礼拝メモ

2008年 8月31日   敵対者に祝福を祈る愛の心得
ローマ書12章14、〜17〜21節
…はじめに・‥
9〜15節のように、愛の真実の中に生きる者は、キリストにある健全な愛の交わりの関 係を深め、健全な教会を育てていくのである。さらにパウロは、クリスチャンの敵対者に対 してどのように対処すべきかを説き進めていく。
【1】 迫害する者を祝福しなさい(14節)
迫害する者を祝福することは、人間としてきわめて難しい。けれども、クリスチャンの愛 は、ただキリストにある兄弟姉妹に対してだけでなく、さらに一般の人々に対しても向けら れる。この節の教えは、マタイ5:44「わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、 迫害する者のために祈りなさい。」を念頭においている。この言葉はクリスチャン達に受け 継がれ、カテキズムのように教会で教えられて来た。
そもそも、イエス様の御生涯こそ、十字架に至るまで、「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、 正しくさばかれる方にお任せになりました。」(Iペテロ2:23)なのである。
私たちは、私たちを迫害するような者たちにも、滅びやのろいではなく、神の祝福を、つ まり、神の御救いがおよぶように、神の恵みを語ろうではないか。
【2】 悪をする者に良いことを図りなさい(17節)
人間は、悪には悪をもって報復しやすい存在である。江戸時代には「果し合い」(1対1 で死ぬ覚悟で戦う)が認められていた。一種の報復、仕返し、復讐である。主イエスは、マ タイ5:38〜46において、悪に対して悪をもって報復しないようにと教えられた。
悪をもって悪に報いることは、クリスチャンのすることではない。なぜなら、心にキリストの愛 が与えられているのだから。むしろ、すべての人に良いこと(善)を図るべきである。
バークレーは、「キリスト者の生活は良いだけでは不十分で、魅力的でなければならない。キリ スト者の善には、ある種の美しさがある.また心の内に愛があるから、それは行為という外 側の美しさにまで表われてくる。」と言っている。アーメン。
【3】 自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい(18節)
「自分に関する限り」とは、「出来る限り」「もし出来るなら」の意味で、常にすべての人 (敵対者も含めて)との平和を保つため、あらゆる努力を惜しまないように、ということで ある。しかし、敵対しようとする相手が態度や結果を変えないこともありえる。
そのような場合、相手の態度や結果を問題にするのではなく、私たちの側で、最善を尽くすことが肝要 なめである。そのためには、@神との平和関係に入る(神との和解)、A御霊の実は平和で ある、(診平和をつくり出す人になる、ことが重要である。
【4】 神の怒りに任せなさい(19節)
私たちは神に信頼し、自ら復讐しないように!怒りのために、神のなすべきわざを借越に 取ってはならない。パウロは申命記32:35を引用して、復讐は神御自身がなされること であり、私たちは神にすべてをゆだねれば良いと語っている。
【5】 敵対者に対して積極的に善を行なう(20節)
「頭に燃える炭火」とは、敵に神の厳しい裁きを与える意味ではなく、救いに導くために、 たましいに激しい痛みを与えることである。たとえば、悪い行ないにもかかわらず、キリス ト者が親切をもって応対する。すると、良心にいたたまれないような痛みを覚え、恥ずかし い思いになる。こうして、キリストの愛をもって接するなら、相手に大きなショックを与え ることが出来る。それが悔い改め(回心、新生)へと導き、神に立ち返らせるに至る。
<結び> 21節は結論なので、ぜひ再読されたい!
@ 隣人ばかりでなく、敵対する者にも具体的な愛を。
A キリスト者を動機づける神の愛は、教会外にもおよぶ。