礼拝メモ
2004年6月27日   一般社会における責任と苦難の模範
ペテロ第一の手紙2章11〜25節
ペテロはクリスチャンの大いなる救いの恵み、きよい生活、そして特権などを教えてきました。ここから一般社会の問題に入った。
異教社会にありクリスチャンになった後も多くの問題に直面した。周囲から誤解され、あざけられ、責められた。
そのような状況の中に対してぺテロはキリストの苦難の模範に倣って苦しみを忍んで社会生活・家庭生活・僕のあり方・妻と夫のあり方を具体的に示した。
 【1】一般社会における責任(11〜17)
    * 異教社会
    * 国家
 【2】キリストの模範(18〜25)
『そして自分から十字架の上で私たちの罪をその身に負われました。それは私たちが罪を離れ、義の為に生きるためです。キリストの打ち傷のゆえにあなた方はいやされたのです。』(24節)
キリストはご自分から命を投げ出されたという十字架の重大な一面が、ここには記されています。自らの命を絶つことは私たちには許されていません。しかし主は、私たちの罪を負い、私たちが罪を離れ義のために生きるため、また私たちの罪を赦しいやすためにご自分の意志を用いて命をお捨て下さいました。避けることも可能だったでしょう。しかし十字架無しに私たちの救いはありませんでした。主のご決意に比して私たちは自分の負うべき十字架を避けやすい者です。黙って従うことをせず、ののしり返し時には偽りまで言ってその場を逃れることもあるのではないでしょうか。主のご目的に従いましょう。


2004年6月20日   キリスト者としてふさわしい生活
ペテロ第一の手紙2章1〜10節
クリスチャンは罪からの救いを与えられた者ですから、生活態度において変化し成長しなければならない。
神を信じた敬虔な生活、愛に満ちた生活(神様と隣人)がクリスチャンそのものの生活です。
そして神様から与えられた恵みの特権と栄光とにふさわしく生活すべきなのです。アーメン
 【1】クリスチャンの霊的成長(1〜3)
    * 捨てるべきもの
    * 得るべきもの
 【2】クリスチャンの特権(4〜10)
    * 石について(旧約と新約)
    * クリスチャンの特権について
『生まれたばかりの乳飲み子のように純粋なみことばの乳を慕い求めなさい』(2節)
赤ん坊がどれくらい乳を熱心に求めるかご存じだろうか。それはまさに命がけの求めだと言っていいでしょう。
生きるには乳を得るしかないのを知っているからです。私たちはみことばに対して、どれくらい熱心に必要感を持っているでしょうか
なくてはならないものとなっているでしょうか。みことばしか私たちにはないことを、本気で自覚しなければならない。
成長し救いをまっとうするために、今日も祈りつつ真剣にみことばを求めましょう。


2004年6月13日   試練と信仰について
ペテロ第一の手紙1章1〜12節
使徒の働き8章1節には教会初期の迫害が起こり、各地方に散らされました。
その散在しているユダヤ人使徒に送られた手紙です。
まもなく大迫害が襲ってくる時に書かれた手紙です。ペテロは彼らを励まし、信仰を堅くするために書かれました。
試練は誰に対しても押し寄せてきます。クリスチャンへの試練は、もう一回り大きな信仰者へ引き上げるための恵みの手段であったと感じるものは幸いです。
 【1】さまざまな試練
 【2】信仰者への試練
    * 信頼
    * 確信
    * 聖潔


2004年6月6日   たましいの救い聖め
ペテロ第一の手紙1章1〜25節
ペテロの人間性については、四福音書にさらけ出されている。彼は熱烈な行動家、大胆な自信家であるが、主の逮捕の時の状況からみて不安定で臆病者でもあった。
彼は主の復活に出会い、そしてペンテコステを境にして説教の力、祈りの力、迫害に対する勇気など、すべて聖霊降臨における聖霊の注ぎのゆえであった。
今、本書を執筆にあたり迫害の波が地方にも確実に及び始めていたことを知り、クリスチャンの栄光、栄誉、・・・を語った。
   【1】たましいの救い
   【2】たましいの聖め
神様は、私たち罪人の救いのために、最上の子羊の尊い血を注いで下さいました。
聖なるものとするためでした。朽ちない復活も約束して下さいました。
それなのに私たちは無知な時代の欲望に心を許して、主の血をないがしろにし易い者です。
この時代に生かされている特権を恵み、尊い流された血潮に日々あずかる者とならせて下さい。


2004年5月30日   祈りと愛と慰めの教会
使徒の働き12章1〜17節
聖霊降臨は使徒達を変えました。祈りの人、愛の人、慰めの人にと変貌し、激しい迫害を受けても聖霊の注ぎの中に、イエス様の福音は伝えて行きました。
聖霊の働きに与っている私たちは、どのような人をも愛し尊敬しなければなりません。お互いに愛し合う、尊敬し合う事が出来るのは聖霊様のお陰です。
   【1】祈りの教会
      教会は、・・神に熱心に祈り続け・・
   【2】愛の教会
   【3】慰めの教会
      聖霊は一人の助け主、慰め主、・・
初代教会の人々は押し寄せる迫害の中で、ペテロの処刑の前日、熱心に祈り続けていた。
祈りは神様と私たちをつなぐくさりである。祈りの前には大きすぎたり困難すぎる問題はない。
神様の妙なる奇しい御業は5節と12節の祈りと祈りの間に行われた。神は最悪の事態、絶望的な場でも開くことの出来る沢山の鍵を持っておられる。
時間も場所も問題も距離も超越して働き、事態を変えることのできる神を仰いで、熱心に祈る者でありたい。


2004年5月23日   イエス様の自己紹介
ヨハネの福音書6章
初めて教会に入られた方は、いろしろなイメージを描いて出席されます。自分の思いとは違うと言って一回限りの方が実に多いような感じがしています。
教会では、人間の最も重大な問題を聖書の真理を知ることによって解決できます。
重大な問題とは何か
   * 人間の罪という問題
   * 人間の死という問題
   * 人間の人生における諸問題
必ず解決を示し、神の祝福を受けます。
イエス様がパンを裂いて人々に与えられていかれた時、人々は肉の糧のことしか考えていなかったが、主はやがて十字架上で肉体を裂かれ血を流し贖いを成し遂げることを思われ、いのちのパンを永遠のいのちを受けるようにとの願いを込めて与えていかれたのである。
十字架上で引き裂かれた神のいのちを私たちに分け与えて下さったのです。


2004年5月16日   聖霊による新しい歩み
使徒の働き10章34節〜48節
10章はローマ軍の百人隊長コルネリオの救いに関する記事で、非常に詳細な長い記録です。
このコルネリオは異邦人として最初の回心者で神の祝福に与った。
1〜33節まではコルネリオへの幻、ペテロへの幻、使者のヨッパへの到着、そしてコルネリオの家庭での準備など。
【1】ペテロの説教(34〜43)
   * 神とは
   * キリストとは
【2】聖霊降臨(44〜48)
   * 熱心な聴衆
   * 顕著な聖霊
 (結び)聖霊の働き
     枠を越える   新しい歩み
『ペテロがなおもこれらのことを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に聖霊がお下りになった。』(44節)
ペテロが福音を伝えた時、聞いていた異邦人の人々の上に聖霊が下られた。それは神がユダヤ人と同様に異邦人をも受け入れなさったことの、明確で満足すべきしるしであった。
聖霊が臨まれることは神が彼を受け入れなさったことの証左なのです。コルネリオはキリストの贖罪を受け入れた時、聖霊によって「上から生まれた」者とされたのです。


2004年5月7日   驚くような導き・・
使徒の働き9章1節〜19節
一回のみの人生、不確実な人生において、驚嘆するような出会いがあるのは不思議なことである。
クリスチャンとは、まさにその証人ではないだろうか。使徒の働きの中で電撃的回心をしたパウロ(旧サウロ)の奉仕はサマリヤから更に異邦人に向かう伝道への道を開いた。
聖霊の働きは顕著でした。だが、迫害も顕著でした。
【1】迫害者としてのパウロ
【2】主イエスに出会ったパウロ
【3】祈っているパウロ
   祈りの内容は何か
 (結び)イエスのために生きるパウロ
神様の働き人は神様御自身がお選びになる。過去において迫害の第一人者であったパウロをも、主は超自然的な力を持って悔い改めに導き偉大な使徒に造りかえられた。
神様はどんな罪人でも聖徒に整えて下さる御方です。神様の御声を聞いたなら恐れずに従って行きましょう。


2004年5月2日   聖霊様の導き・・
使徒の働き8章26節〜40節
ペンテコステにより、初代教会が誕生しました。クリスチャンの増加は新しい信仰と愛が生きて働くものでした。
それゆえ迫害が伴いました。しかし聖霊の働きには、人間的力や迫害で止めることは出来ませんでした。
使徒の働きは、その証しです。
【1】聖霊による導き
   ガザに行け
   馬車にならんで行け
【2】聖書による導き
   イザヤ書の解き明かし
【3】ピリポによる導き
   救い主イエス様の御姿
   バプテスマ
   聖霊に従う
神様は突然、進路変更を命ぜられることがある。そこには人知では計り知れない神様のご計画がある。
いついかなる時にも自らの意志、自らの計画を捨てて、主の御命令に全き服従をもって使える者でありたい。
私たちをして、神様の御旨がなされ救霊の御業が拡大されるように祈りましょう。


2004年4月25日   取り囲むキリストの愛
コリント第二5章9節〜17節
クリスチャンの最大の念願は、主に喜ばれることである。救われた者は栄光を願う。 キリストのさばきの座とは、絶対的なさばきを意味し、神の聖さと公平さを現す。 主を恐れるとは、戦々恐々とした恐怖のことではなく、主を恐れかしこむこと即ち、神への畏敬の念のことである。
【1】キリストの愛
   贖罪の愛
   十字架の愛
【2】取り囲む愛
   自分
   他人
【3】聖化のベース
   人間の標準
   キリストの標準
子供の生命は誕生から母の愛情で囲まれ育まれる。母と子の精神的接触による恩恵である。 それは、完全な愛を備えられた一人の人が、全ての人のために死んだ主の贖罪愛である。 その愛の引力に引かれ、その愛が迫るゆえに全く望み得ない時にも奮い立たせる力をなり、 人々を導かざるを得ないようにさせる。この神の愛をもたらした主の私たちへの愛を知りましょう。


2004年4月18日   イエス様にお会いしましたか
ヨハネ21章1節〜22節
イースター後、イエス様は40日にわたり多くの人々に顕現し喜びを与えました。
1.マグダラのマリヤ(マルコ16:6〜11他)
2.ほかの女たち(ルカ24:9〜11他)
3.ペテロ(ルカ24:34他)
4.エマオ途上の二人(ルカ24:13〜33他)
5.二階座敷の十人(ルカ24:38〜49他)
6.一週間後(トマス他)(ヨハネ20:26〜29)
7.七人の弟子(ペテロ)(ヨハネ21:1〜24)
8.十一人の弟子と5百人の兄弟たち(マタイ28:16〜20、使徒15:6)
9.主の兄弟ヤコブ(使徒15:7)
10.昇天の時の弟子たちの前(ルカ24:50〜53)
『あなたは私を愛しますか。・・わたしの羊を牧しなさい。』(16節)
自分の使命を見失って漁師に戻ろうとしていたペテロに、主はもう一度使命を与えられた。そして愛を確認されました。
そのために傷となっていた罪も精算された。使命を果たすためには、以前のような肉の頑張りではなく、主を愛する愛がなければできない。
わたしを愛するならば、困難な道であっても、他の人がどうであろうとも従いなさいと主は言われた。そしてペテロは主を愛し主に従った。私たちはどうお答えするだろうか・・


2004年4月11日   キリストとその復活の姿を知り・・
ピリピ3章1節〜11節
キリストの復活は十字架とともに大事実です。他の宗教との大きな相違は、信じる者には主は生きておられる御方であられるということです。さて、パウロは獄中にあり、生涯の終わりが近づいていた時でもなお、ユダヤ主義との闘争は生々しく記憶に残っていた。しかし主にあって喜びなさいとピリピ教会員に自分の入獄が悲劇でないことを伝えた。前に向かって前進することを語った。
【1】悪い働き人についての警告(1・2)
   積極的面
   消極的面
【2】パウロの証詞(3〜11)
   律法による義による不完全さ(3〜6)
   キリスト信仰による義の完全(7〜9)
   現在のパウロの熱望(10・11)
天地が入れ替わるほどの価値観の大逆転をパウロは体験しました。それは、単なる趣味や好みの変化ではなく、彼自身の誇らしい経験、すべての特権、将来の報賞など良きものであっても、これら人間的なものを誇り、依り頼んでいたことが御前には罪であり、自分にとって損失であることに気付いたのです。
そして、そんな錯覚をしていた者さえも愛して、すべてを赦し、造り変えて下さるキリストに信頼を傾けたのです。「主は私の救い主」と告白し続けることのみが、私たちの価値観を正しく保たせる道です。どんなに人間的に取り揃えても、私たちの罪の贖いの代価には、役不足なのです。


2004年4月4日   ゲッセマネの祈り
マタイ26章36節〜46節
ゲッセマネの祈りは、イエス様が十字架の杯を飲み干す信仰的従順による激しい苦闘の祈りでした。
それはクリスチャン一人一人に祈りはなんであるかの神髄を教えています。
また、ゲッセマネの祈りは、イエス様と弟子たちが一緒になって祈る祈祷会でありました。
しかし、イエス様が彼らのところに戻られた時に、彼らは三回とも眠っていました。もちろん、ぐっすり眠り込んだわけではありません。・・・
【1】イエス様の祈り
【2】弟子たちの祈り
【3】祈りの勝利
『誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。』(マタイ26:39)
全人類の罪の贖いの御業が、まもなくイエス様によって成し遂げられようとしていたそのときに、サタンも必死になって邪魔をしました。
けれどもイエス様は、ゲッセマネの祈りにおいて、サタンの激しい誘惑に打ち勝たれました。同じ頃、弟子たちはイエス様の勧告に従うことができずに、眠りに陥ってしまいました。祈って備えるべきときに祈らなかったのです。
その結果主が捕らえられたときに、弟子たちはみなイエス様を見捨てて逃げ出し、ペテロでさえも主を三度にわたって否定したことが記されています。
サタンは信仰者を神様から引き離さそうと必死になって邪魔をし誘惑してきます。誘惑に打ち勝つためには、祈りによる備えが不可欠です。朝毎にデボーションのときをしっかりと持って一日をスタートすることが、その日の勝利を決めます。


2004年3月28日   初代教会信徒の信仰生活
使徒の働き2章37節〜47節
初代教会としての最初の説教はペンテコステの恵みを受けた使徒ペテロでした。聖霊降臨の驚くべき奇跡は群衆の驚きと当惑に。
ペテロはそん群衆に対し主イエスの十字架の死と復活を大胆に語りました。『福音の宣教とは主の十字架の死と復活を述べ伝えることである。そして一人一人が罪を悔い改めてイエスを主と信仰を告白するまでに至らせることである』
【1】ペテロの説教への反応(37〜41)
【2】初代教会信徒の信仰生活(42〜47)
   *使徒たちによる指導
   *使徒たちの生きた信仰生活
『神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。』(32節)
復活の問題は私たちの信仰を左右する重要な問題です。主の弟子たちは主が蘇られたからこそ信仰を回復しました。
パウロも復活の主にあったからこそ福音のためにすべてをなす人となったのです。
私たちは聖書のあかしを信じて信仰に立つものでありますが、主イエスとの生命的関係を持たなければ、その信仰は試練の時に弱いのです。私たちも継続的集会出席やささげ物などを通して復活の主の証人となることができます。


2004年3月14日   主が来られるまで
コリント第一11章17節〜29節
コリントは繁栄した商業都市で、東西に海があり航海交通の要路であった。人々は贅沢に走り罪悪も横行した。
信者の中には罪を犯す物が起こった。パウロは訪問し、また手紙を送った。それに対する質疑が生じたので、パウロは本書を送って答えた。
【1】教会内の問題(17〜19)
   *集まると分裂が起こる
【2】主の晩餐の混乱(20〜22)
   *愛餐と晩餐
   *真の晩餐
【3】聖餐式の制定
   *聖晩餐の由来(23〜26)
   *警告
『あなた方はこのパンを食べこの杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせたのです。』(26節)
主のからだと御血に与る聖餐の礼典は、主の渡された夜から今日に至る2千年もの間守られてきました。
そこにおいて、どれだけ多くの人が贖いの恵みに新しくされたことでしょう。
主はやがて来られて「私の父の御国であなたがたあと新しく飲むその日」(マタイ26:29)を備えておられるのです。
その時まで十字架を負い救いの恵みを喜びつつ 「主の死を告げ知らせる」真の陪餐者でありたいものです。


2004年3月7日   尊いことに使われる器
テモテ第二2章11節〜26節
本書は、パウロが殉教前、死期が迫ったことを自覚して、当時エペソにいたテモテやマルコに面会することを切願して送ったものです。パウロの遺書的手紙です。
パウロは紀元61年、ローマで投獄されたが(使徒28章)、63年に放免された。その後ローマに大火があり(皇帝ネロ)、それをキリスト者の謀反と称し大迫害が起こる。
多くのキリスト者をはりつけにしたり、また焼き殺すなど残虐きわまる方法で殺害した。 パウロも再び逮捕され、ついにローマ市外で斬首されて殉教した(紀元68年)
『もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる』(12節)
死んでこそ生かされる道、それが十字架体験である。主イエスに従う私たちもまたこの道を歩ませて頂きたい。
自分の願い、計画、好み、自分の主張に死ぬことが実際生活の中でどういう態度をとらせるものか。
自我を押し通そうとして、心に摩擦を感じるとき、御霊の声に譲り続けよう。


2004年2月29日   キリストの福音にふさわしく生活しなさい
ピリピ1章27節〜30節
執筆・AD62年頃 獄中書簡のひとつ(エペソ・ピリピ・コロサイ・ピレモン)本書にはピリピ教会員の愛の実に対して深く感謝の意を表し、更に高い信仰に進ませるために勧告し、にせ教師には警告をしているが、議論や叱責はあまりない。
獄中の手紙ですが、喜び(16回)に満ちている。鍵の節は、1章20節です。
【1】福音のために一致協力
   *霊をひとつに
   *滅びと救い
【2】キリストのために共同戦線
   *信仰の戦い
   *苦難を負う
嫌いなおかずだけを見事に残して食べる子供のように、私たちも恵み・祝福・願い通りになることだけしか受け入れられないとすれば、バランスのとれた霊的な成長は望めないでしょう。
主が私たちの必要を満たし、願いを聞いてくださることがいけないのではありません。
信仰の試練・試み・戦いは決して歓迎できませんし、まして自ら招く必要はありません。
主が与えて下さる分をしっかりと受け止めることです。その中で、私たちが自分の思い通りになることが最善であるとしていた古い人を脱ぎ捨てて、主のなさることが最善と信じ委ねる新しい人を着ることができる成長のチャンスなのです。
みにくいアヒルの子のように、やがての日にはキリストの品性と人格に似た自分の姿に変えられていくのです。


2004年2月22日   人に従うより、神に従うべきです
使徒の働き5章27節〜42節
使徒の働き1章8節『聖霊が・・・エルサレム、・・証人・・』の第一歩が開始された結果は、28節のように叱責、譴責されました。しかし、彼等はさらなる大胆さをもって、人間に従うより神に従う事を言明しました。
神は様々な方法で彼等を守られました。
【1】最初に証しをしたエルサレム
   *尋問
   *弁明
【2】聖霊による証人
   *十字架
   *復活
   *悔い改めと赦罪
【3】聖霊による保護と福音宣伝
   *ガマリエル
   *宣教
世の権力者、支配者達は常識的な見解をもってクリスチャンを論評する。
聖日礼拝、偶像崇拝、飲酒喫煙、結婚問題など・・
しかし、十字架の贖いによって赦され神の子とせられた私たちは、いかなる理由があっても世と妥協したり、神がお許しにならない一切のことに関してNOと言い続け神に全く服従する者でありたいですね。


2004年2月15日   聖霊が臨まれるとき・・わたしの証人となります
使徒の働き1章1節〜8節
使徒の働きは、イエス・キリストの御言葉と御業が、主イエスの昇天後、歴史の流れの中でどのように具体化され、さらに初代キリスト教会の誕生後、微弱なクリスチャンの群れが、どのようにしてローマ帝国の中心地ローマにキリストの福音を携え行くことができたか、又そのプロセスに於て、異教の地にキリスト教会がどのように設立されていったかが明らかにされる。
【1】聖霊が・・・
【2】臨まれ・・・
【3】力を受け・・・
【4】証人と・・・
(結び)現在も使徒の働きは続いています。
聖霊は今も働き続けています。その働きは人々に罪を示し、悔い改めに導き、救い、聖め、そして主イエスを証しするようになるのです。
聖霊が働く教会には、聖霊の導きに従う素直さ、御ことばに導かれる従順さのクリスチャンが起こされてきます。
聖書を読み、祈って賛美をします。一人一人が聖霊様を近くに感じて”イエス様、聖霊様おはようございます。 おやすみなさい。”と言うようになるでしょう。


2004年2月8日   最後の晩餐後の祈り
ヨハネ17章1節〜26節
イエス様は、14章から16章まで告別説教を最後の晩餐でされました。十字架という刑を前にして、弟子達への慰めと望み、主との一体性、信仰と祈祷の力、平安の恵み、実を結ぶ生涯、主の愛と喜び、主の真の友、選びと迫害、証しすべき事、主の昇天、聖霊降臨の約束、聖霊の働き、復活。祈祷は答えられること、父なる神のみもとに変えることの明確な啓示でした。
最後の晩餐後の告別祈祷となります。
【1】主ご自身の為の祈り(1〜8)
【2】弟子たちの聖化(きよめ)と一致のための祈り(9〜26)
『あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。』(4節)
イエス様の御父への祈りは語らいであり報告です。地上の33年を通してイエス様はみこころを成し遂げ父の栄光を成し遂げたと報告しておられます。父のみそばの栄光の座に戻られる喜びを望んで十字架を全うされました。
イエス様の御生涯は父なる神様のみこころを成し遂げることを食物として全うされました。私たちも、みこころを成し遂げましたと喜びをもって主に報告できる歩みであったら、これ以上の幸いはないでしょう。


2004年2月1日   なぜ聖書に親しむのか
第二テモテ3章10節〜17節
御言葉に親しむことは、年の始めから年の終わりまで強調し続けられたことであります。
日々の霊想『岩から出る蜜』1月27日より、抜粋し掲載いたします。
【1】みことばには人生の慰め、教訓があり
【2】みことばには生活に対する法則を教え
【3】みことばは神ご自身、道案内者を示し
【4】みことばは隣人に与える恵みのことばに満ち
【5】みことばは神との健全な交友を保たせるからである。
パウロは、正統的な信仰が危機に立っているとき、キリストの再臨前の状況を語り、聖書信仰の重要性を語りました。(3章)
『幼い頃から聖書に親しんで来た・・』(15節)
幼少期の生活環境が子供に与える影響は計り知れない。テモテが単に聖書を知っていたというのではなく「親しんできた」とは、何と幸いな家庭であったことでしょう。
そのような見本があったのでしょう。ともすれば、教訓的・律法的な聖書の知識を振りかざして、家中に塩を振りまく存在と信仰者がなっていることはないか。
塩のかれた漬け物ほど美味しいと言われる。塩味ではなく美味しさを感じさせる漬け物のような信仰者であるために、親しみを覚えるまで、聖書を読み込もう。


2004年1月25日   神への感謝を生み出す、・・多くの感謝を通して
第二コリント9章1節〜15節
8章はクリスチャンの真の愛と献身そして心の富、主イエスんの貧しさと私たちの富、さらに献金の取り扱い(公明正大)など。
9章は8章に続いて、主の恵みによる援助、その心得、さらに捧げた者への満ち足りた祝福の約束、その結果、神の栄光が現される。
そのような事実を知ったパウロは、”神に感謝します。””神への感謝・・””神への多くの感謝を通して、・・と、根源的な感謝を表明したのである。
【1】恵みのわざ(8章)
   1.献身
   2.愛の真実
   3.公明正大
【2】豊かに蒔く恵み(9章)
   1.義務感の重さ
   2.絶大な神の恵み
一回しかない私たちの人生は、神様の前には種まきのようなものである。蒔くところは必ず刈り取る。
これは自然界の法則であるとともに、霊界の法則でもある。愛の心をもって人の益を計って施すとき、心が拡大されてゆく。
私たちの富が持っている量によって測られるのではなく、神と人とのために与えられる量によって測られる。
神の豊かな約束を私たちが善き業に励み、栄えある収穫を永遠に受け取る者となるよう、御旨によって活用したい・・


2004年1月18日   感謝が満ち溢れ、神の栄光が現れる
第二コリント4章1節〜15節
パウロは福音の奉仕を新しい契約に仕え務めとして、「いのちに至らせる務め」「御霊の務め」「義とする務め」であり、生かす務め、栄光に導く務めであった。
【1】使徒の務め(1〜6)
   1.務めの原点(1)
   2.務めの内容(2〜6)
【2】土の器としての務め(7〜14)
   1.器の中味(7)
   2.器の強さ(8〜14)
【3】労苦をいとわない理由(15)
神は人を地のちりで造られました。私たちの体は世のごくありふれたもので造られているのです。そして神の御手によって造られているということが人間の誇りなのです。神はこのむなしい土の器に、キリストによりいのちと栄光を宿して下さいました。
この土の器が弱ければ弱いほど、神ご自分のちからを見せて下さるのです。「それはこの測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではいないことが明らかにされるためなのです。」


2004年1月11日   しかし、神に感謝します
第二コリント2章1節〜17節
この手紙の特色は、パウロの人間性をよく表してている。牧会者としてのパウロのうちに秘められた苦悩と喜びの姿を示している。
パウロは自分のことを語りながら、決して自分のために語っていない。イエス様のために生き、「キリストの使節」として生きようとした。
【1】溢れる愛からの叱責(1〜11)
【2】伝道の門戸(12〜13)
【3】キリストによる勝利(14〜17)
(結び)パウロの感謝の根源
クリスチャンはキリストのかおりであります。あたかも花が芳香を漂わせるように、クリスチャンは多くの人々に良きかおりを放つものであります。
パウロはエペソを離れて、トロアスに行き、そこでテトスを待ちながら一生懸命に伝道を続けました。
しかし待てば暮らせど現れないテトスのゆえに心に不安を覚えました。しかし、マケドニアにおいてテトスに会い喜ばしい報告のゆえにパウロは神への感謝で一杯でした。
神はいつでもキリストによって勝利と主を知る知識のかおりを放って下さいます。すなわち彼によって福音をあまねく伝えさせられました。私たちは自分の住む地域、職場、学校など、何処ででも、いつでも私たちの人格、ことば、働きを通して、キリストのかおりを放ちたいものです。


2004年1月4日   敬虔のために鍛錬しなさい
第一テモテ4章6節〜16節
テモテへの手紙、手とすへの手紙は「牧会の手紙」と呼ばれている。
この特色として
【1】使徒パウロが愛弟子に差し出したこと
【2】教会生活の実際的問題が取り扱われていること。
   礼拝の秩序・教会役員の資格・登録されるべきやもめの問題、すべての階層の人々への適切な助言などが含む
【3】キリスト信仰の正統的教理を高く掲げていること。早くも偽りの教えが入った故。
   1.敬虔の意味
   2.敬虔の鍛錬
   3.敬虔の実際
  (結び)敬虔の奥義なるイエス様
キリストの受肉・十字架・復活・昇天は敬虔の奥義とあります。そのお方を信仰により一瞬のうちに体験した事実は、まさに不思議としか言えない。
このお方をこの世にあってどれだけリアルにとらえ、またこのお方に同化されるかということが敬虔のための訓練であり、生涯的な追求課題である。
「私の前を歩み、全き者であれ。」や「御霊によって歩みなさい」とあるが、「失敗したり転んだりの弱き者ですが、やり続ける恵みと助けを与えて熟練した者に!」と祈りつつ進んでいきたいものです。