| 2008年11月16日 今は恵みの時、今は救いの日 |
| エペソ2章1〜10節 …はじめに・‥ 1章においてパウロは、神の驚くべき祝福について語った。彼は「神はキリストにおいて、 天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」と語り、その祝福が 具体的にどのようなものであったかを、過去・現在・未来にわたり、父なる神・子なる神・聖霊 なる神の三位一体の神の驚くべき御業として強調した。さらに神の祝福の御業を具体的に語 ろうとしたのが2章である。 【1】 キリストなき人生(1〜3節) キリストのない人生、真の神から離れた人間の姿を描いている。神を知らない人間の現実 である。私たちが神を知らなかったとき、どのような生き方をしていたのかを明確に述べて いる。その現実について、 (1)「自分の罪過と罪との中に死んでいた者」(1節) 聖書がいう死は、「霊的な死、肉体的な死、永遠の死」を意味する。霊的な生死とは、肉 体的な生滅ではなくて、生命の源泉である神との交わりの有無をいう.神から分離した者は、 罪過と罪という汚物と臭気とにまみれている。神は、私たちを完全な人間としてお造りにな った.だから、本当の愛にあふれたりっぱな人間になろう、立派な夫・妻・親・子どもになろ うと思えば、なることができた.しかし私たちは、神から離れたために、「罪過と罪」のた めに、他の人々を因らせ、苦しめ、悲しませてしまうようになった。それが的外れの罪人の 資である。 (2)「罪の中にあって、‥・歩んでいた」(2節) この聖旬は「悪魔」のことを語っている。悪魔(サタン)は今も不従順な者たちの中に働 いている。キリストなき人生は、神から離れた人生は、サタンの支配下にある人生であり、 サタンに従った人生である。サタンの働きは、白々の生活の中に入ってくるのである。 (3)「自分の肉欲の中に生き…生まれながら御怒りを受けるべき子」(3節) サタンの支配下にあるばかりではなく、肉欲のとりこになっている。そう言えるのは、人 間が罪の中に生まれるからである。だから「義人はいない。ひとりもいない。」と言われる。 【2】 キリストとともに生かされる恵み(4〜7節) (1)「しかし、あわれみ豊かな神」(4節) 神の御怒りを受ける者に救いの希望、生命の光を差し込んでくださったのは、あわれみの 神御自身の、私たちに対する大きな愛(アガペーの愛)のゆえである。アーメン。暗黒から 光へ、滅亡から生命への転換の力は、驚くべき神の愛である。 (2)「キリストとともに生かし・‥ともによみがえらせ…」(5〜7節) 神の愛は、キリストにより私たちに注がれた。私たちが新しい生命・永遠の生命を得たの は、救いの恵みによるのである。パウロは思わず、「あなた方が救われたのは、ただ恵みに よる」と歓呼、歓喜、讃美せざるをえなかった。 【3】 「恵みのゆえに、信仰によって…」(8〜10節) 私たちは、罪の中に死んでおり、サタンの支配下にあって、自分の肉欲に従って歩んで来 た.それゆえ神のさばきを受けるべき者でしかなかった。しかしその状態から救い出された。 キリストとともに生かされ、聖霊の御支配下に入れられた。私たちが神を愛し、人を愛し、 勝利の歩みができるようになったのは、神の恵みである。その恵みは、求める者に、信仰に よって着実に授受されたのである。 <結び> @ 罪の中にいる者は、恵みと信仰によって義とされる。 A 信仰による義は、私たちを善行に向かわせる。 |