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「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、
その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」
ヨハネの手紙第一1章9節
私が初めてイエス様を知ったのは、子どもの頃、姉が教会学校に行っていた時でした。それから数十年の時が過ぎ、結婚によって徳島に来ました。
当時、誰も知人のいない土地で、不安とさびしさのため、実家に帰りたいと思う日々でした。
急な環境の変化になかなかなじめず、家族に仕える事の難しさや矛盾に対しても不満を持つようになり、この結婚は失敗だと後悔するようになりました。
その上、体調もだんだんと悪くなり、あっちの治療所、こっちの病院と行くうちに心身共に疲れ果てていました。
そんな時、ある宗教の人の誘いで、健康になるからと言われ5年程通いましたが、満たされない思いがあり、その信仰にも行き詰まりを感じていました。
そんな時、今の教会のチラシが郵便受けに入っていて、出かけたのがイエス様につながったのです。昭和53年4月頃、高島先生方が家を訪ねてくださり、教会に通うようになりました。今まで疑問に思っていた事が、聖書のみことばによって、不思議なように解ってきて、もっと知りたいと思うようになりました。
その年の12月に受洗の恵みにあずかりました。
先生より、「神様に何か、お詫びすることはありませんか」の問いかけに、私は、罪と言われても別に思い当たる事はないし…と思っていましたが、神様からの光によって、古い思いが指し示され、「人を赦さない事」を示されました。
ある友人の裏切り、それはイジメの対象にされて、つらい日々を送った事でした。しかしその時、自分は悪くないとの思いが心の中にあり、その事が罪とは思えなかったのでした。
しかし、神様の前に涙を流してお詫びした時から、私の心の重荷が取り去られ、次の日から心が軽くなり、喜びがふつふつと湧いてきて、天国とはこんな所かも知れないと思いました。
長い信仰生活の中で、みことばによって、自分自身の自己中心な事を示され、何度も神様の前に申し訳ないとの思いでお詫びしました。今日まで続けてこられたのは、ただただイエス様の御愛のゆえと感謝致しております。
その間、家族も恵みにより、主人・祖母・私の母と、救いにあずかりました。
信仰を持った時は考えもしていませんでしたが、神様の一方的な恵みにより、天国に導いていただきました。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイの福音書16章24節)
と語っていて下さいます。
これからも心からイエス様、神様、聖霊様に感謝して、信仰生活を送らせて頂きたいと願っています。