礼拝メモ

2006年6月25日   導く人がなければ・・
使徒8章26〜40節
使徒伝道者ピリポのエチオピア人伝道の記録である。このエチオピア人は女王に仕える高官で、女王の財産全部を管理していた宦官であった。彼は神を敬う者としてエルサレムに参拝して帰国についていた。ピリポは聖書の導くままに、彼が乗っていた馬車に近寄りイザヤ書を読んでいた彼に説明し、一人の魂の救いに導いた。ここで伝道のことを考察しよう。
【1】エチオピア人で女王カンダケの高官
   1.この高官は「イザヤ書を朗読していた。」
   2.この高官は「導く人がなければ・・」とありのままに言いました。
   3.わからない内容は「イザヤ書53章」でした
     彼は尋ねた。「預言者は誰についてですか。イザヤ自身か他の
     人物なのか」
     この預言はイエス・キリストの十字架の受難と救いを表していた。
【2】使徒伝道者ピリポの奉仕
救われた高官にバプテスマを授けました。
そして聖霊に導かれて去って行きました。
高官はエチオピアに帰国し異教の地においても
孤独と罪に打たれることはない。
現在のエチオピアのキリスト教の先駆者となったのです。


2006年6月18日   アブラハムの信仰とは・・
ロマ書4章16〜25節
4章は信仰による義認についてアブラハムの信仰を実例として語られる。人が義とされるのは信仰によることを強調し、証明するために信仰の父と言われるアブラハムの信仰を示した。
【1】世界の相続人となる信仰(16節)
【2】アブラハムの模範的信仰(17〜22節)
   1.彼が信じた神は死者を生かし、無から有を
     生み出す信仰でした。(17節)
   2.彼は絶望的な状況の中にあって真実な神に
     希望をおいて信じました。(18節)
   3.彼は失望落胆の信仰ではなく困難であれば
     あるほど信仰が強化されました。神の約束を
     信じ続けました。不信仰という罪を
     犯さなかったのでした。(20節)
【3】アブラハムの信仰の適用(23〜25節)
【結び】
私たちは無代価でクリスチャンにならせて頂きました。
神の深い御恩寵をますます深めましょう。


2006年6月11日   信じます。不信仰な私・・
マルコ9章14〜29節
病気の子の父親は、「できますならば」と言ってイエス・キリストの憐れみと助けを求めた。主は信ずる者には、・・と信ずることに絶大な力があることを教えられた。主キリストは神であられ全能であられる。
不信仰は、どんな場合でも神様の御業を妨害するのである。信ずるか否かは信仰生活に多大な影響をもたらすのである。あなたの信仰はどんな内容・・。
【1】ああ、不信仰な世だ(14〜19節)
【2】口をきけない子のいやし(20〜29節)
【結び】弟子達は以前には悪霊を追放したのに今回はできませんでした。意外と感じてイエス様に尋ねたのです。
イエス様は「祈りと断食」によらなければと語られました。私たちの心の中に秘められた信仰の偉大な力を引き出すには、祈りと言葉を聞いて読むことによって、実行することによって、現れるものであります。
☆私たちはイエス様を救い主として従いましょう
☆神様に向かう祈りと御言葉を通して信仰を開発しましよう。
☆荒涼とした心を信仰によって変化させ創造しよう
願わくは信仰による勝利の行進をしてまいりましょう。そして私たちは力強い「信仰の人」となるべきではないか。


2006年6月4日   人々はこれを聞いて心を刺され・・
使徒の働き2章29〜39節
ペテロは、イエス・キリストの十字架の死と復活を証言し、続いて神の勝利を宣言した。更にイエス様が神の右の座に上げられた姿を明確にした。そして父なる神の約束の成就として、このイエス様から聖霊様が降臨したことを述べた。
人々の反応は聖霊に満たされた証言に触れて、「心が刺された」のである。罪が何であるかを知ったのである。
【1】イエス様の死と復活の証し(29〜36節)
  「彼は死んで葬られとは、・・」とはイエス様について語っています。
  「神がイエスをよみがえらせました。」とは死からの復活でした。
  「御父からの約束された聖霊を受けて、・・聖霊をお注ぎになったのです。」
  「神が主・キリストと高らかに宣言されたイエス様を、あなたは十字架につけたのです。」
【2】ペテロの説教を聞いた人々の反応(37〜41節)
  聖霊の満たしにおるイエス様の証言に触れて人々は、「心に刺された」のです。きわめて強烈な痛みなのです。身体に刺された強烈な痛みに耐えられるでしょうか。
【結び】「この曲がった時代」この「不信仰な曲がったこの世」から救われなさい。現代、不信の時代ですね。人間の間、夫婦の間、親子の間、・・・。そのような時代ですが救われる者は起こされます。ペンテコステの日でしょうか。3千人がバプテスマを受けました。ハレルヤ。聖霊様が個々に、教会に、日本に注がれますように。


2006年5月28日   聖霊のバプテスマを受けよ
使徒の働き1章1〜11節
次のことを心にとめてペンテコステを迎えよう
私の「聖霊の働き」にならせて下さい。聖句の行間に主の働きを見せて下さい。使徒の働き2章のわざが今日的になるように私を祈らせて下さい。
【1】イエス様のご命令は何か(1〜5節)
  「イエスは苦しみを受けた後」(3節)
  「40日の間」とは神様はゲヘナに落ちたイエス様を生き返らせました。
  イエス様のご命令は何か
【2】弟子たちの質問とイエス様の応答(6〜8節)
  聖霊の降臨
  聖霊の力
  主の証人
【3】イエス様の昇天とイエス様の再臨の約束(9〜11節)
イエス様の再臨は近いことを覚え、その日その日を待望しつつイエス様の福音を伝えたい。福音の恵みを証しするのは伝道者、牧師だけでなく、すべて救われた者のなすべき奉仕です。証しならば説教や議論が出来なくてもイエス様の恵みを受けた者として誰でも出来るはずです。聖霊の力は、いかなる反対や迫害があっても大胆に勇気をもって証しが出来るのです。そのためにも聖霊のバプテスマを受けよう。聖霊に満たされよう。


2006年5月14日   罪を赦す権威
マルコ福音書2章1〜12節
中風の人を癒す記録と、罪を赦す権威についての記事が一つにされています。ここでは病気を癒すことと罪を赦すことが密接な関係を持っていることが明らかにされています。
【1】中風の人の課題について
  イエス様は身体の病気よりも、まず霊魂を罪より
  救い癒して悔い改めさせようとするのが御心なのである。
  それ故今は中風の人に対しても彼の肉体を癒す前に、
  まず罪の赦しという恵みが必要でした。
【2】4人の信仰について
  1.この4人はイエス様が病を癒すお方であることを知っていた。
  2.この4人には強い信仰があったということである。
  3.「彼らの信仰を見て」とは、病人と彼を連れてきた4人の信仰である。
【3】罪を赦す権威について
  1.中風の人に「子よ。あなたの罪は赦された」と宣言された。
  2.律法学者の反応について
  3.イエス様は神であられる故に「罪を赦す権威」を所有しておられた。
(結び)神様は癒すことにより神の御栄光を現します。また病を持ったままに於いても、さらなる神の御栄光を現します。共有する恵みは罪の赦し罪の聖めです。「あなた方のからだは、あなた方の家に住まわれる神から受けた聖霊の宮であり、・・ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」コリント第一6:19、20


2006年4月23日   御霊のために蒔く者
ガラテヤ書6章1〜10節
6章においては、教会生活の中で実行する御霊による聖霊による助け合いの方法について具体的に語られています。人間性の弱さがある故、お互いに反省し矯正し合うことの大切さなのです。まず自分とは・・聖霊とは・・
【1】自分を吟味して反省したい(1〜5節)
  1.他の方々にして欲しいこととはなにか
  2.自分という者はどのようにあるべきか
【2】聖霊の種蒔きと仕えることの恵みを覚えたい(6〜10節)
  1.みことばを教える人と教えられる人の関係についても
    「互いに重荷を負い合うことです」良いものを分け合う
    (霊的、経済的支援など)みことばによる教えとは
    イエス様の福音です。救い、きよめ再臨、聖霊の満たし
  2.御霊による種蒔きについて
(結び)御霊によって歩む喜び
   御霊による愛をもって互いに仕え合う恵み。で
   御霊によるお互いの助け合い感謝
   そして、教会はこの世にあって福音宣教に励みつつ福音の
   自由の喜びと愛に基づく家庭的、社会的責任を果たして参りましょう。


2006年4月16日   平安・聖霊・見ずに信じる者
ヨハネ20章19〜29節
キリストの受難週はいかがお過ごしのことでしたか。イエス様の十字架は人間のすべての諸問題、特に「罪」の問題を解決する鍵でした。そしてイースターは「死」に対する勝利の宣言でした。アーメン。
【1】平安があなた方の上にあるように(19・21節)
  1.平安が弟子達にあるように
  2.私もあなた方を遣わします
【2】聖霊を受けなさい(22節)
  1.聖霊様は慰さめ主です。呼ぶとすぐ答えて下さり慰めて下さる方です
  2.聖霊様は助け主ですちょっとした助け人ではありません何十回もです
  3.聖霊様は励まして下さる方です。いつでも親が子を、子供が親を兄弟
    姉妹が励まし合う励まし合うことは聖霊様の御性質だということです
  4.聖霊様は弁護者です。主にあって弁解は無用です。何故なら主が
    弁護して下さるからです。聖霊は私たちの最高の弁護人です
  5.聖霊様はとりなしの主です
 (結び)イエス様は弟子の一人トマスには8日目に現れて、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」と言われました。今もイエス様は生きておられます。信じる者は、決して死ぬことがありません。私たちは復活されたイエス様の生命をもっているのです。あなたは信じていますか。主よ、信じます。ハレルヤ アーメン


2006年4月9日   十字架につけられたキリスト
コリント第一1章18〜31節
キリストの受難週に入りました。イエス様の最後の一週間の出来事は7章という長い章です。イエス様の十字架は、人間のすべての諸問題に対して解決するマスターキーです。『イエス・キリストの受難』(J・パイパー著)を一読されたい。
【1】愚かに見える十字架(18〜25)
  1.神の知恵とこの世の知恵について
  2.神の愚かさと人間の賢さ
コリントはギリシャの一都市です。ギリシャは当時の世界の文化の中心地です。彼らは知識を重んじ、イエス様への信仰を浅薄なものと軽蔑していました。しかし、この世の知恵では神の奥義を理解は出来ません。
【2】弱く見える信仰者(26〜31)
(祈り)
主よ。あなたの流された血潮の恵みに感謝します。主の十字架を背負わせて下さい。今、私たちに個人個人に負わされた十字架を喜んで背負って参ります。十字架は喜びです。栄光にいたる道、輝く道です。どのような苦難にも力強く、希望をもって進んで参ります。アーメン。 


2006年4月2日   神の賜物を、再び燃え・・
テモテ第二1章1〜12節
何より求められるのは、真実な祈りと建徳的なスピリットをもって教会全体で協力していきたい。大切なことは心を熱くして主に仕えること。
【1】あいさつと感謝(1〜5)
  1.きよい良心をもって仕えている神に感謝
  2.純粋な信仰をもっていることを思い起こして感謝
【2】神の賜物を再び燃え上がらせて下さい(6〜12)
  1.パウロはテモテに対する感謝の後、彼に注意をする必要を感じた
  2.パウロは自分自身の伝道を証ししてテモテを激励しました。
(結び)
私たちも聖霊を受けましょう。そうするならば、キリスト様の内住の霊がどんなに素晴らしいか知ります。また福音がどんなに素晴らしいか知ります。また福音がどんなに素晴らしいかを知ります。イエス・キリスト様をもっともっと知る者にして下さい。聖霊様に満たされて愛・喜び・平安の霊に満たされよう。父なる神様に全的にお従いにしましょう。 


2006年3月12日   信仰生活祝福の条件
ヨシュア記23章1〜16節
本書と24章はヨシュアの告別説教です。彼は年老いて世を去ろうとしています。しかし、これで終わったのではない。いつでも堕落の危険性が伴っています。残る民たちへの憂慮と訓戒です。
【1】祝福される源泉(1〜11)
  1.過去の恵みについて(歴史的証拠)
  2.神からの祝福を維持していくためのステップ(神に対する忠誠)
【2】警戒すべき事項について(12〜16)
  1.もう一度堕落することの危険性について(12・13)
  2.生ける神を見捨てることで経験する悪い結果について(14〜16)
(結び)ヨシュア記24章14・15節
  1.信仰の選択権について
   『主を恐れ(畏敬)、誠実と真実をもって主に仕えなさい』
  2.信仰の責任感について『私と私の家は主に仕える』と
    ヨシュアは自分の立場を鮮明にして人々の前に証しをした。
私たちが聖と愛なる神を知り信じるに至ったのは救い主イエス・キリストの贖罪という恩寵に与った恵みであることを強く自覚症状させて頂きたい。


2006年3月5日   罪による敗北
ヨシュア記7章1〜26節
難攻不落のエリコの攻略を通して、神様がヨシュアと共におられ奇跡的な勝利を与えられました。また、これからも与えられて行くだろうと思いました。しかしアカンの罪が彼個人のものであったにもかかわらず、それがすべての民の上に及んだのであった。選民としての有機体の神として、個人と全体が不可分であったのでした。
【1】罪による敗北(1〜26)
   アカンの罪とイスラエルの敗北(1〜5)
   ヨシュアの祈り(6〜9)
   神の応答(10〜15)
   アカンの罪の摘発と罪の告白(16〜21)
   アカンの刑罰(22〜26)
【2】赦罪による勝利
   アカンは『人々に愛されることなくこの世を去った』(U歴代21:2)
   この出来事はまた2つの事を示されます。
  1.生命共同体である教会や家庭が一人の人の生き方が
   良い悪いにかかわらず感化を与えます(コリント第一12:26)
  2.罪は神様の視野から決して隠されない、すべてご存じです(使徒15:8)
(結び)そして信仰生活は御霊のために蒔く者であることです(ガラテヤ6:6〜10)ここに罪の赦された恩寵感と圧倒的な勝利者のクリスチャン人生があるのです。


2006年2月26日   神による勝利
ヨシュア記6章1〜25節
難攻不落と言われたエリコ、金城鉄壁と言われたエリコがイスラエルの前に立ちふさがっていた。エリコは陥落は可能か。
ただ信仰と服従によって陥落する。見かけの上の強さと内側の弱さを見る。
【1】神の啓示とヨシュアの命令(1〜7)
   エリコの町の状態(1〜2)
   信仰的行為(3〜5)
   ヨシュアの命令(6〜7)
【2】エリコの陥落(8〜21))
   ヨシュアは神の命令に聞き従い民たちはヨシュアに従いました。
【3】ラハブ一家の救い(22〜25)
   ラハブは自分ばかりでなく家族をも救った。敵に打ち勝つのも信仰
   自分の魂を救うのも信仰、家族を救うのも信仰である。
   賤しい女も救い主の流れに入った。


2006年2月19日   ヨシュアの全的服従
ヨシュア記5章10〜15節
紅海渡河とヨルダン渡河の経験から主を恐れる理由を受け取ったのである。
神の全能が彼らに示される
神は御自身に従う者に全能を発揮する
神は人間という指導者を通して御心を示しなされる。しの結果カナンの国民は「心がしなえ勇気がなくなった」
【1】過越の祝いの喜び(10〜12)
   過越のいけにえを献げた信仰行為
   マナの降ることが止んだ事実
【2】主の軍の将の最高指導者として(15)
   真の最高責任者はヨシュアではなく主の軍の将であること
   ヨシュアは神様の命じなさるすべての事をそのままに聞き受け入れ
   実行するのみであった。神様の御心のままに従うのみでした。
【結び】神はヨシュアには「聖別を求められた」ということです。
   これは神と信仰者の関係を密接にし関係は確立されます。
   ヨシュアは神様に「全的信頼をもって従う事」でした。
   主の戦いだからです。


2006年2月12日   ヨルダン渡河の奇跡
ヨシュア記3章1〜17節
神様の御約束にカナンの地に入ろうとする神の民の前に、ヨルダン川が大きな障害として立ちふさがっていました。40年の荒野の旅行が終わって、今こそエリコ偵察から帰ってきた二人の斥候の報告を聞いて、勇気を増して前進しようとしたが前にはヨルダン川があった。
【1】ヨルダン川への前進(1〜6)
   ヨルダン川岸に宿営
   主の契約の箱
   身をきよめる宗教的行為
【2】神の民への予告(7〜13)
   主はヨシュアに責任を与える(7・8)
   ヨシュアは民たちに神がなされることを予告する(9〜13)
【3】ヨルダン川の渡河(14〜21)
ヨシュアは神の民たちを指導して約束のカナンの地に入ったが、それは地上的安息であり、神が与える霊の安息ではなかった。真の安息はキリストによって与えられる天的な霊的安息です。


2006年2月5日   ラハブの信仰による家族の救い
ヨシュア記2章1〜21節
ラハブは異邦人であり遊女であったが、イスラエルの上になされた神のみ業を聞いていた。それ故ひそかに神様を信じていたものでした。彼女は神を信じた事を二人の人を助けたことで自分の家族の救いを覚えて信仰による行為を現した。
【1】二人の斥候を助ける(1〜7)
【2】二人と契約を結ぶ(8〜14)
【3】赤いひもを窓に結ぶ(15〜21)
ラハブは信仰による行為を現すことによって救われようとした。ラハブの信仰は、ただ一人の神に対する信仰で「むなしい」ものではなかった。信仰は行動に現される。信仰信仰と言いながら行為にならなければ信仰は生きてこないし義とされません。小さなことでも行為に移すことが大切です。
信仰は家族の救いに心が向けられ祈る人となって頂きたい。


2006年1月29日   強くあれ。雄々しくあれ。・・あなたとともにある・・
ヨシュア記1章1〜9節
ヨシュアはギリシャ語のイエスと同じ語で救い主を意味します。
カナンの地は乳と蜜の流れる恵みの豊かな聖霊による生涯の模型です。
私たちはそこに入るためには何が必要か、新約の面から見て行かなければならない。
実際的な戦いの本書とローマ人への手紙7章と対比しよう。
また、モーセの律法とイエスへの信仰とを対比しよう。
モーセの死後ヨシュアに
【1】神の奨励
【2】神の約束
【3】神の命令がなされました


2006年1月22日   火の柱、雲の柱
民数記9章15〜23節
1〜9章では神様に仕える民の秩序と聖別が強調されています。15〜23節は行軍のためのすべての準備が終了しまし、民に進軍の合図が出されました。
【1】幕屋について
   民数記やレビ記の律法は幕屋と神殿における
   神の臨在を前提にして、神の民の内に臨在される
   聖なる神様との交わりを保ち、また回復するための
   規定(礼拝。信仰生活)でした。
【2】火と雲の柱
   荒野の旅に入るとすぐに、昼は雲の柱、夜は火の柱が
   民を導き、その二つの柱は神の臨在を示し目に見える
   顕現でした。
【3】主の命令
   夜であれ昼であれ、雲の動きに従って行動した。
   このことはイスラエル人が主の命令に従って行動したのです。
聖霊さまの干渉を受け、敏感に素直にお従いし、聖霊と御言葉による嚮導を深く感じて全的信仰を持って神を信頼して全的に従うことです。


2006年1月15日   わたしの栄光を現そう
出エジプト記14章13〜21節
14章は「紅海渡河」の記録である。ここには危険な場所、パロによる追跡、民達の恐怖の中で神様の目的を語るモーセの信仰がある。
神様が過去にどのような御業をなして下さったかという歴史的な事実と今こそ何をして下さるかという神様への強く深い信頼に基づく信仰が必要です。そうでないと私たちの信仰は現在の状況において感情に左右されるのです。
【1】神の目的(13〜18)
   ※ モーセは民たちに語った(13・14)
    * 恐れてはいけない
    * 主の救いを見なさい
    * 主があなた方の為に戦われる 黙っていなければならない
   見える敵の軍勢におののかず恐れないで主を信頼して前進して行く時
   主が彼らの為に戦われる。信仰生活の大切な要素は神に信頼し
   神の御前に静まり忍耐して神を待ち望む事。
   やたらに騒いだりわめいたり動揺しないことである。
   ※ 主はモーセに仰せられた(15〜18)
    * 信仰による前進命令がなされた(15)
    * 信仰の道筋が示された(16)
    * わたしの栄光を現そう(17・18)
【2】御護りの雲の柱(19・20)
【3】紅海渡河(21・22)
   出エジプトした民達2百数十万人は神の護りの中に紅海を渡りました。
   私たちは罪の国から救われ、きよきと愛の国
   神の国に向かうことになりました。


2006年1月8日   アブラハムに仰せられた
創世記12章1〜9節
時代的には紀元前4千年前頃に与えられたこの約束は、今完全に成就している。
【1】神の召命(1)
   外面的には繁栄していた地であったが偶像礼拝の支配する地であり
   新しい地への移住は、真の神様に仕える準備となった。
【2】神の約束(2・3)
   1節の神様のご命令は2〜3節につながります。
   それは信仰と祝福のつながりでもあります。
【3】信仰による出発(4)
   神様の求めに対するアブラハムの応答は単純な信仰、素直さであった。
【4】同伴者(5)
   カナンで加えられた人々、妻のサライ、甥のロト。
   すべてを伴っての出発は、再び帰る意志のない故郷との訣別であった。
   アブラハムの召命は確かなものであり、それに従う人々がいた。
   現在の教会には「扇のかなめ」となる信仰者が求められる。
【5】真の神に礼拝(6〜9)
   主のために祭壇を築き主の御名によって祈った。
【結び】私たちは更に神との契約に生きるアブラハムの信仰世界を深めて行きましょう。


2006年1月1日   主を待ち望む者は・・
イザヤ書40章1〜8節 27節〜31節
新たなる年を迎え、私たちの信仰姿勢を祈らざるを得ません。モーセに指導された41年目からはカナンに入国しました。徳島教会の使命は何か。
1.全員がカナン(きよめの地)に入り信仰と愛と聖い交わりを目指す。
2.徳島宣教は水の上にパンを投げているようですが、
  決してそうではないことを信じて霊魂の救いを目指す。
3.個々に欠乏していたことの中から一つでも実践し慣例化を目指す。
【1】慰めのメッセージ(40:1〜8)
   人間のはかなさに対応する神のみことばの確実さ
【2】信仰へのご招待(40:27〜31)
   全能の神様は、神の約束を決して変えることはない。
   何故なら神は疲れることは決してないからである。
   神を救い主として受け入れた者には、創造者なる神様と
   緊密な関係に入るから、人間の限界を超えた力を受ける事が出来る。
   鷲は人里離れた所に住み、強く天に向かってはばたく。
   それは神の力を受けて歩む信仰者のたとえとして用いられた。
【結び】あきらめないで前進、神の力・聖霊の力が必要 待望する信仰