私は インマヌエル綜合伝道団。徳島キリスト教会に参加が許されて3年目の春を迎えようとしています。今朝は自己紹介を通して証しをさせて頂きたいと思います。
私が初めて聖書を目にしたのは、今から50年余り前のことです。そのころは高松の高校1年生でした。
近くに住むアメリカ人の宣教師夫人が、バイブル・クラスを始めるというので、英語好きの私は友人と訪ねてみたのです。
そこで手にしたのは英語と日本語の両方で書かれた新約聖書でした。
「求めよ。さらば与えられん。」というような有名な聖句を英語で学びました。
学校で習う受験英語とはまるで違っていて新鮮で楽しいものでした。
いろいろなことを習つたのですが、聖書については、外国の物語くらいにしか理解できませんでした。けれども卒業までは続けて出席しました。
そして卒業後は上京して東京女子大学に進学。キリスト教主義の学校でしたので、いろいろと広範囲にキリスト教に触れる機会がありました。
毎朝のチャペル・アワーや聖書研究会に出席したり、クフイアで歌ったり、またキリスト教学の講義を聴いているうちに、キリスト教の世界は何と広いことかと感動し「井の中の蛙」みたいな自分が恥ずかしかったことを覚えています。
また、いろいろな派の教会へ行ったり、クリスチャンに出会って、カルチャーショックを受けました。
けれども好奇心の強い私は、落ち込むこともなくむしろ求道者としてできるだけ多くの機会をとらえてキリスト教を知ろうと努力しました。
このような折、大阪で教師をしていた大好きな兄が急死。
怪我がもとでの敗血症が原因でした。「神様はどうして前途ある若者の命を奪うのか?」毎日毎日、神様に抗議の言葉を投げかけたのですが、神様は沈黙。「死」の問題がとつぜん私に襲いかかってきたのです。
予期しない出来事にすっかりうろたえてしまいました。
何とか抜け出そうとクリスチャンの先生や友人に尋ねてみたのですが、納得のいく返事はもらえませんでした。一人で悶々とする日が続きました。
とうとうアメリカにいる友人のアンナに救いを求めたのでした。
これまでも、聖書の疑問点などを丁寧に教えてくれたり、難しい時は聖書学者の父親に聞いてくれたりする優しい親友でした。
彼女は詩篇23編「たといわれ死の陰の谷を歩むとも災いを恐れじ。なんじ我と共にいませばなり。23:4)」を引用して慰めてくれました。彼女の父からは「Mementomori,
Memento Domini. 死を覚えよ。主を覚えよ。彼女は自己と真剣に対峙していないようだ。
死を通して自身の姿を神に問いなさい。」というアドバイスでした。
確かに私は他人に頼ってばかりで、自分が見えていなかったことを悟りました。
「自分とは何者か」とか「生と死」について聖書に問いました。しだいに人間の弱さや限界に気付かされ、自らの無力を悟りました。
ついには「神様の御計画であった兄の死をも自分の思い通りに支配しようとしていた自己中心的な私の罪に気付かされたのでした。
そして大学1年のお正月帰省の時に、高松バプテスト教会で、罪の悔い改めと許しを願い洗礼を受けました。
大学卒業後はアメリカのピッツバーグ大へ留学。
アンナの家にホームステイしてそこから大学院へ通うことができました。
彼女の家はスイス人のカール・バルトという神学者を祖父に、そして父は新約学者という名門なので、家では神学生や牧師に出会う機会に恵まれました。
私はまるで天国の楽園にいるような幸せな毎日でした。
また日曜日には黒人の人々の教会やロシア正教やカトリック教会などいろいろな教会にも足を運びました。
アメリカではキリスト教のダイナミックで活動的な力と神様の臨在を感じて至福の時を味わいました。
こうして最高の環境を与えられて私はクリスチャンとして神様のために生涯を捧げようとの決意を新たに致しました。
帰国後は結婚し4人の子供と6人の孫に恵まれて今日に至っております。
理解ある夫と子供たちが与えられて、神様に感謝しております。
私は、今年で受洗後50年の節目を迎えました。
長い信仰生活をひとことでは語れませんが、以上から私のことを少しでもご理解頂ければ幸いです。
最後に「そこでは後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」(ルカ13:30)と書かれていますが、私はむしろ初心に帰って皆様の後に従っていきたいと存じます。
「心をつくし精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい」の御言葉に励んでいきたいとお祈りしています。
皆様のお導きをよろしくお願い致します。