| 2008年 8月10日 クリスチャン一人ひとりの賜物と奉仕 |
| ローマ書12章3〜8節 …はじめに・‥ 神への献身と聖霊によって心が一新し変革されたクリスチャンは、キリストをかしらと する教会の一部分とされる。つまり、クリスチャンは一人で生きる者ではなく、イエス様 及びクリスチャンたちとの霊的共同体の一人として生きることである。すなわち、生命的 ・有機的交わりの中に生き、共に仕え、共に成長して主の御姿に変貌して行く。 そこに「キリスト教会」という共同体の中で、クリスチャンの持つべき基本的な姿勢、又、 教会が持つ多様性と統一性があることをパウロは教えている。 【1】クリスチャンの基本的な姿勢(3節) パウロは「お願いします」から「言います」と、自分に与えられた恵みにより、即ち、 使徒としての権威をもって、具体的に共同体的倫理・姿勢を語ったのである。 @クリスチャンは、慎み深い考え方を持つべきである。 ここに「思うべき」「思い上がって」とある 『思う』は、心との関係があり、考える、 没頭する、ある態度を持つ、しようとする願望などの意味がある。この患いが「限度を越 えて思い上がる」と、傲慢となる。故に、慎み深い心、健全な心をもつことが謙遜となる。 クリスチャンにとっての健康な心は、謙遜なだけでなく、信仰的な考えを持つ。 Aクリスチャンは、信仰的な考えを持つべきである。 私たちクリスチャンは、一般社会における健全な患いに「信仰」という要素を加える。 「信仰の量り(信仰の程度の意味)応じて」とあるように、信仰者は信仰の領域や程度に よって奉仕を決める。何故なら、賜物の程度が違い、又、賜物についての信仰の程度も人 によって違うからである。また、成長した信仰と、幼い信仰では、程度は違う。 しかし、どの程度であっても、教会における奉仕は信仰的な動機が必要である。ですか ら、多くの賜物を与えられている者も少しの賜物を持つ者も、上下には無関係であって、 みな賜物は神からのものだと思うところに、慎み深さ、謙遜に心、健全な思いがある。 「賜物」と「信仰」が相互に依存し合っていることを喚起したい。 【2】教会はキリストにあって一つのからだ(4〜5節) 神はすべての信仰者に、質量ともに多種多様な豊的賜物を分け与えておられる。私たち はそれぞれの賜物を積極的に活用しながら、他のクリスチャンの徳を建てるために努力を していかねばならない。そこで重要な事は、キリストのからだである教会に対する正しい 認識をすることだ。つまり、キリストにあって生命的 一体性のある共同体としての自覚 である。私たちのからだの各器官は、生命的・有機的に構成されていて、一体性を保つ。 パウロは、生きている人間の各器官と働きを、生きている教会の現実に通用した。即ち、 クリスチャン一人ひとりは、各々違う存在であるが、キリストにあって一つのからだに属 して、相互に仕え合って、相互に依存している。そして一つの御霊によって生かされる。 【3】教会の多様性について(6〜8節) 多様性は、4、5節に「器官」として、6節以下では「賜物」として表わされている。 (1)賜物は、恵みに従って与えられている(6節)。 人の生来の才能や能力と、恵みの賜物とは区別されている。勿論、生来の才能や能力が 豊かに鏑いられることもあり得る。しかし、例えば、教える才能を持っていても、その人 の全存在が聖霊によって造り変えられなければ(罪からの救い、新生、回心)、教会にお いては恵みの賜物を持っているとは言えない。何故なら、聖霊による新生は、生来の才能 がどんなに素晴らしくても、霊的な真理を語ることは出来ないからだ。恵みの賜物はすべ て、神から来る恵みによるのである。つまり、神はすべてのクリスチャンに異なった賜物 を与えられるので、その異なった賜物を持っだけでなく、互いにそれらを活用しながら、 互いに仕え合って行く。そして「自分のからだをもって、神の栄光を現わす」のである。 (2)神は異なった賜物を、一人ひとりに与えておられる(6〜8節) @賜物による奉仕は、「預言」である。 「預言」とは、将来を予告することではなく、聖霊によって神の言葉を語ることである。 コリント第一14:3、31「預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、 人に向かって話します。・・・」と.そして預言する時は、その信仰に応じてすべきである。 ここの信仰は、神の言葉を理解し、それを他の人に伝えることのできる霊的能力こと。 A賜物による奉仕は、「奉仕」である。 クリスチャンの一般的な奉仕。共同体内の「貧しい者に対する配慮、教会の維持管理」。 B賜物こよる奉仕は、「教える」ことである。 これは福音の知識に関係している。主イエスの福音に関する事柄や信仰上の教理を教え る。それは、クリスチャンと教会の健全な育成と成長のために重要な奉仕である。 C賜物による奉仕は、「勧める」ことである。 この語には「励まし」「慰め」の意味があり、国難に直面して気力を失ったり、信仰の 弱きに悩んでいる人を慰め,励まし、信仰的な良心を保つようにと勧めをする。実にすぐ れた奉仕であるから、霊的訓練と賜物を必要とするでしょう。 D賜物による奉仕は、「分け与える」ことである。 これは役職ではないから誰でも出来ることである。愛の心をもって必要に応じて献げ物 をする人たち。ただ、心掛けとして、「物惜しみをしない心」である。この語には「真実 な心、単純な心、澄んでいる心」で一らの方向に向かっている。故に、不純な恩いや動機 で分け与えることをしない。だから、物惜しみしない心、淡泊な心なのだ。 E賜物による奉仕は、「指導する」ことである。 F賜物による奉仕は、「慈善を行なう」ことである。 (結び) @キリストのからだである教会は、神とクリスチャン相互の生命的・有機的な 共同体であることを聖霊によって自覚することである。 A共同体である教会内において、クリスチャンの一体性と多様性をバランスよく 保たれることである。 |