| 2008年 8月24日 愛の真実とクリスチャン相互の愛A |
| ローマ書12章9〜16節 …はじめに・‥ 先週の結びとして語られなかったことを、始めに語らせていただく。 @真の愛は神から与えられる。ここに、「神の愛」が私たちに示されている。「神はそのひ とり子を世に遣わし、その方によって、私たちに、いのちを得させて下さいました。」(Iヨ ハネ4:9)。つまり、神の愛=十字架の愛=煉罪の愛なのである。三浦綾子氏は、このキ リストの十字架の意義が、ある事を通してわかったという(別紙にて紹介)。 Aきよめの経験は、他者を尊敬する恵みである。つまり、クリスチャンは、きよめられた 愛をもって相互に愛し合い、互いに先んじて尊敬し合うのである。ここに、観念ではない、 美しい愛の現実があるのではないか。 【1】 キリスト者は主イエスに結びつく(10節) クリスチャンは、積極的にイエス様に仕えるべきである。その心を、パウロは教えている。 「勤勉で怠らず」とは、原語では「熱心さをもってなまけることなく」である。人間の熱心 さには、さめやすい弱さがある。しかし、真実の愛から生まれた熱心さを持つようになると、 御霊の愛の働きに応じて、勤勉に、情熱を注ぐようになる。そして、「怠らず」(なまけない、 ためらわない、臆病にならない)に主イエスに仕えるようになる。そのためには、「霊に燃 え」なければならない。すなわち、いつも新しい霊の注ぎを必要とする。そしてそれが、良 い経験をべースにしながら、新しい恵みに生きることへとつながって行く。 【2】 クリスチャンは愛と結びついて歩む(12節) 愛の真実は希望を生み出し、希望によって喜びが与えられる。私たちクリスチャンは、神 の栄光にあずかる希望を抱いて大いに喜ぶ。また、救い、聖化、栄光の望みがあるから、喜 びにあふれる。アーメン。さらにこの愛を与えられると、患難、試練、難問、迫害の中にあ っても、忍耐強く立ち続けられる.こうして、希望、忍耐は愛によって生み出される。また、 私たちの信仰の力の源泉は愛なる神にあるが、それを得る道は祈りなのである。常に祈ろ う!(参照聖句…Iコリント13:7、エペソ6:18) 【3】 クリスチャンの相互の愛は聖徒や旅人への愛に表わされている(13節) 「聖徒」とは、クリスチャンのことである。その当時、一部の聖徒たちはとても貧しかっ た。だから「協力」が必要だった。この協力は、愛の交わり(コイノニア)であり、分かち 合いであった。物質的援助をすることによって、共に生き、助け合うことによって、霊的に も共に生きることを体験できた。また、大きな危険と不安が付きまとう旅行者をもてなすこ とは、美しい愛の現われであった。特に、巡回伝道者や旅行中の信仰者の友をもてなすこと は、クリスチャンとしての特権であり、祝福であった。 【4】 クリスチャンには苦楽を共にする愛が必要である(15節) ここでは、霊的な交わりを勧めるパウロの姿がある。15節は、安易な共感や同情に基づ くものではなく、キリストにある一体性に基づくものである。「喜ぶ者と一緒に喜ぶ」とは、 他の人の喜びを自分の喜びとして受け入れられることをいう。これは、きよめられた愛に基 づく兄弟愛、姉妹愛、家族愛がなければできない。もちろん、生まれながらの人間の内には ない。なぜなら、多くの場合、他人の喜びは、自分の内側に嫉妬心となる危険性が高いから である。「泣く者と一緒に泣く」とは、他人の悲しみを自分の悲しみとして受け入れられる ことをいう。つまり、他者の痛みを自分の痛みとする思いである。霊的な交わりが始まると、 真実の愛、きよめられた愛が、神の家族とされている者の間に起こってくる。 <結び> @ 全き愛が、私たちを放り囲んでいる。 A 私たちは愛なる神のfamilyのメンバーである。 |