救いの証詞 T.O
洗礼に導かれるまでの歩みについてお話させていただきます。
「あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して神の御国には、入れません。」というみことばです。
神様に立ち返る道には、4つの入り口があると、ずっと以前に教えられたことがあります。一つは、危機に直面する中で考えさせられ、心からの反省を与えられて、間違いに気づくこと、二つ目は、絶頂期にありながら、空しさや大切な何かに欠けていると悟ること、三つ目は、突然の出会いのようにイエス・キリストからの語りかけを知ること、もう一つは、内なる闘いの末に魂の渇きを感じ、満たしを切望することです。私の場合は、第三番目と四番目が当てはまると思います。
翌年 結婚し、それからしばらく経ったとき、私に転機が訪れました。
ふとしたきっかけで、テレビの福音伝道番組「PTLクラブ」をみて、流れていた讃美歌「いつくしみ深き」が心にしみ込んできて、深い感動をおぼえたのです。これをきっかけに、聖書の教えを求めるようになり、「やさしい聖書通信講座」や「教会紹介」へと導かれ、この教会(当時は昭和町7丁目)に通うようになりました。
私は夢中で三浦綾子作品のほとんどを読み、「感謝」と「赦し」の綴りを作って記録するようになり、次第に罪深い自分を知らされてゆきました。
ある本に、「確かにあなたは、この世に生きたことにより、苦しみや悲しみを経験したかもしれないが、それだけでなく、この世に生きたことによって喜びや楽しみも経験したはずだ。この世の辛苦や災いに、『神が悪い』と非難するなら、楽しいことや、良いことの感謝はどこに向ければいいのか? 創造者の神以外にないではないか。」と書かれていました。
神様と出会うまで、私が歩んできた日々は辛く悲しいことばかりだったと感じて過ごしていましたが、クリスチャンとなってから静かに振り返ると、寂しかった子ども時代のある日、高い石垣から落ちたとき、その一箇所だけ下に藁が積んであったために奇跡的に助けられたことや、たった一人で母の介護をしていた青年時代、私を気遣ってよく御飯を食べさせてくれた方、困ったときに助けてくださる人たちがいてくださったことなどを思い出すことができるようになりました。そして、その道のりにおいて、常に私を守り導き続けてくださった神様の恵みを深く知らされ、心から感謝しております。
これからも、祈り、聖書を読み、教会の集会出席に励み、日々 神様の教えと語りかけに応答しながら、イエス・キリストを主とする信仰生活を続けて行きたいと願っています。