救いの証詞           T.

 

洗礼に導かれるまでの歩みについてお話させていただきます。
この証しに際して、心に響いているのは、マタイの福音書18章3節
「あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して神の御国には、入れません。」というみことばです。

 神様に立ち返る道には、4つの入り口があると、ずっと以前に教えられたことがあります。一つは、危機に直面する中で考えさせられ、心からの反省を与えられて、間違いに気づくこと、二つ目は、絶頂期にありながら、空しさや大切な何かに欠けていると悟ること、三つ目は、突然の出会いのようにイエス・キリストからの語りかけを知ること、もう一つは、内なる闘いの末に魂の渇きを感じ、満たしを切望することです。私の場合は、第三番目と四番目が当てはまると思います。
 
私は、昭和25年、山や田畑に囲まれた自然豊かな阿南市で生まれました。私の上に4人の兄がいましたが、皆、幼児期に亡くなり、私が生まれたときには母と二人きりの貧しい家庭でした。学校に上がると、持ち物や身なりを他人と比較して悲しく思うことや、体が小さいといじめられることも多く、子どものころの良い思い出はほとんどありません。私は、母に対して怒りのような感情を抱くようになっていきました。
中学校を卒業して間もなく、母が脳出血で倒れました。当時は、中卒で就職する人が多い時代でしたが、後遺症で半身麻痺となった母の世話をする日々が始まり、私も高校に進むことを断念せざるを得なくなりました。母を抱いて風呂に入れたり、排泄の介助など精一杯の世話をしましたが、辛さのあまり、「早く死んでくれ!」と思ってしまうこともしばしばありました。友人たちが若さを満喫している時期に、私は、「青春」という言葉とはほど遠い、暗く重い心で過ごしました。5年程して、ようやく母の施設入所がゆるされ、私は20歳で定時制高校に進学し、働きながら学び24歳で卒業しました。そして、その年に母は亡くなりました。

翌年 結婚し、それからしばらく経ったとき、私に転機が訪れました。
ふとしたきっかけで、テレビの福音伝道番組「PTLクラブ」をみて、流れていた讃美歌「いつくしみ深き」が心にしみ込んできて、深い感動をおぼえたのです。これをきっかけに、聖書の教えを求めるようになり、「やさしい聖書通信講座」や「教会紹介」へと導かれ、この教会(当時は昭和町7丁目)に通うようになりました。
私は夢中で三浦綾子作品のほとんどを読み、「感謝」と「赦し」の綴りを作って記録するようになり、次第に罪深い自分を知らされてゆきました。
そして、昭和62年6月6日、高島俊夫牧師のお導きにより、第一ヨハネ1章9節の「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださます。」との、みことばをいただいて、私の心にある罪をすべて紙に書き出し、一つ一つを悔い改め、そのすべてを赦してくださるために、イエス・キリストが十字架にかかってくださったことを信じる信仰告白と感謝の祈りをささげました。その年のクリスマスに洗礼に与りました。

ある本に、「確かにあなたは、この世に生きたことにより、苦しみや悲しみを経験したかもしれないが、それだけでなく、この世に生きたことによって喜びや楽しみも経験したはずだ。この世の辛苦や災いに、『神が悪い』と非難するなら、楽しいことや、良いことの感謝はどこに向ければいいのか? 創造者の神以外にないではないか。」と書かれていました。
神様と出会うまで、私が歩んできた日々は辛く悲しいことばかりだったと感じて過ごしていましたが、クリスチャンとなってから静かに振り返ると、寂しかった子ども時代のある日、高い石垣から落ちたとき、その一箇所だけ下に藁が積んであったために奇跡的に助けられたことや、たった一人で母の介護をしていた青年時代、私を気遣ってよく御飯を食べさせてくれた方、困ったときに助けてくださる人たちがいてくださったことなどを思い出すことができるようになりました。そして、その道のりにおいて、常に私を守り導き続けてくださった神様の恵みを深く知らされ、心から感謝しております。

これからも、祈り、聖書を読み、教会の集会出席に励み、日々 神様の教えと語りかけに応答しながら、イエス・キリストを主とする信仰生活を続けて行きたいと願っています。