礼拝メモ

2004年12月26日   主の憐れみは尽きない
哀歌3章22〜39節
主の恵みによる主の憐れみが深いとは絶望のような時にも、捨てられてしまった者にも、価値のない者に対する神様の御慈愛である。
イスラエルは王国としては滅亡しましたが、神様が民を滅ぼさないのはただ神様の御慈愛と憐れみによる。
私たちが信仰生活から脱落し以前の罪の生活以下の堕落にならなかったことは神の憐れみなのです。神の憐れみは23節から29節まで、一節ごとに意味深く語られている。信仰者に約束する神の変わらない心と誠実さを忘れてはならない。
『私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。主の憐れみは尽きないからだ。』


2004年12月19日   イエス・キリストの模範
ピリピ2章1〜11節
『イエス・キリストは主であると告白して、父なる神がほめたたえられるためです』(11節)
イエス・キリストは主であるとの告白に真実に生きよう。私たちはこの告白によりいのちが与えられ、この告白に生涯をささげたお互いである。私たちの日々の言動は、どこまで告白にふさわしいものになっているでしょう。そのためには自分が引き出された穴を覚え、贖いの愛を深く体験し続けることです。
クリスマスは喜びのシーズンです。主が私たちの為に来て下さったからです。私たちに愛を与え、罪を赦し、喜びを与え永遠の生命を与えて下さったからです。自分たちの為ではなく、誰かに喜びをプレゼントしましょう。この喜びをまわりの人にも広げるときクリスマスの心が喜びを分け与える。本物のクリスマスとして形造られていくのです。


2004年12月12日   博士たちの礼拝と献納
マタイ福音書2章1〜12節
歴史的にはヘロデ王は紀元前4年に没している。16節には「ベツレヘムとその近辺の2才以下の男の子を一人残らず殺させた」と述べられている。それゆえイエス様は、その時1〜2才近くになっていたと推測される。すると、イエス様の誕生はヘロデの死より1〜2年となり、BC5〜6年頃となる。また11節には「幼子を見、・・・、」ルカ2章7節「初子・・・」と書かれている。
 【1】政治的な面から・・
 【2】宗教的な面から・・
 【3】信仰的な面から・・
 【結】私たちの礼拝と献身について・・
星の導きでやっと幼児イエスを見つけることが出来た博士たちの喜び。その大いなる歓喜は幼児イエスの前にひれ伏し礼拝の心をおこさせた。その歓喜は更にヘロデを避けて他の道に行く勇気へと変わった。人生のいかなる道にあっても、再度、主の御顔を拝するとき恐れは喜びとなり、更に前に進む勇気が与えられる。


2004年12月 5日   キリストの誕生と活動
ヨハネ福音書1章1〜18節
昨今、三位一体という言葉が本質的内容から離れて使われている。神・御子・御霊なる神が三位一体の神として、即ち御子キリストは神の第二位として、受肉降誕前から先在者、永遠からの先在者であられる。
一章の序文では神のかたちのキリスト、恵みとまことのキリスト、キリストの職分、キリストの活動の証しをヨハネは書いた。
 【1】先在者・創始者としての救い主
 【2】証人ヨハネと真の光なる救い主
 【3】新生経験とひとり子の栄光
 【4】ヨハネの証言と救い主の活動
私たちは恵みとまことに飢えています。恵みのないことば−冷たくとげのあることば、軽はずみで意味のないことばに囲まれている私たち。そして恵みを与えることの出来ない自分。
まことに乏しい世界−裏表を使い分ける人、二枚舌、自分勝手、無責任なことば、だますことを商売に取り入れる風潮。
イエス様の恵みとまこともふれなかったなら、私たちもこの世に飲み込まれていただろう。真実に生きさせて下さい。


2004年11月28日   アブラムの召命
創世記12章1〜9節
今日の礼拝は聖別礼拝として恵みを頂きました。
私たちの周りには日々いろいろな事が起こっています。そのいろいろな事の起こる時、その「時」をどう受け止めていくかによって 私たちの一生は立ちもし、倒れもします。アブラハムの「時」は、父テラの死と関係しています。
それは失意の「時」、逆境の「時」でした。しかしアブラムは、その「時」を神の御声を聞く「時」として生かしました。
父の死というどうすることもできない「時」を神に委ねました。「時」を自分で支配するのではなく、神の「時」に委ねて生きようとするへりくだった心を持つとき、神は語られました。新しい出発、決断を促す命令だったのです。アブラムは信仰によって神の導きに従い出発しました。私たちにもアブラムのような神に従い通す信仰をお与え下さい。


2004年11月21日   主イエスの宣教命令
マタイ28章11〜20節
『イエスは近づいてきて彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においてもいっさいの権威が与えられています。あなた方は行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け・・」』
今朝の礼拝にて国外宣教ビデオを視聴しました。国外宣教ビデオを通して、改めて国外の働きの一端を知ることができ、なお一層伝道の視野を広げてたいと願います。
それぞれが遣わされております、その場所において「神が共におられる」生活を実践していくことが宣教であることを自覚して日々歩ませて頂きましょう。共におられる神様を信じ従わせて頂きましょう。信じて従う者に聖霊は豊かに働いて下さいます。


2004年11月14日   キリストのうちにとどまる
ヨハネ第一の手紙2章18〜29節
本書は老齢の使徒ヨハネが1世紀末にエペソから小アジアの諸教会に送った回文である。当時、偽教師たちの教えが入って来ました。
ヨハネは正統的教理と愛の実行について強く教えました。即ち神の子キリストは受肉降誕した事を強調しました。神であられたキリストは肉体をもって人としてこの世に誕生したこと。又このキリストを信仰する者は永遠のいのちを所有することを説いたのでした。
 【1】反キリストとは
 【2】注ぎの油とは
 【3】キリストのうちにとどまれ
クリスチャンにならせて頂いたということは、言葉では表現できない神様の恵みである。永遠のいのちを賜り愛ときよさをもって再臨の主を待ち望みたい。


2004年11月 7日   卑しいからだを栄光の姿に
ピリピ3章17〜21節
本書の執筆年代  西暦62年頃
執筆場所は 獄中で書く
3章の特色として
  ◆人間的な特権と最上の価値
  ◆明確な目標と確かな前進
  ◆模範と国籍と栄光
 【1】見習う者(模範)
    * パウロ
    * パウロを手本とする者
 【2】十字架に敵対する者
 【3】国籍・再臨・栄光への希望
『私たちの国籍は天にあります』日々の生活においてイエス様を模範として歩む信仰を与えられ、やがてこの卑しいからだをも栄光の姿にと なんと幸いな恵みでしょうか。今日は召天者記念礼拝がもたれました。先に天に召された方々の信仰を思う良き時が与えられたことの故に感謝!


2004年10月31日   信仰の3ステップ
ヨハネ第一2章12〜17節
使徒ヨハネは、クリスチャンとしての立場、態度、特権を指摘しました。彼らがもっている信仰の確信を強固にしようとしている。
それをベースにしてクリスチャンは自分たちの救いの恩恵、そしてキリスト者にふさわしい歩みをすべきである。そのためには何をすべきか、何をしてはならないか、ヨハネは愛をもって語るのである。
 【1】3ステップの信仰
    * 子供たちよ(小さい者たちよ)
    * 若い者たちよ
    * 父たちよ
 【2】世を愛するか否か
『もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません』(2:15)
金の好きなパリサイ人が聞いていることを意識してか主は『あなたがたは神にも仕え、富にも仕えるということは出来ません』(ルカ16:13)と話されました。
神と富を同時に同じように愛することはできないと。「あなたは神を愛しますか」と問われれば、私たちは「はい」と答えるでしょう。それでは「あなたには神と同じように、あるいはそれ以上に愛しているものはありませんか」と問われたならどうでしょうか・・


2004年10月24日   キリストのように歩む
ヨハネ第一2章1〜11節
ヨハネの手紙が書かれた目的は1章3・4節『御父および御子イエス・キリストと交わりを持ち喜びが全きものとなるためである』2章1節『あなた方が罪を犯さないためである』5章12節『永遠の命を持っていることを・・よくわからせるため』である。
この3つの目的を挙げて述べる。2章1〜11節で罪を犯させないためには
 【1】弁護して下さる方(1・2)
    * 弁護とは・・(助け主・聖霊)
    * イエス・キリスト
 【2】キリストのように歩む(3〜6)
 【3】新しい命令(キリスト)(7〜11)
クリスチャン生涯はキリストが歩まれたように歩むことであります(6節)キリストのように歩むとは「世をも世にあるものをも愛さないこと」です。世とはキリストから離れて神に敵対する人間社会です。
世は神によって創造されましたが罪によって破壊されました。世にあるものは肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢(16節)などです。すなわち富や地位や名誉です。神に反逆する世と世の欲は滅びます。(17節)現代は情報化時代で、人々は世俗主義に走り物質中心の傾向があります。私たちはこの世から選ばれた者で今の世のものではなく天国の市民であるので世を慕って、これを愛しこれに倣う生活をしてはいけません。私たちは常にキリストにとどまり、主の再臨を待ち望みましょう。


2004年10月17日   罪過の中からの救い
エペソ2章1〜10節
パウロは「人間の霊魂は死んでいた」と断言する。聖書では『死』とは分離を意味し、消滅ではない。霊的な死は霊魂とからだとの神様からの分離を意味する。つまり霊的な生死とは、肉体的な生・滅ではなく生命の源泉である神様との交わりの有無にあるのである。パウロはこれを根底に語る。
 【1】自分の罪過と罪に死んだ者
    * 罪過とは何か(罪の多面性)
    * 生まれながら怒りの子(原罪)
 【2】死んでいた状態からの救い
    * 罪の赦し
    * 恵みと信仰による救い
『私たちは神の作品であって良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです』(2:10)私たちは神様の恵みを信仰によって頂き救われました。私たちは決して私たちの何かの行いによって救われたのではありません。しかし私たちが救われたのは、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって新しく造られたのです。
救われる前ならたとえ良い行いをしていても、自分の益のためならともかく神様の栄光が現されるために良い行いが出来ることは何と幸いなことでしょう。しかし、もし私たちが良い行いを知っていて行わないのあれば神様から頂いた賜物(タラント)を地を掘って隠したしもべのように、主の再臨の日にその不忠実、怠慢が責められ暗闇で泣いて歯ぎしりをしなくてはならないでしょう。


2004年10月10日   光の中を歩むには・・
ヨハネ第一の手紙1章5〜10節
使徒ヨハネは序文での主目的は何か、それは「交わり」(コイノニア)にあると言った。5節からは福音の内容としての神の性質を語りそこから神様と交わるための条件を導き出している。
 【1】光なる神との交わりとは・・
    * 神の性質
    * 暗く闇の中を歩まない
    * 真理を行っている
 【2】光の中を歩むとは・・
    * 罪が赦されている
    * 罪と悪からきよめられている
    * お互いに真実な交わりを保てる
私たちは真実でなくても、神は常に真実なお方です。常に真実なお方は約束を果たして下さるお方です。
罪という深刻な問題に対して常に真実なお方は私たちが犯した罪を赦し、さらには私たちを全く聖なるものとしてくださいます。
試みに関して常に真実なお方は私たちが耐えることの出来ないような試練に会わせることはなさらず脱出の道を備えて下さり、私たちを強くし悪い者から守って下さいます。
今日も真実なお方を仰ぎ、このお方に求め委ねつつ歩みましょう。


2004年10月 3日   真の交わりとは・・・
ヨハネ第一の手紙1章1〜10節
* 著者   ヨハネの福音書の著者使徒ヨハネ
* 執筆年代 西暦80年代後半か90年代初頃
* 執筆背景 教会には異端的教えが入ってきた。著者は正しい福音の教理を示し異端に警告した。
* 特色言葉 光と闇、真理と偽り、義と不義、愛と憎しみ、神の子供と悪魔の子供・・
主題 ヨハネ第一5章12節
 【1】伝える人物(1・2)
    *永遠性 *命の言葉の受肉
 【2】伝える目的(3・4)
    *交わり *喜び
クリスチャンの生活は光の中を歩むことです。私たちが光の中を歩む理由は『神は光』であるからです。
神は私たち人間のように、やみと汚れが混じった部分がなく完全な光であられ、絶対的に聖なる方であられます。私たちが光の中を歩むとは罪の中にとどまり安住し、自己の罪に気付かずにいることではありません。何事も隠さず正直に正しいことのみを求め、御ことばを守り、神様に全く服従した歩みをすることです。
私たちが光の中を歩むとき私たちは互いに御父と御子との交わりを保ち心は喜びに満たされます。


2004年9月26日   主による救いと成長
ペテロ第二 3章14〜18節
3章に入り、イエス様の再臨の確かさを語った。真実な信仰は再臨信仰にまで導かれる。天地は滅びるが、私たちは新しい天と新しい地を待望する。これはこの手紙のクライマックスである。そしてペテロは牧会者として、最後の勧告をするのである。
【1】主を待望する生活(14〜16)
 1.聖い生活をする(14)
*「しみも傷もない者lとしての生活である。イエス様ご自身が「傷もなく汚れもない(Tペテロ1:19)からだであるから、クリスチャンに対しても言われている。神の日(主の日)には、主イエス様が再び来られるから、その日に神の御前に出られるのは、きよい者、キリストのご性質にあずかっている者だけであるから…。
*平安をもってとは、青められるところのない生活である(14)
*主を待望し励んでいる者には、「主の忍耐は救い」であること。主ほ寛容をもって主の日の来るのを遅らせ、人々が悔い改めて救いにあずかる機会を与えておられる。
 2.パウロの手紙と他の手紙(聖書)を読むように勧める。
*無知な、心の定まらない人たちは、聖書(手紙)を曲解し、滅んでいる!それは無知のゆえ、聖書の学びの訓練を受けていない状態である。それは心の定まらない、自分の欲望のままのみことばを解釈する。
*大切な事は、キリスト体験を確かにし、良心的信仰生活、敬虐の生活を勤勉に時間をかけて求めることである。
【2】キリストの恵みと知識において成長する(17,18)
*自分自身の堅実な信仰生活を失わないようにしなさい(17)。「無節操な人々(ソドムとゴモラの町の人々)にならないように。「誘惑(悪産の誘惑)に陥らない。真理の神の言葉に立つ(1:12)。
*主キリストの恵みにおいて成長しなさい。恵みは、「真理のみことばに立ち続け、祈りによって注がれる。
*主キリストの知識において成長しなさい。
キリストの知識について、ペテロはこの手紙の初めから語っている。キリストを知る点で実を結ぶ。「知る」…★一度だけの紹介で知る。
★友人として知る。★親友としてさらに知る。★夫婦が合い知る。
(結び)知ることのステップがあるように、イエス様と接し、交わり、更に深く知ることが「絶大な価値」(ビリビ3:8)である。そこに愛と聖い生活を!


2004年9月19日   神の国とその義とをまず第一に求めなさい
マタイ6章25〜34節
ここの箇所は最も知られている箇所である。イエス様は美しい自然界のたとえを通して、神様への信頼や信仰が単純、素朴に語られました。特に『心配』という語は6回(25,27,28,31,34,34)使われ、心配することが不必要であることを教えられました。
心配と信頼は同居することが出来ない。衣食のことや経済のことを通して神信仰の重要性を語り、最も重要なことは、神の国と神の義を第一に求めるよう勧告された。
 【1】神の国とは
 【2】神の義とは
『だからあすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります。』(34節)
慰めに満ちたみことばです。私たちには心配の種が多くあります。そして、教会や聖書から離れて信仰が弱くなると、ますます多くの事が心配となることを知っています。ここで主イエス様は、すべてのことを父なる神に委ねるようにと語っておられます。全面的に父なる神に信頼し心配を止めるようにと。心配を止めて下さい。そうすれば心配は無用とわかります。
そして第一なるものを求めましょう。神の国とその義を


2004年9月12日   真実な信仰(再臨信仰)
ペテロ第二3章1〜13節
ペテロが殉教死を遂げる前、西暦66、67年頃に書かれたものである。すでにイエス様が昇天され、30年余りが過ぎました。キリスト者の増加と共に異端者たちが起こって教会の内部に入り誤った教えと不道徳を持ち込みました。ペテロはクリスチャンに警告し真に主イエス様を知り抜くこと品性を豊かにすることを語りました。3章では再臨信仰の大切さを示しました。
 【1】信仰の励まし(1〜2)
 【2】あざける者たち(3〜7)
 【3】主を待望する者の備え(8〜13)
真実な再臨信仰を持つ間の生き方は・・
神様から離れ、罪を犯し続けたことを認め熱心に神に悔い改め神様と和解しましょう。罪の身代わりに死なれたイエス様を全人格的に信頼し信じる。そうすることによって家庭の中に平和をつくり、祈ることによって神との平和をつくる者となるでしょう。


2004年9月5日   主の聖餐の原点
マタイ26章17〜29節
ユダの裏切りを契機として、イエス様は十字架への受難の道を御自身の予告通りに歩んでいかれる。それを伝えるのが「過越の準備」「過越の祭り」そして、この過越の祭りが最後の晩餐となる。それは最初の聖餐式となったのである。
 【1】過越しの祭りの日(17〜19)
    *祭りの由来
    *主のご意向
 【2】最後の晩餐の席上(20〜25)
    *ユダの心
    *イエスの心
 【3】主の聖餐の原点(26〜29)
    *いのちのパン
    *罪を赦すブドウ液
    *主の再臨と終末の待望
 『聖餐への祈り』  A・マーレー
愛する主よ聖餐に近づくとき主の愛の宝庫から与えられた新しい交わりの恵みを期待できますように。私の信仰を強いだけでなく大きくして下さい。主よ私の魂の日ごとの糧として知ること、そして主がいかに毎日毎日私の力、いのちであるかを理解することです。聖餐の時だけでなく地上の生活の日ごとの糧として主イエスが喜んで私の生活に責任を持ちいのちとなり私の内で生きて下さることこそ私の願いなのです。どうかイエスよ今日この真理を理解させて下さい。愛する主よ、私はあなたが私の内にこの事をして下さると信じます。・・・


2004年8月29日   真理の道・正しい道・義の道
ペテロ第二の手紙2章
ペテロは主キリストを知ること、キリストの知識の確証について語ってきました。2章全体はキリストの知識を否定する者・にせ教師について語る。ペテロは彼らについて痛切に非難している。
その中から3つの道から離れる異端の姿を知って頂きたい。クリスチャンは幼児の階段から上段に向かって行くことである。
 【1】真理の道
 【2】正しい道
 【3】義の道
にせ教師は、これらの道から離れるばかりでなく堕落した信仰を積極的に教える。 異端の問題は教会時代の初期から続いています。形はいろいろと変化しても、すべての異端に共通点があります。ご自分の血潮をもって私たちを買い取って下さったお方 イエス様を否定するという点です。イエス様よりも自分の欲望、自分の主義・主張を優先し始め、そうしたものの虜となる時、サタンの餌食となりサタンに巧妙に使われる手先となってしまいます。
かつてペテロも、主イエスを裏切る苦い経験をしていました。どんなことがあっても私のために血潮を流して罪から救い出して下さったお方から目を離さないようにしましょう。


2004年8月22日   正しく知る事による確証
ペテロ第二の手紙1章
ペテロはこれまで、主キリストについての知識を豊かにすること、それに伴う神様の恵みが豊かにされることによって、イエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを豊かにされることを語った。続いて、その確証のためには何が必要かを語る。
 【1】伝えるべき事を思い起こす(12〜15)
    * 真理に堅く立つ
    * 知っていることを継続する
    * ペテロの死後も・・
 【2】キリストの威光の目撃者(16〜18)
    * キリストの変貌
    * ペテロの証言
 【3】聖書の預言(19〜21)
    * 私的解釈
    * 聖霊に導かれた人々
5節には神の御性質にあずかる者として、あらゆる努力のもとに、信仰・徳・知識・自制・忍耐・敬虔・兄弟愛・愛が備えられてゆくことが求められており、それらが備わってない人には、近視眼であり盲目、自分の罪がきよめられたことを忘れてしまったと厳しく糾弾されています。
私たちは永遠の御国に豊かに入る約束が与えられています。かつて十二弟子が主の右と左にと座を争ったように神のご目的と逆境するようなことで躓く事のないようにしたいものです。
船は遠く輝く北極星を見て航行したそうです。近い波を見過ぎ波に酔い、足をすくわれる事のないように永遠の御国を思いましょう。


2004年8月15日   神のご性質にあずかる者
ペテロ第二の手紙1章
第一の手紙は火のような試練を前にして堅く信仰に立って忍耐することを勧めた。第二の手紙では、当時偽りの教師達が教会に潜入しようとしていた。ペテロは特別に警戒し「尊い信仰」を堅く守ることを語り、特に「キリストを知る」ことについて繰り返し語り励ました。
 【1】挨拶(1・2)
 【2】クリスチャンの特権(3〜4)
 【3】クリスチャンの目標(5〜11)
    * 信仰を補填する責任(5〜7)
    * 信仰に補填する結果(8・9)
    * クリスチャン信仰の目標(10・11)
『その栄光と徳によって尊い、素晴らしい約束が私たちに与えられました』(4節)
約束の目的はただひとつ実行に移されることしかない。聖書には神様の栄光に満ちた約束で満ちている。それらの全ては果たされるために主の御口から発せられたものだ。今日も神様は、ご自身の約束を握り、御前に信仰を持って立つ者を捜しておられる。
約束を聖書の中に閉じこめるのではなく目の前の課題に当てはめて行こう。主は喜んでお約束を果たして下さるのだから。


2004年8月8日   あらゆる恵みに満ちた神
ペテロ第一の手紙5章
5章6節からは、クリスチャン一般に向けての勧告をする。先ず謙遜である。そして心配なことは神様に委ねなさい。悪魔の働きに対しては目を覚ました生活をしなさい。すべてのクリスチャンは確信を持って心から神様に信頼しなければならない。
 【1】すべてのクリスチャンへの勧め
    * へりくだり(謙遜)
    * 神への信頼
    * 悪魔への対決
 【2】永遠の栄光への招き(10、11)
    * 神について(2つ)
    * 神の働きかけ(4つ)
 【3】挨拶と祝祷(12〜14) 私たちの神はあらゆる恵みに満ちておられます。今どんな苦しみの中にあっていようとも、打ち倒されるような困難に直面していようとも、間に合う恵みにあふれたお方です。神様の恵みが届かないところや通用しない問題は一つもない。しばらくご計画によって時間はかかることはあっても神様の恵みは私たちをどんな状態からも完全な状態に引き上げて下さいます。


2004年8月1日   長老たち、若い人たち
ペテロ第一の手紙5章
5章に入るとペテロは教会の状況を知りクリスチャンのあるべき態度を教える。
教会には、長老たち若い人々たちが加わり、どのような信仰生活と姿勢で主にある交わりをするか。それこそ外部から危険に対して、良い信仰の戦いをするとき、クリスチャン一人一人に対する平安な心と信仰の防御となる。
 【1】長老たちにたいする勧告(1〜5)
    * 自己の証し
    * 長老たちへの勧め
 【2】若者達への勧告(6)
若いときに通過しておかなければならない信仰の学課は謙遜ではないでしょうか。『従うことはいけにえにまさり、』とサウル王の失敗の後サムエルは告げました。神様に委ねること無しに自分の目に見える功績、実績に目を向けやすい者です。高慢に陥り易く自己卑下してしまい易い者です。『しばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ強くし不動の者としてくださいます。』と約束されているお互いです。主は調度良いときに高く上げて下さると約束しておられます。他の人と見比べて一喜一憂することを主は喜ばれません。主に全てをお委ねし、一歩一歩、歩ませていただこうではありませんか。


2004年7月25日   むしろキリストの苦しみにあずかれる
ペテロ第一の手紙4章12〜19節
再び苦難の意味、苦難の中のクリスチャンのあり方についてペテロは語る。
苦しみとか迫害は起こるべきものであって驚くことではない。それこそキリストの栄光に与る準備である。
 【1】キリストの苦しみに与る喜び
    * 火の試練
    * 苦しみを喜ぶ
 【2】キリストの苦しみを受ける喜び
    * 非難を受ける特権
    * 神を崇める
 【2】神のさばきとクリスチャン
    * 義人
    * 罪人
    * 神のみこころ
信仰は私たちが目の前の出来事で一喜一憂することから守り、突然の出来事に動じない力を与えてくれる。どんな苦しみであっても、それがキリストの名によるものであるなら怖れることはない。その時、主もその苦しみの中にいて下さり確実に栄光へと導いて下さっているからだ。苦しみの中で肉の目に左右されず信仰の勝利を体験できるのだ。今日も主のみ手の中に落ち込みましょう。


2004年7月18日   卓越する聖めと愛
ペテロ第一の手紙4章1〜11節
4章に入って再び苦難の問題を取り上げる。ペテロは実際的・体験的な面から教えている。クリスチャンが受ける肉体的苦難の意味を述べた。
多くのそしりがあっても審判者である神の御前に立つ者であることを自覚して、聖潔と愛の生活をするようにペテロは勧めている。
 【1】苦難ときよめの生活(1〜6)
    * 苦難と神のみこころ
    * 誤解を越えた信仰と責任
 【2】終末時における愛の奉仕(7〜11)
    * 愛の奉仕の恩寵
    * 賜物による奉仕
『人は神の栄光を表すために生きる』私たちは無駄に時を過ごしていないでしょうか・・
世の楽しみに時と富を空しく費やすより『万物の終わりが近づきました。ですから祈りの為に心を整え身を慎みなさい』このように時に対する自覚があり続けていたなら無駄な時を過ごすことはなかったでしょう。聖霊に導かれるまま愛の生活を送りましょう。


2004年7月11日   心の中でキリストを主として崇めなさい
ペテロ第一の手紙3章
『心の中でキリストを主として崇めなさい』この箇所から3章は、1章の内容と似ている。クリスチャンは迫害に対していかに過ごすべきか。
キリストの苦難は信徒の模範でキリストにならって生活するように罪に陥ることなく身を慎み、聖い生活を送るべきである。特に終末が近い。
『あなた方はみな、・・・謙遜でありなさい。』(8節)『心の中でキリストを主としてあがめなさい。』(15節)
クリスチャンの品性の特徴の一つに謙遜がある。これは自分の罪深さと弱さ、そしてその様な者への主の愛と罪に対する力を本当に知った者に与えられる。
私たちは謙遜でないときは傲慢である。傲慢は自分の力に頼り、罪の力を過小評価し主に全てを委ねきることができず神と人とを傷つける状態である。私たちは聖霊の光で謙遜であるかどうか示していただき、主を心の中心にお迎えしよう。


2004年7月4日   一般社会におけるクリスチャンの証し
ペテロ第一の手紙3章
一般社会においてクリスチャン夫婦はどうあるべきか。夫も妻も家庭を形成するには各々の役割がある。
一般的には婦人の立場が弱い時代であった中でのクリスチャン夫婦のあり方を示された。ペテロは結婚をしました。パウロは独身でした。
 【1】クリスチャン夫婦(1〜7)
    * 妻に対する勧め(1〜6)
    * 夫に対する勧め(7)
 【2】すべてのクリスチャン(8〜12)
    * 対自的
    * 対他的
『キリストも一度罪のためにしなれました。正しい方が悪い人々の身代わりになったのです。それは肉において死に渡され霊においては生かされて私たちを神のみもとに導くためでした。』(12節)
主の死は悲しい出来事に違いありませんが、私たちを神のみもとに導くための尊い御犠牲であられることを思う時、私たちが主にお従いすることのみが、その主のお苦しみに対して、唯一主を喜ばせする道であると思います。『自由を悪口の口実に用いる』のでなく神の目的に従って用いましょう。