| 2008年 8月 3日 それこそ、あなたがたの霊的礼拝です |
| ローマ書12章1〜2節 …はじめに・‥ 大きな魚を分けるように、本書を大きく3区分する。 (A)教理的部分…1〜8章 (B)歴史的部分…9〜11章(イスラエルの救い) (C)実際的部分…12〜16章 パウロは教理から実践に移るにあたって、クリスチャンの最も基本となる「献身」につい て勧める。それは、信仰者の内的変化によって、神のみこころを知るためである。また献身 は、私たち牧師にとっても信徒にとっても、神に対してなすべき最も大切な行為である。そ れは礼拝であり、神のみこころを知るとき、クリスチャン生活の基礎ができるからである。 【1】 神のあわれみによる懇願(1節) 「あわれみ」は、17章30〜32節に4回も用いられている。そこでは、ユダヤ人も異 邦人も不従順であったが、神のあわれみを受ける者とされた、とある。それは無価値な者に 対する神の愛である。パウロは、神のあわれみによる献身を、真実さと謙遜をもって勧めて いる。つまり、自発的な献身をするように勧めているのである。 【2】 全人格的な献身(1節) 献身するということは、私たちが一切を失うかのように誤解してしまうが、そうではない。 すべてが祝福のベースである。 (1)「あなたがたのからだ」をささげることが献身である からだとは、私たち侃全存在を表わし、あるがままの現実の自分自身をささげるのである。 その「ささげ方」には3つのことが要求されている。 @「生きた供え物」としてささげる。旧約時代に犠牲の動物をささげる時、死んだり傷つい たりした動物をささげることは、厳しく禁じられていた。そして、今や動物の供え物は不 要となった。なぜなら、十字架の嫌いが完成したからである。生きている私たち自身を、 信仰と真実をもって神にささげることが、真の献身なのである。 A「望い供え物」としてささげる。「聖い」とは純潔を意味する。それとともに、神のため に聖別されたもの、神に属するものとしてささげることが肝心である。 B「神に受け入れられる供え物」としてささげる。神様が喜んで受け入れられるように、神 のみこころに従ってささげることである。 これら@ABの内容をもって、自分の身も魂も心も神にささげることこそ、神に対する霊的 な礼拝である。霊的な礼拝は「合理的な礼拝」という意味も持つゆえに、神への礼拝は人間 として当然なすべき礼拝で、霊的で合理的・理性的なものとなる。理性のない動物をささげ て祭儀をすることではない。神の真実に合致する内的・霊的な礼拝である。つまり、全存在 をもって神に仕えて生きることを表わしている。それゆえ、真実な献身が真実な礼拝であり、 真実な礼拝は真実な生活である。 【3】 新しい生き方のための献身(2節) 献身することによって心の刷新がなされる。また献身によって、キリストによる自己変革 もなされる。特に2節は、今年の年頭礼拝の説教題であった。ぜひ再読していただきたい。 「この世と調子を合わせるな」とは、浮世離れを意味しない。クリスチャンは悪の世から救 い出され、神の国に入れられた者である。私たちの支配原理は、この世の支配ではなく、神 の国の支配である。ゆえに、「神の図のみこころは何か」を知るのは、聖霊によってである。 そのために、聖霊によって自己変革を実現しよう。 <結び> 私たちは、神に対して献身していることを確認したい。 |