の父」とこの子供は呼ばれる。この子供がどうして 「とこしえの父」という名前で呼ばれるのだろうか。 それはこの神の子供には永遠の父なる神の性質(愛と聖)を持って 生まれたからである。 ◇「平和の君」と子供は呼ばれる 神がアガペーの愛ゆえに罪の世の人間のもとに来るとき、神と人間の間、 そして人間と人間の間に平和を結ばれる。 もしあなたが兄弟姉妹との間に、争いや憎しみの心があるなら、 神がどんなに大きな愛をもって私たちの兄弟姉妹となったか、 そして神がどんなに和解しようとしているかを、来て実際に見て下さい。 この子供こそ平和の君であり、この子供のいる所には平和が支配している。 私たちはあまりにも高慢になっていないだろうか。 自分を誇りに強く思う人がこの飼い葉桶の中の子供の前で ひざまづくことや、単純な心を持ってこの子供の中に救い主なる イエス様の面影を見いだすことは、本当にまれなことある。 そのような中にも、長いクリスチャン生活が主に教えられ、御言葉に扱われ、 心が砕かれた器には、謙遜の美が漂うのを見られるのである。 「神は高ぶる者に対し、へりくだる者に恵みを与えられるからである。」 第一ペテロ5章5節 |
| 2003年12月14日 聖霊に満ちたザカリヤ |
| ルカ福音書1章67節〜80節 著者ルカは使徒となる前は医者の仕事をしていた異邦人でした。彼は使徒の働きの記者でもあった。ルカの福音書はおもにギリシヤ人及び一般の異邦人キリスト者に書かれた。 【1】聖霊に満たされたザカリヤ(67) *天使の告知に不信仰の応答 *洗礼ヨハネの誕生による信仰回復 【2】ダビデ的メシヤの救い(68〜75) *預言者らの約束の成就(68〜70) *メシヤが派遣された理由(71〜75) 【3】洗礼ヨハネの役割(76〜80) *主の道の準備(76〜79) *幼子成長 光であられるイエス様が訪れて下さったことにより、暗黒と死から光と生命に導かれた。そして今も平和の道に導き続けて下さっている。 再び暗黒に戻ることのないように、心の隅々生活の隅々まで照らし続けていただきたい。最後まで平和の道からはずれないために光に従って日々を歩みたい。それまで光に満ちた生活であっても、光を排除したり遮るだけで暗黒はすぐに戻って来ることに警戒しよう。 |
| 2003年12月 7日 キリストの平和 |
| コロサイ書3章12節〜17節 家族や友人 知人 私たちの身近にいる 人達との関わりにおいて、服従が愛が 忍耐と寛容が現されておりますでしょうか それが義務的ではなく、強制的にでもなく 隣人を愛する愛よりなされているでしょうか 主の御前に静かに座して点検することが必要です。 心の奥底に打算的なおのや義務的なものが あったなら、今も注がれている十字架の血潮によって 罪を洗いきよめていただきましょう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 平和と喜びと愛のために祈りましょう。 イエス様は福音をもたらすために来られました。 ということを忘れてはいけません。 「私の平和をあなた方に残し、私の平和を あなた方に与える。」イエス様は私たちが お互いに傷つけ合わないだけの世界平和を 与えるために来られたのではないのです。 彼は愛することから、つまり他の人たちに 善いことをするところから生まれる 心の平和を与えるためにいらっしゃったのです。 マザー・テレサの言葉より |
| 2003年11月23日 罪の内住から聖霊の内住へ |
| ロマ書7章19節〜8章11節 ローマ人への手紙は、キリスト教の教理を組織的にしるしたもので、信仰的にきわめて重要な書簡なのです 1〜11章では教理的面、12〜16章では実践的面です7章から8章には、内的霊的変貌をしるす。 【1】内住する罪の生活(7:19〜25) *二人の私(善行と悪行) *二つの法則(神と罪の律法) 【2】内住する御霊による生活(1〜11) *救いのみわざ(1〜3) *肉に従う者と御霊に従う者 (結び) *内的な戦い *戦いの原因 *勝利を与えるキリスト御自身 罪は行いとしての罪と性質としての罪の二重の構造を持っています。 これまでの章では行いとしての罪からの開放を語り、この章では罪の性質の解決を語っています。 当時、死刑の一つとして死刑囚に死人を結びつけるという方法があったそうです。思っただけでも身の毛がよだちます。 私たちの心の中を見るとき、この身の毛もよだつようなものがないでしょうか。 パウロは自分の体にくくり合わされた「死のからだ」と言っています。私たちの力ではそれを分離することは出来ません。 その姿は「みじめな」ものです。しかし、この「みじめさ」に気づいたら幸いなのです。 なぜなら、神様は私たちの罪の性質をきよめて下さるからです。聖め主、主を誉めたたえましょう。 |
| 2003年11月16日 目を上げて畑を見なさい |
| ヨハネ4章27節〜42節 サマリヤの女は、旧い礼拝から新しい礼拝への大変化を経験した。待望していたメシヤに出会ったことは、彼女の生き方にも大きな変化を与え、宣教という働きであった。 また、弟子たちには宣教の意味を教えられる良い機会となった。 【1】サマリヤの女性の証し *主との出会い(内面の変化) *体験の証し *サマリヤ人の救い 【2】弟子たちへの教え *一人が種を蒔き、他の者が刈る *世界の救い主なるイエス 『女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。』(28節) 彼女は変えられました。人々を避けていた者が、町へ行き多くの人々に語りました。水をくみに来たのに、その水がめを置いて行きました。 ひきずって来た暗い過去は過ぎ去り、彼女を責めるものはなくなりました。 彼女によって町の人々が主の所にやって来ました。このように、主は人を全く造り変えて下さいます。私たちも、全く造り変えられた者として、人々の前に証しし、人々を主のもとに導く者となりましょう。 |
| 2003年11月 9日 主との対話・・・新しい礼拝 |
| ヨハネ4章1節〜26節 4章の中心は旧い礼拝から新しい礼拝への大変化を示すことであった。旧い礼拝とは、モーセが祝福とのろいの律法を命じたことを守ってきた礼拝でした。 申命記11章29節、ヨシュア記8章33節を参照のこと。 【1】新しい誕生 *生ける水(永遠の命) *良心の覚醒 *真の預言者 【2】新しい礼拝 *二つの山での礼拝 *霊による礼拝 *主日礼拝(聖日礼拝) 『しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。』(4節) サマリヤの女のために、主イエス様がたどった道です。それは多くの者が信じ、さらに多くの人々が信じるためにも、通って行かなければならない道であった。 このひとりの女の人が信じるまでにも、通って行かなければならない道がありました。 主イエス様と女の会話を学ぶとそれがわかります。順を踏まなければならないところを、飛んでいったのでは実を結ばないことがある。祈りの道、信仰の道、 信仰の道を着実に一歩一歩通ることを怠ってはなりません。 |
| 2003年11月 2日 罪と死とに勝利!感謝! |
| 第一コリント15章50節〜58節 15章はキリスト教2大教理が含まれています。『十字架』と『復活』です。 イエス様が十字架につけられたことが、人間の歴史上の最大の悲劇であったとするまらば、イエス様の復活は、永遠にかかわる最大の勝利ということができます。 主の復活は最大の奇跡、永続する奇跡です。 【1】復活の変貌(栄光)(50〜54) *キリストの再臨 *肉体の栄化 【2】復活の勝利(55〜57) *死の力 *罪の力 【3】生きる動機(58) 『神は私たちの主イエス・キリストによって私たちに勝利を与えて下さいました。』(56節) イエス・キリストは死に勝利されました。主は、私たちにも死に対する勝利を与えられました。 そればかりではなく、内住の主は、私たちに日々、罪と死の力に打ち勝つ力を与えて下さるのです。 |
| 2003年10月26日 信仰の創始者・完成者 |
| ヘブル書12章1節〜14節 ヘブル書の11章は『信仰』、12章は『希望』、13章は『愛』を示しつつ、信仰の導き手、信仰の完成者、そして信仰者への奨励、警告を与えています。 【1】信仰の目標(1〜4) *走り続ける *イエスから目を離さない 【2】霊の父の訓戒(5〜13) *真のこらしめにによる結果(聖さ) *こらしめによる結果(平安の実) 【3】きよめの経験(14) *平和の追求 *聖めの追求 『信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい』(2節) ペテロは信仰の目をイエス様から離して風を見たとき、溺れそうになった。私たちがつまづきを覚えたり挫折感を感じるのは、決まって他人や自分自身に目がいっている時である。 『たとい私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。』(詩編139:8) いつでも共にいて下さるイエス様を見上げ続けている時に失敗はない。 |
| 2003年10月19日 御子を信じる者は・・・ |
| ヨハネの福音書3章16節〜36節 ニコデモに対する新しい誕生のメッセージは、神の国に入る条件でした。それは、イエス様の十字架の死こそ、神様が罪人に対する真実な愛を現すために選ばれた方法でした。特に、16節はイエス様の福音の素晴らしい要約である。本書の目的である。 【1】対比する御言葉 滅亡と永遠の命、さばきと救い、闇と光、信じる者を信じない者 【2】洗礼ヨハネの証言のことば 『神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された』(16節) 神様は私たちを愛していて下さいます。人の目に、私がどのように映ろうとも『わたしの目にはあなたは高価で尊い』と語っていて下さいます。私たちはこの愛と恵みによって囲まれています。 ですから私たちには恐れは何ひとつありません。自らの力に頼らないようにしましょう。神様に申し上げ、信じて委ねましょう。 『恐れるなわたしはあなたと共にある』『神はわれらの避け所。また力。』 |
| 2003年10月12日 あなたの創造者 |
| 伝道者の書12章1〜14節 『あなたの創造者を覚えよ』 日本において、私たちの周りには沢山の神々が存在します。八百万の神と言われるごとくその数は無数に広がります。 このような環境に育ってきた私たちには当たり前のように思われることですが、結局は、この神々は私たちの願い願望が神となって現れたものでしかありません。私たち人間が創り出した神々と言えます。 しかし聖書のいう神様は、私たち人間を創造されたと聖書には書かれています。 私たちをお創りになられた神様は、私たちの全てをご存じです。私たち人間をお創りになり、今も深く愛し続けてくださる神様・・・ 『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。』 私たちが真の神様の元に立ち返るとき、そこには人生の意味と希望、心に真の平和を見いだすことが出来るでしょう。 |
| 2003年 9月28日 宮きよめ・・・新しい神殿 |
| ヨハネ2章12〜25節 旧約聖書には、目に見える幕屋と神殿が神礼拝の場所として、神の民に果たした役割は大きい。 そこに存在される神の「臨在」「聖さ」のゆえに、「聖所」「至聖所」として祭司たちの宗教儀式、民達の信仰生活でした。 しかしイエス様の時代は・・・ 【1】神殿の役割 * 商売の家 【2】神殿の破壊 * 可視的神殿 * 不可視的神殿 【3】主キリストなる身体の神殿 (結び)十字架と復活による証詞 『イエスは、ご自身を彼らにお任せにはならなかった』24節 人はうわべを見るが、主は心を見ると言われているように、主イエスには御名を信じた人々の心の中がわかっていた。 口先で信じますと言うのでなく、心の内の真実をもって依り頼む者を主は喜んで下さり、御子の御霊を持たせて下さる。 御霊によって心がきよらかにされた者は主の聖所に行き、幸いな交わりに入れてもらえる。 『まことに神は、心のきよい人たちにいつくしみ深い』方である。キリストが心のうちに住んでくださる愛の人となろう。 |
| 2003年 9月21日 主は御栄光を現された |
| ヨハネ2章1〜11節 公的奉仕の前に最初の奇跡の業をなして、メシヤとして顕現がなされた。すなわちイエス様は一般庶民の結婚式に出席されて、宴会をきよめられた。主は結婚を重んじ、家庭を尊び、祝福された。主の栄光は、神よりの栄光を人にも現すことでもあった。 【1】神の栄光 【2】神の栄光の啓示 * 旧約に見る栄光 * 新約に見る栄光 【3】人間に与えられた栄光 (結び)第一コリント6章19・20節 『あの方が言われたことを、何でもしてあげて下さい』5節 カナの婚宴でのイエスの母マリヤの言葉。ここにマリヤの信仰をうかがうことができます。マリヤは最初「ぶどう酒がありません」と主イエスに報告しました。祈りは要求を押しつけるより、実状を訴えるだけのほうが効力があることがある。 そして、あとは主が必ずなんとかして下さると確信して待つのである。わたしたちの側では、主の指示を待って何でもすることができるよう用意しなければなりません。このような信仰と服従のあるところに、必ず主は働いて下さいます。 |
| 2003年 9月14日 老年になっていて、・・・ |
| ヨハネ3章1〜10節 「老い」に関する言葉を辞典から引き出すと興味深い言葉が多い。 悲観的否定的なものから列挙してみよう。 「老いの一徹」「老い木は曲がらぬ」「老いの操り言」 「老いのひが耳」「老い木登り」「老い木の桜木」 「老いてのみ老いて墓知らぬ狐」 【1】幸福な老いとは * 幸福感 * 生きがい 【2】幸福な老いのためには * 自分の責任 * 周囲の責任 【3】老いを日々新しく生きる 敬老の日には、あちこちで敬老の集いが開かれます。 老人達の労苦と貢献に感謝する会が行われます。 年をとると社会でも家庭でも中心的存在ではなくなります。 老いては子に従えと、邪魔者扱いする子もあり、それが 彼等に寂しさを感じさせたり、欲求不満をもたらします。 本当の祝い方、守り方にはもう一工夫必要ではないでしょうか 生きがいのある人生を示すこと。 定年後の人生、老後の人生を迎える時に、自分の大切な時間、 大切な財、また大切な自己の能力を、他者のために用いることです。 『受けるよりも与えるほうが幸いである。』 有形の物を提供することにより、生きがいという無形の賜物が 与えられるのです。 |
| 2003年 9月7日 過越の食事・主の聖餐 |
| マルコ14章12節〜26節 聖餐式制定の箇所ですが、出エジプト記12章からスタートしているのです。過ぎ越しは死の災いから救出の意味をもっています。 【1】晩餐の準備(12〜16) 過ぎ越しの準備をして、救いの記念を想起するのです。 救いの原点を忘れないこと。 【2】ユダの裏切りの預言(17〜21) イエス様の死は、一方では神の御計画によるものですが、 他方においては人間による裏切りもあるのです。 【3】最後の晩餐(22〜26) 祝福をもって聖餐式が制定されたのです。 『そして賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った』(26節) 弟子の裏切り、否認、不信仰を知り尽くし、また十字架の死を前にいた悲しみの中でも、主の心には神への賛美があった。 それは主が聖霊に満たされて、神の御こころのままに、そして十字架の後に勝利の喜びと報いがあることを確信し得たゆえであった。 苦難や課題のみに目を向けず、御霊によって主のように歩もう。 |