礼拝メモ

2008年9月14日   クリスチャン生活を全うする愛と聖さ
ローマ書13章8〜14節
…はじめに・‥
パウロは13章1〜7節において、「支配者の権威」を語った。それは、イエス様の教え に従ったものである。主イエスは、「カイザルのものはカイザルに返しなさい。」(マタイ2 2:21)と、税金を納めよと言われた。教会は神の国の福音を語る者であり、当時の熱心 党のような政治的改革とは別物であった。この13章が書かれた頃は、まだローマ皇帝礼拝 とキリスト者が衝突する時期ではなかった。
さて、キリスト者が一般社会生活のあり方を考える時、ただ政府との関係を考えれば十分 というわけではない。キリスト者にはユニークな考え方がある。すなわち、キリスト者の生 活のベースには愛があり、終末がある。それゆえ、キリスト者にとって地上の生涯の生き方 は重要な事となる。
【1】 社会生活における全的愛(8〜10節)
(8節)借りには、経済上の負債だけでなく、人間的・社会的な負い目も含まれる。借りを 放置しておくことは、相手に不安と不信の苦悩を与え、親しい交わり関係を破壊することも ある。ただし、相互の愛は別である。愛は支払いきれない無限の負債である。その愛の負債 をキリスト者は持っている。パウロは、キリスト者同士の相互の愛より、むしろすべての人々 との愛を語る。すなわち、他の人を愛する者は、すでに律法を完全に守っている者だと、律 法の本来的な意味を語ったのである。アーメン。
(9〜10節)8節の原則的な愛が、ここでは隣人に向けられる。律法は戒律ではなく、人 間への祝福のためのものである。パウロは、モーセの十戒の後半の、人間相互関係について の部分を引用する.それは、ユダヤ人たちが十戒の教えを拡大して、社会生活上の多くの規 定を作ったからであった。それらは最終的には「隣人を愛せよ」にまとめられる。
愛は隣人愛において表わされる。しそのことが顕著に現われている最も良い例は、ルカ1 0:25〜37の『良きサマリヤ人』であろう。愛は、隣人を傷つけ、苦しめ、悩ますよう な恵を働かない。「愛は律法を全うする」とは、愛の中に律法は充満し、愛において律法は 成就する。その愛はキリストの十字架にある神からの愛であり、キリストにあって真実の愛 によって完成する。それはパウロのピレモン人への手紙に実証されている。アーメン。
まことに、愛による社会の変革であり、キリスト者による社会の変革である。
【2】 社会生活における全的窒化(11〜14節)
ここでパウロは、国家と社会生活上の責任から、「時」に対する自覚と責任を語る。 (11〜12節)眠りから覚めるべきである。今の時刻(時)では、私たちは霊的・道徳的・ 倫理的に目覚めた生活をしなければならない。今は救いの時、恵みの時である。今という時 が神に一番近い。
(12〜14節)パウロの勧めは、より具体的になっていく。「夜」とは罪やサタンの支配 する世界のことである。すなわち、罪の支配の世界にいると、罪と悪を行ない、「やみのわ ざ」を行なう。この「やみのわざ」として、具体的に次の事柄が挙げられている。@「遊興、 酪訂」は、ギリシャ人の祭日にバカ騒ぎしながら騒ぐことを指している。A「淫乱、好色」 は、性に関する不道徳な行ないをいう。B「争い、ねたみ」は、人間同士の争いである。以 上は「肉の欲」を満たす生活である。一一方、「光の武具を着けよ」とは、信仰と愛の胸当て をし、救いの恵みのかぶとをかぶること(エペソ6:14〜17)である。
<結び>
「主イエス・キリストを着なさい」とは、信仰者とキリストの合一、すなわちキリストの内 住である。 つまり、@ 全き愛の内住である。
          A 全き聖化の内住である。